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第十章昴々渓・チチハル
第十章第二節(長春)
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二
新発田聯隊長の濱本喜三郎大佐は陸士十八期で土肥原よりもさらに二期後輩となる。しかも、濱本が着任してくるのは事変勃発のわずか一カ月前。その濱本聯隊長が嫩江の戦闘で世間の耳目を集めた。
それに引き換え坪井は、相変わらず吉林で地味に留守居役を預かってきた……。
今回の出動命令を受けた彼に職業軍人としての野心が蠢かなかったかと言えば--、うん、それは……、どうだろう。
長春の街並みは城壁に囲まれた旧市街を除けば奉天を小ぶりにしたつくりになっていた。駅前から真っ直ぐ伸びる大通りと、両翼へ斜めに広がる二本の幹線道路を中心に区画整理されている。
満鉄の終着駅という性格上、街には鉄道関連の施設が目立った。満洲国建国後は「新京」と名を変え、やがて百万都市へと変貌するが、事変初期のこの頃はまだ人口二十万人足らずの中都市で、荒涼とした無人の野を貫く大通りは閑散とし、空き地にポツリポツリと建物が散在するばかりであった。
長春ヤマトホテルなども、まだ客室二十五部屋でこじんまりと営業していた。
師団司令部には師団長の多門二郎中将以下宮城善助副官、上野良焏参謀長、作戦参謀西山福太郎少佐はじめ幕僚が揃っていた。
前日に奉天で営まれた栗原信一郎大尉(戦死後少佐)以下第二十九聯隊戦死者の慰霊祭に参列した多門師団長や西山参謀らが、関東軍司令部と種々の打ち合わせをしてきたところだった。
師団隷下の部隊からは、坪井大佐のほかにも大島陸太郎第四聯隊長、山縣楽永第七十八聯隊長、河村圭三野砲兵第二聯隊長が呼ばれていた。
「嫩江鉄橋の修理は十三日までに完了する見通しである」
上野参謀長が口火を切ると、集まった部隊長は一様にうなずいた。
「大興から退却した黒龍江省軍が東支鉄道の南側に集結していると聞きますが、詳細を聞かせていただきたい」
大島聯隊長が現地の状況を問うた。
「うむ。奉天からの情報では、馬占山軍は嫩江鉄橋を巡る戦闘が始まった時点で、黒龍江省各地から隷下部隊を召集しはじめ、東支鉄道南側の昴々渓付近へ集結させたという。すでに西部国境方面の警備に歩兵騎兵各一団(師団に相当)を残したほかは、全軍を昴々渓へ集結させているとのことである」
「その数は」
「諜報によれば、敵は歩兵約六千をもって大興屯、小興屯、三間房付近の線を堅固に占領し、騎兵約三千をその両翼に配置しているという」
「左右から挟撃しようという腹ですな。馬占山はやはり仕掛けてくるでしょうか?」
山縣聯隊長が上野参謀長の所見を尋ねた。
「うム、奉天の軍司令部はそう見ている。すでに嫩江の長谷部旅団に対して、任務の目的を橋梁修理の掩護から前線の敵情捜索へ転じるよう命令が出された」
いよいよ--か。部隊長たちの表情が引き締まった。
「黒龍江省軍が旅団の弱体を見てとり全力をあげて決戦に挑んできたら、同方面の苦戦は避けられない。軍司令官はそれを気に病んでおられる」
この先師団へ出動命令が下るかもしれないから、今のうち準備をしておけという意味だ。
新発田聯隊長の濱本喜三郎大佐は陸士十八期で土肥原よりもさらに二期後輩となる。しかも、濱本が着任してくるのは事変勃発のわずか一カ月前。その濱本聯隊長が嫩江の戦闘で世間の耳目を集めた。
それに引き換え坪井は、相変わらず吉林で地味に留守居役を預かってきた……。
今回の出動命令を受けた彼に職業軍人としての野心が蠢かなかったかと言えば--、うん、それは……、どうだろう。
長春の街並みは城壁に囲まれた旧市街を除けば奉天を小ぶりにしたつくりになっていた。駅前から真っ直ぐ伸びる大通りと、両翼へ斜めに広がる二本の幹線道路を中心に区画整理されている。
満鉄の終着駅という性格上、街には鉄道関連の施設が目立った。満洲国建国後は「新京」と名を変え、やがて百万都市へと変貌するが、事変初期のこの頃はまだ人口二十万人足らずの中都市で、荒涼とした無人の野を貫く大通りは閑散とし、空き地にポツリポツリと建物が散在するばかりであった。
長春ヤマトホテルなども、まだ客室二十五部屋でこじんまりと営業していた。
師団司令部には師団長の多門二郎中将以下宮城善助副官、上野良焏参謀長、作戦参謀西山福太郎少佐はじめ幕僚が揃っていた。
前日に奉天で営まれた栗原信一郎大尉(戦死後少佐)以下第二十九聯隊戦死者の慰霊祭に参列した多門師団長や西山参謀らが、関東軍司令部と種々の打ち合わせをしてきたところだった。
師団隷下の部隊からは、坪井大佐のほかにも大島陸太郎第四聯隊長、山縣楽永第七十八聯隊長、河村圭三野砲兵第二聯隊長が呼ばれていた。
「嫩江鉄橋の修理は十三日までに完了する見通しである」
上野参謀長が口火を切ると、集まった部隊長は一様にうなずいた。
「大興から退却した黒龍江省軍が東支鉄道の南側に集結していると聞きますが、詳細を聞かせていただきたい」
大島聯隊長が現地の状況を問うた。
「うむ。奉天からの情報では、馬占山軍は嫩江鉄橋を巡る戦闘が始まった時点で、黒龍江省各地から隷下部隊を召集しはじめ、東支鉄道南側の昴々渓付近へ集結させたという。すでに西部国境方面の警備に歩兵騎兵各一団(師団に相当)を残したほかは、全軍を昴々渓へ集結させているとのことである」
「その数は」
「諜報によれば、敵は歩兵約六千をもって大興屯、小興屯、三間房付近の線を堅固に占領し、騎兵約三千をその両翼に配置しているという」
「左右から挟撃しようという腹ですな。馬占山はやはり仕掛けてくるでしょうか?」
山縣聯隊長が上野参謀長の所見を尋ねた。
「うム、奉天の軍司令部はそう見ている。すでに嫩江の長谷部旅団に対して、任務の目的を橋梁修理の掩護から前線の敵情捜索へ転じるよう命令が出された」
いよいよ--か。部隊長たちの表情が引き締まった。
「黒龍江省軍が旅団の弱体を見てとり全力をあげて決戦に挑んできたら、同方面の苦戦は避けられない。軍司令官はそれを気に病んでおられる」
この先師団へ出動命令が下るかもしれないから、今のうち準備をしておけという意味だ。
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