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第八章理事会前夜
第八章第二十一節(栗山代理大使3)
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二十一
「十月の理事会が失敗した要因は、聯盟が民国側へ偏った支持を与えたからばかりではなく、華人社会へ『聯盟が蒋介石を支持していると』との印象を与えてしまったからなのです」
友人としての忌憚ない意見交換のはずだったのが、栗山はすっかり聯盟への苦情申し立てに没頭している。
おまけに話は何だか変な方へと向かい始めた。マシグリは当然とも言える疑問を呈した。
「どういうことですか? それは……」
すると栗山は、「よくぞ聞いてくれました」とばかり、話に一層の力を込めた。
「ライヒマンの策動もあって、聯盟があたかも南京政府を支持しているかのような印象を与えた結果、まとまりかけていた広東政府との和平交渉が振り出しに戻り、民国の政情は一層混迷を深めることとなったのです」
聯盟と民国の内政事情がどう結びつくのかサッパリ分からないから、反論のしようもない。極東の事情に疎いことが今になってボディーブローのように利いてきた。
「要するに、聯盟はライヒマンやコメールのような親中派の職員と民国代表部に操られ、自ら袋小路へと迷い込んだのです」
(ちょっと待て。それなら日本側にはまったく落ち度はないとでも言うのだろうか?)
言えばケンカになると思って黙っていたら、栗山は意外な方面へ話を転じた。
「先だってレジェ官房長とお二人で杉村公使にお会いになった際、満洲問題を『ポーランド回廊』※になぞらえて語られました。だが条約に基づき鉄道を経営してきた日本こそ『回廊』に相当するのであって、正当な権利を侵害してきた民国側こそドイツの侵入に該当するはずです。ドイツが回廊へ侵入してきたのに対抗してフランスとポーランドが出兵した場合、聯盟は独りフランスとポーランドのみへ撤兵を求めるでしょうか? レジェ官房長は主客を取り違えておられるっ!」
※ポーランド回廊=ポーランド北西部に位置する地域。かつてドイツ領だったがヴェルサイユ条約によりポーランド領へ編入された。住民のほぼ半数がドイツ系であり、かつバルト海への出入り口に位置することもあって、その帰属を巡って両国は過去何度も争ってきた。後の第二次世界大戦の発火点ともなる。
頭が一層こんがらがってきた。あのとき満洲問題を「ポーランド回廊問題」になぞらえたのは、果たして正解だっただろうか? 我々はただ、「悪例を作りたくなかった」だけである。日本人は“控え目”と信じてきたが、満洲の日本軍といい栗山といい、まるで手のつけられない狂犬のようだ。
その栗山は、極めつけにこうも言い放った。
「民国側を支援するのは結構ですが、排日運動やボイコットに晒されている日本の姿は、将来の英仏の運命であることをお忘れなきようっ!」
反英が転じて反日になったことを思えば、いつまた反英仏に戻ったとしてもおかしくはないとの趣旨だが、日本という格好の“餌食”を見つけた以上、今さら逆回転はないだろう。
マシグリもこの辺で多少は言い返しておく必要があると、日本側の“アキレス腱”を突いてみた。
「九月三十日の決議に際して日本側は、条約のことなんかひと言も触れなかったではないですか。それを十月になって突然持ち出したから、理事会が混乱したのです!」
「条約の確認はすなわち、日本人の生命財産の安全と密接に関係します。民国側が既存条約の有効性を争う限り、日本人の生命財産の安全は期し難い」
「民国側は日華諸条約を『武力による脅しのもと力づくで結ばされた』と主張しています」
「そのような言い分がまかり取るなら、ヴェルサイユ条約のごとく敗戦国ドイツへ押し付けられた条約の効力も疑わしくなります。条約はどのような状況の下に結ばれたものでも順守されなければなりません」
まったくああ言えばこう言う! 食えない男だ。マシグリはついに匙を投げた。
「ところで、どのような条約の効力を争っているのか、予め知っておいた方が良いのではないかと思うのですが……」
「聯盟が個々の条約にまで首を突っ込めば、理事会の混乱は底なしとなりますよ」
「いやいや、条約の中身ではなく主要な条項だけでいいのです」
「わかりました。本国に言って取り寄せましょう」
栗山は畳みかけるようにして、「この際聯盟は民国側へ圧力をかけつつ日本側と解決への具体案を協議すべきだ」とねじ込んだ。
「十月の理事会が失敗した要因は、聯盟が民国側へ偏った支持を与えたからばかりではなく、華人社会へ『聯盟が蒋介石を支持していると』との印象を与えてしまったからなのです」
友人としての忌憚ない意見交換のはずだったのが、栗山はすっかり聯盟への苦情申し立てに没頭している。
おまけに話は何だか変な方へと向かい始めた。マシグリは当然とも言える疑問を呈した。
「どういうことですか? それは……」
すると栗山は、「よくぞ聞いてくれました」とばかり、話に一層の力を込めた。
「ライヒマンの策動もあって、聯盟があたかも南京政府を支持しているかのような印象を与えた結果、まとまりかけていた広東政府との和平交渉が振り出しに戻り、民国の政情は一層混迷を深めることとなったのです」
聯盟と民国の内政事情がどう結びつくのかサッパリ分からないから、反論のしようもない。極東の事情に疎いことが今になってボディーブローのように利いてきた。
「要するに、聯盟はライヒマンやコメールのような親中派の職員と民国代表部に操られ、自ら袋小路へと迷い込んだのです」
(ちょっと待て。それなら日本側にはまったく落ち度はないとでも言うのだろうか?)
