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第十一章調査員派遣
第十一章第第二十一節(跳梁跋扈)
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二十一
十月の半ば頃、北満の機運がきな臭くなってきた辺りから、洮昴線の沿線各地や南満洲の錦州方面へ馬賊や義勇軍、便衣隊などが盛んに出没し、日本軍の後方を攪乱しはじめた。
嫩江の一戦を経て昴々渓、チチハルと続いた追撃線に馬占山軍が敗退すると、民国の輿論はさらに激高して張学良と蒋介石の責任を問う声がかまびすしくなった。こうなると面子の上から後へは退けなくなるのがこの民族である。
日本軍が追撃を自粛すれば「自分たちが勝った、勝った」と叫びつつ軍を前進させ、負ければ「面子が立たない」と言って対決姿勢を強めてくる。どちらにしても進軍してくるのだ。
実際このとき、張学良配下の錦州軍は正規軍の一部を大遼河以東の溝帮子や打虎山まで進出させている。
十一月も下旬になると北満の危機は去ったが、今度は「遼西方面で日華両軍が衝突する」とのうわさが乱れ飛んだ。
世が乱れれば匪賊や馬賊が大手を振って跳梁跋扈しだすのが大陸の歴史である。
だが掠奪が目的の匪賊ならば、奪った金品を手下へ分け与えられるくらいの単位で活動するのが通常だ。普通ならば数十人、多くてもせいぜい二、三百人規模が上限となるはずのところ、昨今出没する匪賊は千人、二千人単位でやってくる。ときには三千人規模のものもあって、とても掠奪で賄えるとは思えない。誰かしらの支援が背後にあって、日本軍の後方攪乱を目的に、組織的な活動をしているとしか思えなかった。
その司令塔が錦州にある--。
事変直後の九月二十六日、張学良が錦州仮政府の設立を宣言した当初から、関東軍は「ここを叩かなければ満州の治安維持は覚束ない」との決意を固くしていた。
十月の半ば頃、北満の機運がきな臭くなってきた辺りから、洮昴線の沿線各地や南満洲の錦州方面へ馬賊や義勇軍、便衣隊などが盛んに出没し、日本軍の後方を攪乱しはじめた。
嫩江の一戦を経て昴々渓、チチハルと続いた追撃線に馬占山軍が敗退すると、民国の輿論はさらに激高して張学良と蒋介石の責任を問う声がかまびすしくなった。こうなると面子の上から後へは退けなくなるのがこの民族である。
日本軍が追撃を自粛すれば「自分たちが勝った、勝った」と叫びつつ軍を前進させ、負ければ「面子が立たない」と言って対決姿勢を強めてくる。どちらにしても進軍してくるのだ。
実際このとき、張学良配下の錦州軍は正規軍の一部を大遼河以東の溝帮子や打虎山まで進出させている。
十一月も下旬になると北満の危機は去ったが、今度は「遼西方面で日華両軍が衝突する」とのうわさが乱れ飛んだ。
世が乱れれば匪賊や馬賊が大手を振って跳梁跋扈しだすのが大陸の歴史である。
だが掠奪が目的の匪賊ならば、奪った金品を手下へ分け与えられるくらいの単位で活動するのが通常だ。普通ならば数十人、多くてもせいぜい二、三百人規模が上限となるはずのところ、昨今出没する匪賊は千人、二千人単位でやってくる。ときには三千人規模のものもあって、とても掠奪で賄えるとは思えない。誰かしらの支援が背後にあって、日本軍の後方攪乱を目的に、組織的な活動をしているとしか思えなかった。
その司令塔が錦州にある--。
事変直後の九月二十六日、張学良が錦州仮政府の設立を宣言した当初から、関東軍は「ここを叩かなければ満州の治安維持は覚束ない」との決意を固くしていた。
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