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第七章嫩江(ノンコウ)

第七章第二十三節(号外)

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                二十三

 「イモと石川のヤツ、いったい何やっとんのや。連絡くらいこしてもよさそうなもんやないか」
 村田は誰へともなく苛立いらだちをぶつけた。

 洸三郎と石川が支局を出て四日が経つが、二人からの音沙汰おとさたはとんとない。正確に言えば、洸三郎が洮南とうなんから送り返してきた連絡員が途中までの消息を伝えたのだが、村田の意識はすでにそこにはなく、嫩江ノンコウのことでいっぱいになっていた。
 戦闘の経過は通信社から刻々こくこくと伝わってくるが、特電とくでんに使うにはどれもあやしいものばかりだった。
 支局長の三池は連絡員をもっとつけてやれば良かったと、自分の采配さいはいいた。しかし、事変発生時には十数人いた特派員も三々五々さんさんごご帰朝きちょうしてしまった。現実問題として、支局にそれだけの人的余力はなかった。
 ライバル紙は短波無線たんぱむせんを携行しているとの噂もある。それが事実なら、大毎は報道合戦においてすでに負けている。この点はいずれ本社にけ合わねばならないだろう。

 二人はどうやって洸三郎と石川に連絡を付けるかで頭がいっぱいだった。だから支局のドアがヌッと開いたのに気付かなかった。
「ただいま帰りました……」
 聞き覚えのある声がして、そちらを振り返った。そこには泥にまみれでヨレヨレになったオーバーコートをまとった、巨躯きょくの男が立っていた。やつれたほおが伸び放題の無精髭ぶしょうひげに覆われたその顔は、すす砂塵さじんにまみれて真っ黒だった。

「きっ、君……、ワ・タ・ナ・ベくんか?」
 恐る恐るといった口調で、三池が声をかけた。村田はふとみょうなものを見たと思った。本人がここにいる訳がない。よもやと思い、眼をさすってみたが、夢ではない。
「どうやって帰ってきたんや?」
 素朴な疑問を投げかけた。
「いま、飛行機で帰ってきました。早くこれを――」
 洸三郎はそういうとコートの内ポケットかられた封筒を取り出し、三池へ差し出した。三池が原稿に目を通している間、洸三郎はそばにあるソファへどっかとくずれ落ちた。村田はきつねにつままれたように、その光景をながめた。洸三郎はまるで風船がしぼんでいくように脱力していった。

「しめたッ!」
 三池は歓喜かんきあふれた声を上げると、原稿を村田に渡し、机の上の頼信紙らいしんしをつかみ上げた。洸三郎の原稿には、つい今しがたまでの、しかも最前線の様子が鮮やかに描き出されていた。二人はすぐさま手分けして原稿を頼信紙に転写した。
 ソファからは轟々ごうごうとイビキが響いてきたが、このときばかりは誰もそれをうるさがらなかった。
 
 数時間後、秋の深まり行く大阪の街角まちかどに号外を知らせるかねの音が響いた。背広の紳士やインバネスを羽織はおった老人、詰襟つめえりの学生、ねんねこをまとった婦人が手に手に号外を受け取った。それは嫩江ノンコウの激戦を伝える洸三郎の労作だった。
 一陣の木枯らしに、黄色く染まったイチョウの葉が舞った。
 
 三日間続いたこの戦闘における日本側の戦死者は四十六人、負傷者は百五十一人を数えた。関東軍は部隊を逐次投入ちくじとうにゅうし、最終的には歩兵八個中隊(三個大隊)と野砲兵一個大隊、工兵一個中隊の計一五四四人に上った。日本側の火器は機関銃十一挺と歩兵砲、野砲各八門、山砲五門。
 対する馬占山軍は、歩兵一五〇〇、大砲二〇門、迫撃砲十二門、騎兵五百、衛隊一三〇〇と記録されている。

続く
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