言えばケンカになると思って黙っていたら、栗山は意外な方面へ話を転じた。
「先だってレジェ官房長とお二人で杉村公使にお会いになった際、満洲問題を『ポーランド回廊』※になぞらえて語られました。だが条約に基づき鉄道を経営してきた日本こそ『回廊』に相当するのであって、正当な権利を侵害してきた民国側こそドイツの侵入に該当するはずです。ドイツが回廊へ侵入してきたのに対抗してフランスとポーランドが出兵した場合、聯盟は独りフランスとポーランドのみへ撤兵を求めるでしょうか? レジェ官房長は主客を取り違えておられるっ!」
※ポーランド回廊=ポーランド北西部に位置する地域。かつてドイツ領だったがヴェルサイユ条約によりポーランド領へ編入された。住民のほぼ半数がドイツ系であり、かつバルト海への出入り口に位置することもあって、その帰属を巡って両国は過去何度も争ってきた。後の第二次世界大戦の発火点ともなる。
頭が一層こんがらがってきた。あのとき満洲問題を「ポーランド回廊問題」になぞらえたのは、果たして正解だっただろうか? 我々はただ、「悪例を作りたくなかった」だけである。日本人は“控え目”と信じてきたが、満洲の日本軍といい栗山といい、まるで手のつけられない狂犬のようだ。
その栗山は、極めつけにこうも言い放った。
「民国側を支援するのは結構ですが、排日運動やボイコットに晒されている日本の姿は、将来の英仏の運命であることをお忘れなきようっ!」
反英が転じて反日になったことを思えば、いつまた反英仏に戻ったとしてもおかしくはないとの趣旨だが、日本という格好の“餌食”を見つけた以上、今さら逆回転はないだろう。
マシグリもこの辺で多少は言い返しておく必要があると、日本側の“アキレス腱”を突いてみた。
「九月三十日の決議に際して日本側は、条約のことなんかひと言も触れなかったではないですか。それを十月になって突然持ち出したから、理事会が混乱したのです!」
「条約の確認はすなわち、日本人の生命財産の安全と密接に関係します。民国側が既存条約の有効性を争う限り、日本人の生命財産の安全は期し難い」
「民国側は日華諸条約を『武力による脅しのもと力づくで結ばされた』と主張しています」
「そのような言い分がまかり取るなら、ヴェルサイユ条約のごとく敗戦国ドイツへ押し付けられた条約の効力も疑わしくなります。条約はどのような状況の下に結ばれたものでも順守されなければなりません」
まったくああ言えばこう言う! 食えない男だ。マシグリはついに匙を投げた。
「ところで、どのような条約の効力を争っているのか、予め知っておいた方が良いのではないかと思うのですが……」
「聯盟が個々の条約にまで首を突っ込めば、理事会の混乱は底なしとなりますよ」
「いやいや、条約の中身ではなく主要な条項だけでいいのです」
「わかりました。本国に言って取り寄せましょう」
栗山は畳みかけるようにして、「この際聯盟は民国側へ圧力をかけつつ日本側と解決への具体案を協議すべきだ」とねじ込んだ。
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