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第七章嫩江(ノンコウ)
第七章第十四節(負傷兵)
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十四
その頃、江橋駅に残った支隊主力は引込線の貨車の中で昼食の最中だった。早いものは食べ終えて煙草を吹かしている。
第六中隊の千次が小便をしに外へ出ると、遠くで砲声がこだました。
「おやっ?」
間もなく支隊司令部の貨車から伝令走ってきて、次々に貨車へ飛び込んではまた飛び出した。緊急集合の号令だ。貨車の中がにわかに騒がしくなるのが外にいてもわかった。中隊指揮所で誰かが怒鳴っているのが聞こえた。
前日に嫩江河畔へ布陣した野砲隊が、一斉射撃を始めた。砲弾は次々と撃ち出されたが、深く立ち込めた霧が観測班の仕事を困難にした。
仰角を修正してもう一度撃ち出す。さらに修正してまた撃ち出す……。
だが、弾着点はどうしても敵陣へ届かない。正確な地図を持っていないのと濃い霧の中だったのが災いして、砲兵隊は完全に目測を誤った。敵は日本軍の射程外にいたのだ!
こうした場合は陣地変換をして距離を詰めるのが定石だが、前進しようにも橋が崩れて近づけない。幕僚たちは当惑の色を隠せなかった。
ついぞ支隊主力へも前進命令が下った。
「背嚢はここに残せ。各自銃と弾薬を携行し整列」
貨車の中から兵隊たちがぞろぞろ出てきて、慌ただしく整列した。すぐさま「右向け、前進!」の号令がかかる。
行軍はすぐに歩度を上げ、やがて速歩となった。進むにつれてぐんぐん速くなる。速い! 速い! 誰もかれもが、ともかく落伍しまいと必死で前の者に続いた。
第一鉄道橋をそろりそろりと渡ったあとは、ほとんど駆け足になった。
「駆け足! 駆け足!」
分隊長の号令がかかる。肩に銃の重みがのしかかってくる。千次の息は上がり、分隊員もずいぶんと顎が上がった。
第二鉄道橋を過ぎて第三鉄道橋も過ぎた頃、前線から伝令が走ってきた。味方に負傷者がたくさん出たという。先ずは知った者がやられなかったかを心配したが、知り合いでなくとも味方がやられたということに衝撃が走った。早く援軍にいってやらねばという気運が線路上の部隊に広がった。
まごまごしてはいられない。駆け足! 前進!――。部隊は再び動き出した。
駆け足はさらに速くなった。
喉が渇いたが水を飲む余裕などない。そんなことをしている間に、多くの味方がやられてしまう。仕方がないと諦めて駆け足前進した。第四鉄道橋が見えてきた。最前線はもう目と鼻の先だ。
第五鉄道橋が近づくにつれて、あちらに二組、こちらに三組と負傷兵たちがかたまり、うずくまっているのが見えた。苦しそうに唸る声が聞こえるようだ。衛生兵が付いて手当てを施すが、傷口に巻いた包帯はすぐ血に赤く染まる。襦袢を透して分厚い冬服を赤く染めている者もいる。
何ということだ。情勢は一刻を争った。
線路の向こうからまた負傷兵が運ばれてきた。自分で歩いてくる者もいる。戦友の肩を借りて足を引きずりながらくる者もいる。前線へと向かう部隊からは、「頑張ったな」、「敵はとってやるぞ」と声が飛ぶ。
「なあに傷は浅いから心配するな」
担架で運ばれてきた兵士が、土気色した顔で強がってみせた。そして、「早く一線へ行って味方を助けてくれ」と声を絞り出した。傷は浅いという負傷者に限って出血は多い。自分は大丈夫だからと、衛生兵にほかの負傷者を診てくれるよう頼むのだった。
前線を離れた負傷者たちと行き交ったあたりから、千次たち援軍も敵の砲撃に晒されるようになった。その攻勢は予想以上だった。
野砲、山砲、迫撃砲に小銃、機関銃……、何でもありだ。
しわしわ、ひゅーひゅーと頭上で唸り、だああんっと地面を轟かす。舞い上がった土砂が落ちてきて、鉄兜をバタバタ叩く。ここから先はとても線路伝いに進めない。部隊は盛土を下りて、湿地の泥濘に足をとられながらゆっくりと先へ進んだ。
すると後方からサイドカーが一台走ってきた。線路道を一目散に走ってくるので、敵の格好の標的となった。だがサイドカーは銃砲弾が雨あられと降ってくる中を、ひるむことなく疾走した。そのうち敵の一弾がサイドカーのすぐ手前で炸裂した。
ごおおぅっという音とともに、もうもうと黒煙が上がり、土砂や砂利石が舞い上がった。サイドカーはその中へ消えた。やられたな。そう思ったら煙の中から颯爽と抜け出し、敵弾をものともせずに前線へと走り去った。
その頃、江橋駅に残った支隊主力は引込線の貨車の中で昼食の最中だった。早いものは食べ終えて煙草を吹かしている。
第六中隊の千次が小便をしに外へ出ると、遠くで砲声がこだました。
「おやっ?」
間もなく支隊司令部の貨車から伝令走ってきて、次々に貨車へ飛び込んではまた飛び出した。緊急集合の号令だ。貨車の中がにわかに騒がしくなるのが外にいてもわかった。中隊指揮所で誰かが怒鳴っているのが聞こえた。
前日に嫩江河畔へ布陣した野砲隊が、一斉射撃を始めた。砲弾は次々と撃ち出されたが、深く立ち込めた霧が観測班の仕事を困難にした。
仰角を修正してもう一度撃ち出す。さらに修正してまた撃ち出す……。
だが、弾着点はどうしても敵陣へ届かない。正確な地図を持っていないのと濃い霧の中だったのが災いして、砲兵隊は完全に目測を誤った。敵は日本軍の射程外にいたのだ!
