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第九章北満経略

第九章第十四節(ケンカ腰)

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                十四

 先刻は本庄司令官自身になだめられたこともあって、何とか上げた拳を下ろしたものの、その司令官をないがしろにする総長の“真意”を知ったとあって、片倉はいよいよ怒り心頭に発した。

「中央の作戦干渉も甚だしい! おそれ多くもっ……」
 そこで言葉を切って、直立不動の姿勢を取った。帝国軍人となったその日のしょぱなたたき込まれる所作しょさである。
おそれ多くもっ……」
 今度は対面する武田もこれにならった。天皇に関することを口にするときは、必ず直立不動の姿勢を取る。部屋の中には二人のほか誰もいなかったが、あたかもパブロフの犬のように本能的に反応した。理屈はない。ともかくそう叩き込まれるのだ。
おそれ多くも陛下の御名ぎょめいをみだりに語って軍を屈服させようとは、あさましいにもほどがあるっ!」
 武田を相手にふたたび声を張り上げた片倉は、相変わらず激しい口調で中央をこき下ろした。

 何と言っても総長は「委任命令」という“飛び道具”を使ってきた。もしこの場に石原参謀がいたならば、片倉をなだめ得ただろうか? それともさらに油を注いだだろうか? 
 当然、関東軍の側では「なぜ『勅令ちょくれい』ではないのか?」という話になった。陛下から直接の下命かめいとあらばつつしんではいするものを、「参謀総長」の職権で発せられる「委任命令」など容易に納得できるはずもない。
 
 片倉は三宅参謀長、板垣参謀ともよくよく相談した上で午後十時、ふたたび瀋陽館に本庄を訪ねた。
 血気にはやる若い連中をなだめすかし、出来るだけ中央と“こと”を構えないよう諸々もろもろ取り計らってきた本庄司令官だが、今度ばかりは片倉の具申を素直に受け入れ、再度総長へうかがいを立てることにした。

 「関参九九四号
貴電一一八号が参謀総長に与えられた特別権限なりとするならば、これに関して総長へ与えられた勅命ちょくめいのご通知をう。
  なお、右に関し“先例”とはいかなるものか、併せてご教示をわずらわしたい。本件は時局が終了するまでのことを想定しており、相当長期にわたるものであるから、この間統帥上の重大なる関係を惹起じゃっきすることがないとも限らないと恐れるが故に特にお伺いする次第である」

 「委任命令」をたてに権限を振り回すならば、陛下の「勅命ちょくめい」なるものを見せて見ろ! ついでに「先例に従い」と言うならば、いったい何時、何処であったどんな先例に従うというのか、具体的に示せ!--。
 まさにケンカ腰である。
 本庄自身もよほど腹を立てたのだろう。この日の彼の日記には次のようにある。

 「の日、参謀総長より、御委任を受け、関東軍及び隷下れいか部隊指揮の一部をつかさどるとの命令きたり、次いで嫩江のんこう支隊掩護隊の陳地を示し来る。統帥権を破るはなはだし」
 
 事変直後には「陸軍が一致団結して満蒙問題の一併いっぺい解決を図る」と決議したはずだったのに、軍中央と関東軍の間に生まれた溝は深まるばかりで一向に出口は見えなかった。関東軍の行動に猜疑さいぎの念を深くする軍中央と同様に、関東軍の側にも中央への拭い難い不信感と不平不満が溜まっていった。
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