184 / 466
第九章北満経略
第九章第十五節(閫外の重責)
しおりを挟む
十五
中央と出先のすれ違い--。
芳澤と幣原の間に生じていたアンヴィバレントな関係は、奉天と中央統帥部の間にも起こっていた。
だがそのくらいの理不尽ならば、掃いて捨てるほど世間に有り余っている。
およそどこの組織であろうが、“中央”というものは“出先”に権限など与えない、もしくは権限を吸い上げようとするものだ。片やそれだからと言って、出先から吸い上げた権限に見合う責任を負うかといえば、それは実に覚束ない。理屈の上では対称なはずの“権限”と“責任”は、現実の世の中では常に非対称の関係にある。
それでも一般の世の中ならば、まかり通って何とか回ってしまうものだ。
ところが“有事”に直面した軍隊でこれが起こると、すぐさま前線の将兵の生死が危うくなる。だから満洲事変のさなかに関東軍が中央の意に反して行動を起こしたからといって、目くじら立てて一律に「独断専行だ」--などと非難すること自体が間違っている。緒方貞子※の問題の立て方に誤りがあった。それは有事に際しての軍隊組織の在り方を一般社会と同列に並べ、出先軍隊を会社の支店や役所の支所、あるいは現地法人などと混同して語ったところから生じた誤解に他ならない。
※『満洲事変~政策の形成過程』参照
常に戦場の“現実”が優先するのであって、輿論や政治はあくまで脇役に過ぎない。
軍隊には「閫外の重責※を担う」という不文律がある。「上意下達」や「上官の命令は絶対」の軍隊にあっても、中央統帥部はいわば「城門の内側」にある関係上、有事に際して遠く離れた戦場の様子をつぶさに把握して適時適切な指示を下せるものではない。
俗に「勝負は時の運」--というが如く、敵や味方の“勢い”だとか“運”だとか、さらには天候だとか地図に反映されていない地形の変化などの影響も加わって、戦況は常に有為転変を繰り返す。そうした機微なる情勢の変化をいち早く、総合的に読み取って可能な限り最善の判断を下せるのは、ひとえに現地の司令官を置いてほかにない。従って中央は全軍のバランスに意を配りつつ作戦を統括するが、個々の作戦実行においては現地司令官に全幅の信頼と権限を付与するのが“正常”な軍隊組織のあり方なのだ。
※閫外の重責=「敷居の外」という意味で、都の外にあって防人の任を果たす司令官への敬意を含む言葉。
同時に軍隊には「拙速なるも巧遅となるなかれ」との金言もある。
正しい措置を取ろうと思案投げ首している間に、敵の一撃を食らったのでは元も子もない。後から「あれは拙速だった」と反省する余地があったとしても、先ずは相手の動きを封じるのが先決だ--との教訓である。
健軍以来の帝国陸軍も、基本的にはこの慣例を踏襲して現場司令官を最大限に立てるのを習わしとしてきた。関東軍司令部が嫩江支隊に石原参謀を合流させたのだって、現地司令官の判断にすべてを委ねつつ司令部との間に齟齬を生まないよう措置するためであった。
ところが帝国陸海軍はいつの間にか、受け継いできたこの伝統をどこかに置き忘れてしまったようだ。それがちょうど大正から昭和のはじめにかけて、長いこと“有事”を経験しなかった時期と重なる。この間に軍隊は形式化し、官僚化が進んでしまって組織が硬直してしまった。
石原莞爾中佐から永山鉄山軍事課長へ宛てた手紙にある「現場のことはある程度、現場に任せてくれ」との訴えは、形骸化した中央に対する第一線からの率直な苦言であった。その声に耳を傾けようとしない中央の問題を取り上げないのは、やはりおかしいと言わざるを得ない。
なるほど確かに中央の取った措置は、政治的に正しかった。だが満洲の実情には沿わなかった。だから関東軍は「止まらなかった」のではなく、「止まれなかった」のである。現実を動かすのは理屈ではなく、切実さだ。そうして見れば、真に反省すべきは「拙速に走った出先」の方ではなく、「形式化して硬直した中央の組織」の方だったと考える。
戦時中は“精鋭”で通った関東軍が昭和三十年代になって突然地に落とされたのは、彼らが旧ソ連と対峙する軍隊だったことと無関係ではあるまい。サンフランシスコ講和条約が発効してGHQの占領が解け、合衆国の軍事的圧力が徐々に後退するのと反比例して北方からの諜報活動が浸透していったという。
だがすでに時代は大きく変わった。これにともない是正すべきは是正しておかないと、次いで来たる“有事”には備えられない。過酷な訓練を重ねてきた戦後自衛隊の“精鋭”たちが、「組織」によって見殺しにされるのだけは何としても避けねばならない。
中央と出先のすれ違い--。
芳澤と幣原の間に生じていたアンヴィバレントな関係は、奉天と中央統帥部の間にも起こっていた。
だがそのくらいの理不尽ならば、掃いて捨てるほど世間に有り余っている。