こうした場合は陣地変換をして距離を詰めるのが定石だが、前進しようにも橋が崩れて近づけない。幕僚たちは当惑の色を隠せなかった。
ついぞ支隊主力へも前進命令が下った。
「背嚢はここに残せ。各自銃と弾薬を携行し整列」
貨車の中から兵隊たちがぞろぞろ出てきて、慌ただしく整列した。すぐさま「右向け、前進!」の号令がかかる。
行軍はすぐに歩度を上げ、やがて速歩となった。進むにつれてぐんぐん速くなる。速い! 速い! 誰もかれもが、ともかく落伍しまいと必死で前の者に続いた。
第一鉄道橋をそろりそろりと渡ったあとは、ほとんど駆け足になった。
「駆け足! 駆け足!」
分隊長の号令がかかる。肩に銃の重みがのしかかってくる。千次の息は上がり、分隊員もずいぶんと顎が上がった。
第二鉄道橋を過ぎて第三鉄道橋も過ぎた頃、前線から伝令が走ってきた。味方に負傷者がたくさん出たという。先ずは知った者がやられなかったかを心配したが、知り合いでなくとも味方がやられたということに衝撃が走った。早く援軍にいってやらねばという気運が線路上の部隊に広がった。
まごまごしてはいられない。駆け足! 前進!――。部隊は再び動き出した。
駆け足はさらに速くなった。
喉が渇いたが水を飲む余裕などない。そんなことをしている間に、多くの味方がやられてしまう。仕方がないと諦めて駆け足前進した。第四鉄道橋が見えてきた。最前線はもう目と鼻の先だ。
第五鉄道橋が近づくにつれて、あちらに二組、こちらに三組と負傷兵たちがかたまり、うずくまっているのが見えた。苦しそうに唸る声が聞こえるようだ。衛生兵が付いて手当てを施すが、傷口に巻いた包帯はすぐ血に赤く染まる。襦袢を透して分厚い冬服を赤く染めている者もいる。
何ということだ。情勢は一刻を争った。
線路の向こうからまた負傷兵が運ばれてきた。自分で歩いてくる者もいる。戦友の肩を借りて足を引きずりながらくる者もいる。前線へと向かう部隊からは、「頑張ったな」、「敵はとってやるぞ」と声が飛ぶ。
「なあに傷は浅いから心配するな」
担架で運ばれてきた兵士が、土気色した顔で強がってみせた。そして、「早く一線へ行って味方を助けてくれ」と声を絞り出した。傷は浅いという負傷者に限って出血は多い。自分は大丈夫だからと、衛生兵にほかの負傷者を診てくれるよう頼むのだった。
前線を離れた負傷者たちと行き交ったあたりから、千次たち援軍も敵の砲撃に晒されるようになった。その攻勢は予想以上だった。
野砲、山砲、迫撃砲に小銃、機関銃……、何でもありだ。
しわしわ、ひゅーひゅーと頭上で唸り、だああんっと地面を轟かす。舞い上がった土砂が落ちてきて、鉄兜をバタバタ叩く。ここから先はとても線路伝いに進めない。部隊は盛土を下りて、湿地の泥濘に足をとられながらゆっくりと先へ進んだ。
すると後方からサイドカーが一台走ってきた。線路道を一目散に走ってくるので、敵の格好の標的となった。だがサイドカーは銃砲弾が雨あられと降ってくる中を、ひるむことなく疾走した。そのうち敵の一弾がサイドカーのすぐ手前で炸裂した。
ごおおぅっという音とともに、もうもうと黒煙が上がり、土砂や砂利石が舞い上がった。サイドカーはその中へ消えた。やられたな。そう思ったら煙の中から颯爽と抜け出し、敵弾をものともせずに前線へと走り去った。
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