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第九章北満経略
第九章第十九節(越権行為)
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十九
夜更け--。
正確には日付の変わった七日の午前零時半、関東軍から度々発せられた照会電を読んだ建川美次作戦第一部長から電報が届いた。
「総長電一一八号に関する数次照電拝見、今回総長の執られたる処置に対し右の如き電報を見ることは誠に奇異に感ずる次第なり」
「昭和六年度情勢判断」を監修し、中央統帥部側で「満蒙問題」の解決に奔走した建川少将だったが、計画遂行の時期や具体的なプロセスを巡っては、当初から奉天側と嚙み合わなかった。そればかりか内外の情勢も考えず、軍隊における上下の関係までないがしろにする関東軍のやり方に、少なからぬ不快感を催してもいた。
そんな建川は現場がぐうの音も出せない “殺し文句”を浴びせてきた。
「貴軍の任務はその固有のもの以外、いまだ何等付加せられたるところなく、従って貴軍行動の一切はたた任務達成上必要の範囲に止まるべきものなり」
関東軍本来の任務は大正八年四月に施行された「関東軍司令部条例」に規定されている。その第一条にはこうある。
「関東州の防備及び南満洲に在る鉄道線路の保護に任ず」
この目的を担保するために第三条で「必要と認むるときは兵力を使用することを得」と規定している。また第二条には「作戦及び動員計画に関しては参謀総長(中略)の区処を受く」とも明記されている。
だからそもそも北満への出兵自体が越権行為に当たる。まあ、事変の性質を考慮してある程度のことには目をつぶるものの、これまでの関東軍が取ってきた行動が、いちいち内外の輿論を刺激して各方面へ波紋を広げている。そのさなかに、さらに新たな“こと”を起こすのは努めて自重するように--との“指導”であった。
現地側にどう映ったかは知らないが、建川に言わせれば関東軍が“こと”を起こすたびに東京では参謀総長が一々これを上奏して裁可を仰いできた。しかしながらそう度々聖上(天皇)を煩わす訳にもいかないので、日露戦争当時の“先例”に倣って出先の行動の可否を総長へご一任いただいたのだ。そんな中央の事情も少しは汲んで、素直に指示に従え--との内容だった。
北満経略で浮上した関東軍の問題は、ひとえに彼らが本来の任務の範囲を越えて行動を起こした点にある。だが関東軍は決して無軌道、放埓に軍を動かした訳でもない。それどころか神出鬼没でやりたい放題の兵匪、馬賊を、「満鉄沿線の警備」という制約の範囲内で討伐するのだ。それ故、出動は都度々々の弥縫策となり、作戦規模も最小単位に限られた。将兵は休むことなく東奔西走を強いられ、ただ無益に疲労困憊を重ねるばかり。それでいて治安の回復という根本的な課題は一向に解決しなかった。
そこで中央の作戦二課は十月下旬、関東軍が匪賊の策源地を叩くのを認めるよう、「一般治安維持」の新任務を付与してはどうかとの意見書を作成した。
もしこれが実現していたならば、戦後関東軍へ向けられることとなった風評の幾分かは軽減されたかもしれない。もっともその分、「事変を拡大させない」と声明しておきながら自国軍隊の活動の余地を広げたとして、日本政府が国際聯盟に吊るし上げられたであろうことは想像に難くないが……。
お察しの通り、この意見書は日の目を見ることなくうやむやに終わった。
正確には、関東軍側が新任務の付与を望まなかった。十月に奉天へ来た今村作戦課長へそう答えた。彼らはそうした“建て前論”よりも、「もっと第一線に裁量権を与えてほしい」と今村へ伝えたのだった。
奉天と東京の懸隔は甚だしく、建川少将の咎め立ても結局、焼け石に水で終わった。片倉などは「当方の質問には答えず、むしろ当方が何らか感情的に奔っていると曲解している」と居直ってみせた。おまけに軍司令官から参謀総長へ、三宅参謀長から二宮参謀次長へ「親展文書」を送ったにもかかわらず、第一部長が返電を寄こしてくるとは「まったく諒解に苦しむ」と逆ギレする始末だった。
夜更け--。
正確には日付の変わった七日の午前零時半、関東軍から度々発せられた照会電を読んだ建川美次作戦第一部長から電報が届いた。
「総長電一一八号に関する数次照電拝見、今回総長の執られたる処置に対し右の如き電報を見ることは誠に奇異に感ずる次第なり」
「昭和六年度情勢判断」を監修し、中央統帥部側で「満蒙問題」の解決に奔走した建川少将だったが、計画遂行の時期や具体的なプロセスを巡っては、当初から奉天側と嚙み合わなかった。そればかりか内外の情勢も考えず、軍隊における上下の関係までないがしろにする関東軍のやり方に、少なからぬ不快感を催してもいた。
そんな建川は現場がぐうの音も出せない “殺し文句”を浴びせてきた。
「貴軍の任務はその固有のもの以外、いまだ何等付加せられたるところなく、従って貴軍行動の一切はたた任務達成上必要の範囲に止まるべきものなり」
関東軍本来の任務は大正八年四月に施行された「関東軍司令部条例」に規定されている。その第一条にはこうある。
「関東州の防備及び南満洲に在る鉄道線路の保護に任ず」
この目的を担保するために第三条で「必要と認むるときは兵力を使用することを得」と規定している。また第二条には「作戦及び動員計画に関しては参謀総長(中略)の区処を受く」とも明記されている。
だからそもそも北満への出兵自体が越権行為に当たる。まあ、事変の性質を考慮してある程度のことには目をつぶるものの、これまでの関東軍が取ってきた行動が、いちいち内外の輿論を刺激して各方面へ波紋を広げている。そのさなかに、さらに新たな“こと”を起こすのは努めて自重するように--との“指導”であった。
現地側にどう映ったかは知らないが、建川に言わせれば関東軍が“こと”を起こすたびに東京では参謀総長が一々これを上奏して裁可を仰いできた。しかしながらそう度々聖上(天皇)を煩わす訳にもいかないので、日露戦争当時の“先例”に倣って出先の行動の可否を総長へご一任いただいたのだ。そんな中央の事情も少しは汲んで、素直に指示に従え--との内容だった。
北満経略で浮上した関東軍の問題は、ひとえに彼らが本来の任務の範囲を越えて行動を起こした点にある。だが関東軍は決して無軌道、放埓に軍を動かした訳でもない。それどころか神出鬼没でやりたい放題の兵匪、馬賊を、「満鉄沿線の警備」という制約の範囲内で討伐するのだ。それ故、出動は都度々々の弥縫策となり、作戦規模も最小単位に限られた。将兵は休むことなく東奔西走を強いられ、ただ無益に疲労困憊を重ねるばかり。それでいて治安の回復という根本的な課題は一向に解決しなかった。
そこで中央の作戦二課は十月下旬、関東軍が匪賊の策源地を叩くのを認めるよう、「一般治安維持」の新任務を付与してはどうかとの意見書を作成した。
もしこれが実現していたならば、戦後関東軍へ向けられることとなった風評の幾分かは軽減されたかもしれない。もっともその分、「事変を拡大させない」と声明しておきながら自国軍隊の活動の余地を広げたとして、日本政府が国際聯盟に吊るし上げられたであろうことは想像に難くないが……。
お察しの通り、この意見書は日の目を見ることなくうやむやに終わった。
正確には、関東軍側が新任務の付与を望まなかった。十月に奉天へ来た今村作戦課長へそう答えた。彼らはそうした“建て前論”よりも、「もっと第一線に裁量権を与えてほしい」と今村へ伝えたのだった。
奉天と東京の懸隔は甚だしく、建川少将の咎め立ても結局、焼け石に水で終わった。片倉などは「当方の質問には答えず、むしろ当方が何らか感情的に奔っていると曲解している」と居直ってみせた。おまけに軍司令官から参謀総長へ、三宅参謀長から二宮参謀次長へ「親展文書」を送ったにもかかわらず、第一部長が返電を寄こしてくるとは「まったく諒解に苦しむ」と逆ギレする始末だった。
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