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第十章昴々渓・チチハル

第十章第五節(烏諾頭站)

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                 五
 
 回答期限の十六日になっても馬占山からの回答はなかった。

 烏諾頭站うだくとうたんは大興と大興屯のほぼ中間にある部落だ。坪井聯隊が到着すると、先着してここを守備していた仙台の歩兵第四聯隊第一大隊が、玉突きのかたちで出ていった。若松晴司わかまつせいじ中佐の騎兵第二聯隊は残留し、坪井聯隊と行動をともにすることになった。

 ここは村落と呼ぶにはあまりに小さな集落で、北側に広がる原野をぬって道が一本ついていた。そこに幅約二十メートルの土塀に囲まれた小さな家が三軒ある。塀の周りには深さ二メートル半くらいの空堀が巡らせてあった。十三日の騎兵隊の戦闘の跡が随所に見られ、いたるところに敵騎兵の白馬が血みどろで倒れていた。もちろん人っ子一人いない。子豚がビイビイ鳴きながら右往左往していた。
 (何となく気持ちの悪いところだ)。それが坪井の印象だった。

 聯隊はここに司令部を置いた。集落の東半分はどこも馬占山軍に掠奪りゃくだつされ、荒れ放題になっていた。司令部を置いた家屋の中はガランとしていた。家の周囲をひくい土塀で囲ってあるが、向かいの家の屋根からは中が丸見えだった。どの家にも家財道具のたぐいなどは一切残っていなかったが、幸い枯れ草が天井まで積んであった。
 
 吉林を出てからここまで、第二師団将兵たちは凍てつく貨車に詰め込まれ、睡眠もおちおち取れなかった。だが今こうしている間も東方の新立屯しんりっとんからいつ敵の騎兵が襲って来るか分からないので、敵情視察やら防御陣地の構築やらに忙しく、結局、ここでも身体を休めることはできなかった。

 十七日の朝、ハルビン特務機関から奉天の司令部へ電報が届いた。
 馬占山ばせんざん張景恵ちょうけいけいを介して日本の要求を受け入れる意思を示してきたという。

 軍司令部はいったん「攻撃に踏み切るか否か」で軍議を開いた。馬占山にはこれまでもこの手でしばしば惑わされている。慎重に検討を重ねた結果、「これは正式な回答ではないし、北満経略や対ソ考慮の上から、速やかに禍根を絶つ必要がある」と結論した。
 攻撃は続行。断乎、馬占山へ一撃を加えることに決まった。

 案の定、午後になると馬占山から北平(北京)の萬福麟まんふくりんへ向けて、「日本軍へ総反撃をかける」旨、意見具申する電報が傍受される。軍司令部の読みは当たっていた。すぐさま第二師団へ向けて「馬占山の戦意は固い。師団の光輝ある戦勝を祈る」と打電した。
 
 大興で作戦会議を開いた師団司令部は、飛行隊の偵察写真や間諜かんちょうなどの情報をもとに敵情の把握に努めた。その結果、四つのことが判明した。

 「一、敵は兵力に比べて正面が広大で、正面もそれほど堅固ではない。
  二、我が軍は後方機関が不備で、鉄道から遠く離れて作戦展開できない。
  三、敵の左翼は湿地帯で、大部隊の行動は困難。
  四、右翼からの迂回攻撃は、残敵を昴々渓市街へ遁走させる恐れがある」

 そして攻撃は中央突破に一決した。
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