およそどこの組織であろうが、“中央”というものは“出先”に権限など与えない、もしくは権限を吸い上げようとするものだ。片やそれだからと言って、出先から吸い上げた権限に見合う責任を負うかといえば、それは実に覚束ない。理屈の上では対称なはずの“権限”と“責任”は、現実の世の中では常に非対称の関係にある。
それでも一般の世の中ならば、まかり通って何とか回ってしまうものだ。
ところが“有事”に直面した軍隊でこれが起こると、すぐさま前線の将兵の生死が危うくなる。だから満洲事変のさなかに関東軍が中央の意に反して行動を起こしたからといって、目くじら立てて一律に「独断専行だ」--などと非難すること自体が間違っている。緒方貞子※の問題の立て方に誤りがあった。それは有事に際しての軍隊組織の在り方を一般社会と同列に並べ、出先軍隊を会社の支店や役所の支所、あるいは現地法人などと混同して語ったところから生じた誤解に他ならない。
※『満洲事変~政策の形成過程』参照
常に戦場の“現実”が優先するのであって、輿論や政治はあくまで脇役に過ぎない。
軍隊には「閫外の重責※を担う」という不文律がある。「上意下達」や「上官の命令は絶対」の軍隊にあっても、中央統帥部はいわば「城門の内側」にある関係上、有事に際して遠く離れた戦場の様子をつぶさに把握して適時適切な指示を下せるものではない。
俗に「勝負は時の運」--というが如く、敵や味方の“勢い”だとか“運”だとか、さらには天候だとか地図に反映されていない地形の変化などの影響も加わって、戦況は常に有為転変を繰り返す。そうした機微なる情勢の変化をいち早く、総合的に読み取って可能な限り最善の判断を下せるのは、ひとえに現地の司令官を置いてほかにない。従って中央は全軍のバランスに意を配りつつ作戦を統括するが、個々の作戦実行においては現地司令官に全幅の信頼と権限を付与するのが“正常”な軍隊組織のあり方なのだ。
※閫外の重責=「敷居の外」という意味で、都の外にあって防人の任を果たす司令官への敬意を含む言葉。
同時に軍隊には「拙速なるも巧遅となるなかれ」との金言もある。
正しい措置を取ろうと思案投げ首している間に、敵の一撃を食らったのでは元も子もない。後から「あれは拙速だった」と反省する余地があったとしても、先ずは相手の動きを封じるのが先決だ--との教訓である。
健軍以来の帝国陸軍も、基本的にはこの慣例を踏襲して現場司令官を最大限に立てるのを習わしとしてきた。関東軍司令部が嫩江支隊に石原参謀を合流させたのだって、現地司令官の判断にすべてを委ねつつ司令部との間に齟齬を生まないよう措置するためであった。
ところが帝国陸海軍はいつの間にか、受け継いできたこの伝統をどこかに置き忘れてしまったようだ。それがちょうど大正から昭和のはじめにかけて、長いこと“有事”を経験しなかった時期と重なる。この間に軍隊は形式化し、官僚化が進んでしまって組織が硬直してしまった。
石原莞爾中佐から永山鉄山軍事課長へ宛てた手紙にある「現場のことはある程度、現場に任せてくれ」との訴えは、形骸化した中央に対する第一線からの率直な苦言であった。その声に耳を傾けようとしない中央の問題を取り上げないのは、やはりおかしいと言わざるを得ない。
なるほど確かに中央の取った措置は、政治的に正しかった。だが満洲の実情には沿わなかった。だから関東軍は「止まらなかった」のではなく、「止まれなかった」のである。現実を動かすのは理屈ではなく、切実さだ。そうして見れば、真に反省すべきは「拙速に走った出先」の方ではなく、「形式化して硬直した中央の組織」の方だったと考える。
戦時中は“精鋭”で通った関東軍が昭和三十年代になって突然地に落とされたのは、彼らが旧ソ連と対峙する軍隊だったことと無関係ではあるまい。サンフランシスコ講和条約が発効してGHQの占領が解け、合衆国の軍事的圧力が徐々に後退するのと反比例して北方からの諜報活動が浸透していったという。
だがすでに時代は大きく変わった。これにともない是正すべきは是正しておかないと、次いで来たる“有事”には備えられない。過酷な訓練を重ねてきた戦後自衛隊の“精鋭”たちが、「組織」によって見殺しにされるのだけは何としても避けねばならない。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
鈍牛
綿涙粉緒
歴史・時代
浅草一体を取り仕切る目明かし大親分、藤五郎。
町内の民草はもちろん、十手持ちの役人ですら道を開けて頭をさげようかという男だ。
そんな男の二つ名は、鈍牛。
これは、鈍く光る角をたたえた、眼光鋭き牛の物語である。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
局中法度
夢酔藤山
歴史・時代
局中法度は絶対の掟。
士道に叛く行ないの者が負う責め。
鉄の掟も、バレなきゃいいだろうという甘い考えを持つ者には意味を為さない。
新選組は甘えを決して見逃さぬというのに……。
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる