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第九章北満経略

第九章第二十節(独断専行)

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                二十

 果たして「独断専行」は “是”なのか“非”なのか--?
 中央は「断じてまかりならん」と厳禁し、軍司令官は「独断などしていない」と弁明に努めた。片や片倉衷大尉は、「信念をもって独断すべし」との哲学を高唱した。

 十一月七日付の『片倉日誌』には彼の“信念”をうかがわせる下りが出てくるので引用する。

 「決定命令権に基づく総長の命令は必ずしも“勅令”ではない。それはちょうど軍司令官が御委任を受けて師団長を指揮するようなものであり、関東軍すなわち受令者が独断により機宜の方策にでることに対して少しも支障とはならないのである。
  小隊長の独断より中隊長の独断は重く、いわんや軍司令官の独断は絶大なるべきものだ。従って総長の命令が不適当であるならば独断により善処すべきである。ところが軍司令官も参謀長もこの遠大なる抱負なり気迫なりを持ち合わせず、奉勅でもない総長命令を勅令と解してその範囲を一歩も出ようとしない。
 (中略)
  いかに国策に関係するとはいえ、総長が御委任権を濫用して一線一行動までも命令するにいたっては、実に皇軍の統帥権の神聖を犯すものと言うべきものだ。(中略)国軍の最高統帥がこのような状態なら、平時において独断の必要を強調する教育は全く空文に終わるのではないか」

 前に片倉を指して“狂気”と称したのはこの辺の精神性を指してのことだ。さしもの筆者も、ここまでくれば眉をひそめざるを得ない。
 当人もそれを承知の上か、末尾には「激越な文や言葉を使ったが、将来の戦史研究の参考として記録することとした。後世の歴史家の批判を仰ぎたい」と残している。
 であるから、さぞや研究の対象となったことだろうと思いきや、意外なことに歴史家たちは板垣や石原のように早々に物故ぶっこした人物たちを悪者扱いしておきながら、なぜか片倉には好意を寄せてきた。何となれば、彼は平成三(一九九一)年まで存命したから、下手のことを言ったら手ひどいしっぺ返しを食らっただろうから……。

 これまで度々登場してきた片倉衷かたくらただしなる人物は果たして何者なのか? たかが一介の大尉くんだりが、どうして幕僚団の中でも取り分け強い発言権を得るにいたったのか? 理由はさっぱり分からない。
 当時の奉天総領事代理だった森島守人もりしまもりとも同じ疑問を抱いたようだ。後年の回顧録にこう記している。

 「板垣大佐を筆頭に、石原莞爾中佐、花谷少佐、片倉大尉のコンビが、関東軍を支配していたので、本庄司令官や三宅光治参謀長はまったく一介のロボットに過ぎず、本庄司令官の与えた確約が後に至って取消されることはあっても、一大尉片倉の一言は関東軍の確定的意思として必ず実行せられたのが、当時における関東軍の真の姿であった」

 GHQの占領下で書かれた証言を鵜呑みにすることはないにしても、中央統帥部も随分と手を焼いたのは確かなようだ。中央の硬直した組織も問題だが、関東軍の側にも問題がなかった訳ではない。
 二宮参謀次長は七日午後、三宅参謀長宛てに「第一二三号」電を送ってその節操のなさをたしなめた。

 「いやしくも要路の当局相互の間に感情的齟齬を招来し、健軍の特質なかんづく幕僚勤務の根本精神に反するがごときは厳に戒むるべきことと信ず。従来、貴軍司令部より中央宛て電報の中には(中略)まま激越に過ぎ穏当を欠くがごとき辞句擁護を三間し、殊に御委任事項の是非に言及するがごときは前記の趣旨に鑑み穏当を得ざるものとす」

 同日午後七時には再度中央の方針に従うよう通達してきた。

 「北満経略に関する貴軍の意見具申はいちいちうなすける所があるものの、何分現下の情勢に照らして兵力の行使を主体にその歩を進めることは、いたずらに内外の神経を刺激し却って今後の計画に支障をきたす恐れがある。
  (中略)だから北満経略はあくまで政略により成功させるよう、なお最大の努力を払うべし(中略)
  以上は現在の軍部中央の確定的方針であるばかりでなく、関係国家機関とも連絡を取り合っているものである(中略)この際貴軍においてとくと考慮いただきたいことは、満蒙問題の解決は実に事変勃発時における貴軍の適切なる行動によって所期の実績を上げたものの、今や中央の方針を主体として出先、中央が一致してはじめて有終の美を飾れる事案となっていることである。
  従って貴軍は絶えず中央と密接に連絡を保ち、首尾一貫した方針に則り行動を律する必要がある」

有無を言わさず「従え」とばかりに強圧的だ。ではだからといって、「はい、そうですか」と引き下がる奉天でもない。九日には「参謀長以下、参謀一同」から強烈な反論を送って寄こした。

 ついに中央と出先の対立には何ら改善の兆しが見られないまま、北満の暗雲はますます濃くなっていった。
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