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第九章北満経略

第九章第五節(十月事件)

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                 五

 中央と出先--。
 どうにも足並みの揃わない両者のすれ違いは、事変が深まるとともに距離を広げていった。その最たるものが十月十七日の晩、南次郎みなみじろう陸軍大臣から届いた「陸満一〇九号電」に始まる一連の騒動だった。
 
 「一、関東軍が帝国軍より独立して満蒙を支配せんとするが如き新たなる企図きとは之を差控さしひかふべし。
  二、一般の情勢は陸軍の意図の如く進捗しんちょくしつつあるを以て十分に意をやすんじて可なり」

 この日の早朝、参謀本部の橋本欣五郎はしもときんごろう中佐や長勇ちょういさむ大尉、根本博ねもとひろし中佐ら中堅幹部十二人が憲兵隊によって一斉検挙された。
 同じ年の三月に政府転覆を企てたのとほぼ同じ面々が、りもせずにふたたびクーデタを計画していたのが発覚したからだ。「十月事件」と呼ばれる今回の未遂事件では、取り調べを受けた首謀者の中から「計画には関東軍も一枚噛んでいて、内地にクーデタを起こすと同時に関東軍は陸軍から独立。満蒙の地に“理想の”『新国家』と樹立させる」との証言が飛び出した。
 これにあわてた南陸相が、「内地の方でも『満蒙問題の解決』にしっかり取り組むから、短気は起こすな」となだめてきたのだった。

 奉天で先ず電報を受け取ったのは片倉で、「あまりに馬鹿馬鹿しい」と一人で握りつぶすつもりだった。ところが杉山元すぎやまはじめ次官から同じ趣旨の電報が、多門二郎たもんじろう第二師団長や森連もりれん独立守備隊司令官、憲兵隊や混成旅団方面へも送られていたのが判明。そこで話を板垣、石原両参謀へ相談することにした。

 「何より首謀者がそう証言しているのだから間違いない」ということで、満洲事変と「十月事件」はセットで語られる向きがある。ここは「関東軍陰謀論」の“本丸”でもあるから下手へたなことは言えないが、少なくとも片倉衷は、事件の首謀者に関して「軍の威信を失墜させ軍を利用などする策士さくしは現役だろうと退役だろうと徹底的に極刑に処すべし」と吐き捨てた。さらにこの日の『日誌』にこうつづっている。

 「軍は一片の浮説ふせつに軽々に之を断じ、直接隷下れいか部隊へ伝達せらるるが如きは統帥権とうすいけん干犯かんぱん問題として之を重大視し、厳重なる抗議を中央部に提出し其の反省を促すに決す」

 ちなみに本庄司令官も日記にこう記しているので、併せて紹介しておく。

 「此日このひ東京に於いて少壮将校不穏事件あり、之に伴ひ、関東軍独立のきざしありとて差控さしひかゆべく電報し来る。
  此晩このばん関東軍不穏電、余り馬鹿らしく直ちに返電を発送す」

 片倉同様に「あまりに馬鹿馬鹿しい」と一蹴いっしゅうした司令官以下関東軍幕僚団は、十八日の晩遅く参集して対応を協議した。
 ここで問題となったのは、陸相が根も葉もないデマを鵜呑うのみにしたこともさることながら、杉山次官が本庄司令官の頭越しに駐箚ちゅうさつ師団や旅団、独立守備隊へ直接打電してきたことだった。このような行為は「統帥権の干犯」に当たるのみならず、軍司令官や幕僚団への不信任を意味する--という訳だ。断じて容認はできないと、電報の撤回を要求した。
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