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第十章昴々渓・チチハル
第十章第二十九節(迷子)
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二十九
本隊からはぐれたのは長谷部旅団長ばかりではなかった。
何と多門二郎師団長自身も、一時は完全に孤立状態に陥っていたのだ。
平素から最前線で陣頭指揮を執るのが信条の多門中将だっただけに、この夜もはじめから車両に乗って前衛隊の先頭を進んでいた。だから後続部隊が遅れるにつれ、先頭の師団長との距離も開いていった。先述の通り縦隊は伸びに伸びて、華屯を過ぎた頃には後続部隊との連絡もすっかり途絶えていた。
「師団長、後続がだいぶ遅れているようです。このままでは師団本部からも遠く離れてしまいそうです」
師団長の隣りに席を占める上野良焏参謀長が耳打ちしてきた。
「うむ。随分急いできたからな。ここらへんでいったん止まろうか」
師団長はその勧めに乗って車両を止めさせた。
案の定、停止した師団長車の両側を一団の兵士たちがぞろぞろと通り過ぎて行く。少し間を空けて、今度はすぐ脇を五、六人の兵士が追い越していった。なかにはものめずらしそうに車中を覗き込んできた者すらあった。
「あれは敵ではないのか?」
多門師団長が独りごとをつぶやくと、助手席にいた高木副官は「いや、線路工夫でしょう」と受け流した。
少しして車を走らし、さっきの一団の後尾に追いつくと、それは紛れもなく敵の兵団だった。
「これではこの先に味方がいるはずもない。少し前へ出過ぎたようだから待とう」
師団長は再度車を停めさせ、前照灯を消して様子を窺った。敵の兵隊は無雑作に、ぞろぞろと師団長車の両脇を通り過ぎていく。なかには前照灯をあかあかと点けたまま通り過ぎていく自動車もあった。二、三十メートル離れたところには、乗馬の縦隊がパカランパカランと蹄を鳴らして進んでいった。
「どうやら、敵の真っただ中に迷い込んでしまったようです……」
今度は高木副官が落ち着かない様子で言った。
「まあ構わず見ておれ」
上野参謀長と高木副官は気が気でなかったが、師団長はそういって腕組みをしたまま動かなかった。
しばらして敵の一隊は通り過ぎ、さらに後方から宮城善助副官をはじめ師団の幕僚たちが追いついてきた。第四聯隊第六中隊の一個小隊もやってきた。
そのあとから敵の敗残兵が三々五々通っていく。小隊はそれへ向かって射撃を加えようとしたが、師団長が止めた。
「小銃は何丁あるか? 弾丸はどうか?」
そう言われてみると、交戦に耐え得るほどの戦力を有していないことが分かった。結局、小隊は敢えて射撃をせずに銃剣で師団長を護る体制をとった。
そうこうするうちに第四聯隊主力や第三旅団長も合流してきた。師団長はこのあと左翼追撃隊の主力を掌握し、大民屯付近に集結するよう命じた。
本隊からはぐれたのは長谷部旅団長ばかりではなかった。
何と多門二郎師団長自身も、一時は完全に孤立状態に陥っていたのだ。
平素から最前線で陣頭指揮を執るのが信条の多門中将だっただけに、この夜もはじめから車両に乗って前衛隊の先頭を進んでいた。だから後続部隊が遅れるにつれ、先頭の師団長との距離も開いていった。先述の通り縦隊は伸びに伸びて、華屯を過ぎた頃には後続部隊との連絡もすっかり途絶えていた。
「師団長、後続がだいぶ遅れているようです。このままでは師団本部からも遠く離れてしまいそうです」
師団長の隣りに席を占める上野良焏参謀長が耳打ちしてきた。
「うむ。随分急いできたからな。ここらへんでいったん止まろうか」
師団長はその勧めに乗って車両を止めさせた。
案の定、停止した師団長車の両側を一団の兵士たちがぞろぞろと通り過ぎて行く。少し間を空けて、今度はすぐ脇を五、六人の兵士が追い越していった。なかにはものめずらしそうに車中を覗き込んできた者すらあった。
「あれは敵ではないのか?」
多門師団長が独りごとをつぶやくと、助手席にいた高木副官は「いや、線路工夫でしょう」と受け流した。
少しして車を走らし、さっきの一団の後尾に追いつくと、それは紛れもなく敵の兵団だった。
「これではこの先に味方がいるはずもない。少し前へ出過ぎたようだから待とう」
師団長は再度車を停めさせ、前照灯を消して様子を窺った。敵の兵隊は無雑作に、ぞろぞろと師団長車の両脇を通り過ぎていく。なかには前照灯をあかあかと点けたまま通り過ぎていく自動車もあった。二、三十メートル離れたところには、乗馬の縦隊がパカランパカランと蹄を鳴らして進んでいった。
「どうやら、敵の真っただ中に迷い込んでしまったようです……」
今度は高木副官が落ち着かない様子で言った。
「まあ構わず見ておれ」
上野参謀長と高木副官は気が気でなかったが、師団長はそういって腕組みをしたまま動かなかった。
しばらして敵の一隊は通り過ぎ、さらに後方から宮城善助副官をはじめ師団の幕僚たちが追いついてきた。第四聯隊第六中隊の一個小隊もやってきた。
そのあとから敵の敗残兵が三々五々通っていく。小隊はそれへ向かって射撃を加えようとしたが、師団長が止めた。
「小銃は何丁あるか? 弾丸はどうか?」
そう言われてみると、交戦に耐え得るほどの戦力を有していないことが分かった。結局、小隊は敢えて射撃をせずに銃剣で師団長を護る体制をとった。
そうこうするうちに第四聯隊主力や第三旅団長も合流してきた。師団長はこのあと左翼追撃隊の主力を掌握し、大民屯付近に集結するよう命じた。
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