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第十章昴々渓・チチハル

第十章第三十節(チチハル入城)

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                 三十

 そんなこんなの一夜が明けた。
 チチハルの南方七キロ余りに位置する大民屯だいみんとんは静けさに包まれ、普段と変わりない朝を迎えた。時折、逃げ遅れた敗残兵からの銃声がパラパラと響いたが、交戦にいたる気配は感じられなかった。

 午前七時頃、味方の飛行機が大民屯だいみんとんの上空に現れた。多門師団長は布板のサインで飛行機と連絡を取り、散在している味方部隊の所在と敵情の捜索を命じた。次いで八時十五分、以下の命令を発した。

 「師団は本十九日諸準備を完了し、武力をもってチチハル付近の支那軍の武装解除を行わんとす」

 飛行機による捜索と地上での連絡が功を奏し、各部隊の現在位置も徐々に判明した。そこで師団は十一時三十分、ついにチチハル入城を下命した。

 いよいよ街へ入城するという段になって、多門師団長は道案内を務めるチチハル在住の邦人で竜沙りゅうさ旅館主人の益田亀吉ますがかめきち氏らを呼んだ。部隊より先に街へ戻って林義秀はやしよしひで少佐と連絡を取らせるためだ。これに洸三郎と石川が随行した。
 軍隊に抜け駆けしてチチハル入りを果たそうとの魂胆だ。せっかくここまで来たのだから、何としても“チチハル一番乗り”を果たしたかった。

 既述の通り、林少佐は十四日、清水八百一しみずやおいち領事らとともにハルビンへ避難してしまっている。それでも益田氏が市当局と話をつけてくれたので、日本軍のチチハル入城は混乱なく行われた。
 そして洸三郎と石川は、願い叶って日本の新聞記者としてチチハル一番乗りを果たした--。

 大毎側はそのように主張している。だがそれでは朝日陣営が黙っていないだろう。実は朝日は嫩江ノンコウでの“出遅れ”を取り戻すべく、記者十人からなる大部隊を師団に従軍させていた。その重包囲網を縫って大毎の新米記者が二度も“奇跡”を起こすとも考え難い。事実の判定はちょっと難しい……。
 
 かくして入城したチチハルだが、すでに住民の半分は避難し黒龍江こくりゅうこう軍の掠奪りゃくだつや破壊で廃屋はいおく同然となった家々が寒々しく立ち並んでいた。それでも閑散とした街に残った市民は、おおむね好意をもって日本軍を迎えてくれた。
 国際聯盟は日本軍のチチハル侵攻を厳しい言葉で非難したが、十一月二十四日に帰還した英国のオブザーバーはチチハル占領後の日本軍の様子について、本国へこう報告している。

 「日本軍はチチハルを完全に支配し、市内枢要すうようの地点と中央駅に駐屯している。(省庁のある城内は占領せず)ただし、掠奪りゃくだつその他の不当行為はなく、占領は秩序をもって行われている。
  日本側は民国の警察行為を妨害しないが、警察は人員不足のため治安維持にあたるのが困難な状況にある。(中略)日本軍にこれ以上北進する模様はない。もっとも、飛行機による偵察は日々行われている。日本の軍憲は当地に駐屯する部隊の一部(二千五百人)を洮南とうなんへ撤退する予定だと宣言した。東支鉄道の運行には何ら干渉は行われていない。また、日本軍は鉄道付属地に駐屯していない」
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