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第七章嫩江(ノンコウ)

第七章第十五節(迂回作戦)

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                十五

 敵の銃砲弾は絶え間なく降ってくる。千次はこんなにふんだんに弾薬を使える敵軍がうらやましかった。

 日本の歩兵は百二十発の小銃弾を持っているきりで、砲兵にしたって人力じんりきで運べる数の砲弾しか撃てないのだから、戦力としてはすでに劣勢である。その差を気力きりょく胆力たんりょくで埋めるのが、日清戦争以来の帝国陸軍の伝統となっている。おろかな伝統だが、戦場で単純に戦力比較などしても仕方がない。ともかく馬占山ばせんざん軍を押し返すしかないのだ。

 前方に第五鉄道橋が見えてきた。工兵隊や前進をはばまれた第七中隊らしき兵隊たちが散開さんかいして地面に伏せているのがわかった。橋のたもとに軍旗がはためいている。そこが司令部の塹壕なのだろう。
 当然、敵もそこを目掛めがけて撃ってくる。千次が見ただけでも続けざまに五、六発の砲弾が炸裂した。司令部の危機に全軍が肝を冷やしたが、ひとの心配をよそに塹壕の中では人影がせわしなく行き交った。司令部の心配などしているそばから、千次たちの許へも敵の砲弾は降ってきた。わずか三メートルばかり離れたところへ落ちてきたときは、さすがに生きた心地がしなかった。そのまま部隊はすっかりその場へくぎ付けとなってしまった。

 司令部は膠着こうちゃくした戦況を打開するため、側面への迂回うかい企図きとした。第五中隊を呼び集める声がして、湿地の中から兵隊たちがムクムクと起き上がった。どの姿も泥にまみれた木像のようだ。それらがモゾモゾと集まり、遠矢忠とおやただし中隊長を先頭に東の方へ遠ざかって行った。

 それからややあって後方がざわついたかと思ったら、砲兵隊が山砲さんぽうかついで前線へ出てきた。馬や牽引車けんいんしゃを使わなければ移動できない野砲と違って、山砲は分解して人力でも運べるのが特長だ。それこそ山岳地帯でも使えるから山砲という訳である。使い勝手の良さから日本陸軍は各連隊にこの砲を配備し、運用した。兵隊たちはこれを“聯隊砲れんたいほう”と呼んで親しんだ。

 砲兵隊は支隊主力を通り越して司令部の塹壕のすぐ近くまで前進した。そこに二門の山砲を据えた。

 霧が晴れたのは陽も傾きかけた頃だった。
 準備を整えると山砲はすぐに火をいた。彼方かなたの高地に土煙が上がるのが見えたが、敵の砲撃を黙らせるどころか火に油を注ぐ結果を招いた。

 第五中隊が向かった方面にも黒煙が立ち上った。
 敵に気づかれたようだ。敵の砲撃が第五中隊に集中いている間に支隊は少し前進するが、動き出すと今度はこちらが狙われる。砲撃の間はじっと伏せたままでいるしかない。しばらくすると敵は標的を変えるので、そのうちにまた少し前進する。だがこれではなかなか前へは進まない。

 煙草が吸いたくなった。今は演習ではないと自分をいましめた。けれども吸いたい。「どうした千次。喉の渇きに耐えたではないか」と心にむちを打つ。だが一度頭をよぎるとどうしようもなくなった。とうとうポケットをさぐり一本取り出した。光がれないように手で隠しながらマッチをる。煙を深く吸い込み、ふうと吐いた。うまい。やっぱりうまかった。

 そうこうしているうちに陽が暮れてきた。前線はすっかり膠着こうちゃくしたままだ。午後六時、千次たちの第六中隊にも移動命令が出た。
「全員集合! これより敵左翼の高地へ向かう」

 先ず将校斥候せっこうが先に出た。続いて小薗江おぞえ大隊長自らの指揮で前進が始まった。
 目標の丘を登るには沼地を越えていかなければならない。身のたけほどもあるあしの林をかき分けて水の中へ入る。散々泥濘でいねいに足を取られてきたが、沼の中はさらに足が喰い込む。下腹したばらまで水に浸かりグシャグシャだ。機関銃隊の馬が倒れそうになり、当番兵が必死に起こしてやる。大隊長の馬は引き返してしまった。水の中は外より暖かいが気持ちが悪い。夜になったこともあって上半身は恐ろしく寒かった。
 やっとのことで沼を渡り切ったかと思うと、今度は収穫を終えた高梁コウリャン畑が現れた。高梁コウリャン切りかぶにつかえながらうねの上を進む。前進、また前進である。演習の夜間行軍とはまるで勝手が違った。とにかく寒い。寒いといったらない。歩くうちにぐしょ濡れになった衣服が凍りはじめた。
 丘の上に着いたのは夜十時近かった。そこに第五中隊の負傷者たちがいた。黒龍江軍の捕虜もいた。その中に裸の敵兵がいた。服は日本兵がいで、味方の負傷兵へ着せたのだった。空には今にも降ってくるような星がまたたいていた。
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