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第十一章調査員派遣

第十一章第四節(珍事)

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                 四

 ともに弁護士出身の自由党議員でユダヤ人--。
 属性の点で重なり合うレディングとサイモンだが、満洲事変に対する態度は見事なほどに対照をなした。

 興味深いのは、二人の相違が単に個人の資質の違いによったのではなく、彼らを取り巻いた英国の内政事情を色濃く反映したものだったという点だ。

 話は満州事変の少し前にさかのぼる。
 満州で中村大尉殺害事件が混迷を深めた、この年の八月--。
 ちなみにこの時の英政権は、ラムゼイ・マクドナルドを首班とする労働党内閣だ。

 世界大恐慌のあおりを受けて財政の悪化に苦しんだイギリス政府は、失業手当の一割カットを含む超緊縮財政案を発表した。これが不評で、与党労働党は最大の支持母体たる労働組合から総スカンを食らい、ついには政権が崩壊するという大混乱に陥った。
 一見して“愚策”なのだが、英政府にしたってそうせねばならない深い“事情”があったのだから、仕方ない。
 
 世界大恐慌に先だって起こった世界的な農業恐慌に起因して、この年の六月に第一次産業を主力としたオーストリアにおける、最大手のクレディタンシュタルト銀行が破綻した。これが引き金となって東欧諸国が財政困難に直面し、混乱の火種はドイツへと飛び移った。ただでさえ天文学的数字の戦時賠償にあえいでいたドイツは、すぐさま金本位制から離脱。超緊縮財政を敷いて身の保全を図った。
 次いで八月になると混乱はロンドンへも飛び火した。第一次大戦を挟んで“斜陽の国”となった大英帝国と基軸通貨ポンドに、投機家たちが襲い掛かったのだ。

 大戦には勝利したというものの、一九二〇年代の列強諸国はアメリカの独り勝ちを例外として、良かれ悪しかれ不況と失業率の増大に悩まされた。そもそもマクドナルドの労働党が党勢を拡大し、ついに政権を担うようになったのも、こうした社会背景を抜きには語れない。
 そんな不安定な世の中に、世界大恐慌が追い打ちをかけた。

 後にもっと深く立ち入るつもりだが、基軸通貨としての信任が揺らいだポンドは、これ以前にも度々たびたび投機家の攻撃にさらされてきた。だがこのときの攻撃はすさまじく、政府は通貨防衛の観点から“自己破壊的”といってよいほどの緊縮案を余儀なくされたのだった。
 その当然の帰結として閣内に不一致を招き、ついには党首マクドナルドが労働党から除名されるという珍事に発展した。
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