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第七章嫩江(ノンコウ)
第七章第九節(嫩江支隊)
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九
毛布をたたんで着替えを済ませ、整列、点呼まで五分。その後諸々の準備を整えて兵舎の外へ整列したのは一時間後の午前四時だった。
この頃には「どうやら北満方面へ行くらしい」との噂が漏れ伝わった。
出動は第二大隊のみ。もともと第一大隊は内地に残留したし、第三大隊も吉林の警備に残った。歩兵第二大隊を基幹隊に野砲兵第二大隊および工兵第二中隊を編入して「支隊」を編成し、濱本喜三郎聯隊長がそれを指揮することとなった。
「支隊」とは、作戦の規模に応じて正規の編成から大隊規模の部隊を複数集めて構成する戦闘単位のこと。これに対して一個聯隊を基幹に複数の聯隊や大隊を組み合わせた単位を「旅団」と呼ぶ。
「ここまできて留守番は辛いなぁ」
第三大隊の連中が悔しがるのを聞いて、千次たちは優越感に浸った。
出発前、山田曹長が一升瓶を抱えてやってきて、各自に注いでくれた。飲み干した盃を隣へまわし、「これが別れの盃か」などと取ってつけたセリフを吐いてみた。
まだ深いしじまの中を、駅へと行進する。
駅には軍用列車がしつらえてあり、機関車が白い蒸気を吐いていた。屋根のない貨車が何両も連なり、一両に四個分隊ずつ乗車して出発を待った。
吉林へ駐屯して早一カ月。特別何ということがあった訳ではないが、思えば居心地の良いところだった。名残惜しさを覚えつつ、街へ別れを告げた。
列車が長春へ着いたのは昼近くのこと。
駅は歓迎の人でごった返し、誰も彼もが日の丸の小旗を振っていた。まるで長春中の日本人が集まってきたかのようだった。
背広姿があれば、着流しもいた。帽子を被ったのや丸坊主、七三にきっちりなでつけたのや、ごま塩頭もいた。男ばかりではない。おかみさん連中もいたし、若い女の姿もあった。爺イがいたかと思えば婆アもいた。どこかの小学生が先生に連れられてきていた。
まったく猫もいれば、杓子もいた……。
そうした人だかりがみんなで「ばんざい、ばんざーい」を叫んだ。あちらで「ばんざい」の声が起こると、こちらでも「ばんざーいっ」と叫ぶ。こちらが止めばまたどこかで「ばんざーいっ」が起こって、こっちも負けずにまた「ばんざーいっ」とやった。
「ばんざい、ばんざい」の声に迎えられた列車は、「ばんざい、ばんざい」に見送られて静かに駅を離れた。
長春で野砲兵大隊の一個中隊と工兵一個中隊が合流した。
出発前、正式に行く先のお達しがあった。
「支隊はこれより嫩江橋梁修復の掩護に向かう」
小薗江邦雄大隊長の司令は各中隊長へ伝達され、小隊長を経て各分隊長に下りてきた。
「ノンコウってどこだ?」
行き先を知らされても、それが地図上のどこにあるのか知っている者はいなかった。
吉林を出る前には「すわっ、いよいよ実戦か!」と緊張が走ったが、結局はいつもの警備活動となりそうだ。
「まあ、それはそれでいいか……」
千次はなるようになるしかならないといった心持ちで、貨車の囲いの隙間から外の景色を眺めた。見渡すばかりの地平線が、延々と続いている。
新潟港を出帆して大海原へ出たとき、彼は生まれて初めて四囲を海に囲まれた。遥か彼方の水平線が心なしか“まあるい”ような気がして、学校で習った「地球は丸い」という話が本当だったと実感した。満洲の荒野を汽車で揺られながら、このときの体験を思い起こした。延々と続く地平線の彼方が何となく“まあるく”見えてきた。
長春までは無蓋貨車に天幕を張っただけの粗末な仕立てだった。長春で屋根付きの貨車へ乗せてもらったが、スチームが壊れていて暖房が効かない。日中でも零下という北満の荒野をこれで疾走するのだから、兵隊たちはたまったものではない。車中で配られた握り飯も氷のように冷たかった。このまま車中で凍え死んでしまうのではないかとすら思えた。
四平街へ着いたのは二日の午後四時頃。ここで列車を編成替えするため、全員下車した。軍馬が下ろされ集められた。長距離移動中に食欲不振に陥ったり病気になったりする馬が少なくないと聞いた。兵隊よりも馬の方が大切にされているようで、嫉妬を覚えた。
軍用列車は三編成となり、第一列車は午後六時に出発。それに続いて三十分置きに第二列車、第三列車と続いた。この日の夜、鄭家屯で野砲兵大隊主力と工兵小隊が加わって支隊の編成は完成した。
毛布をたたんで着替えを済ませ、整列、点呼まで五分。その後諸々の準備を整えて兵舎の外へ整列したのは一時間後の午前四時だった。
この頃には「どうやら北満方面へ行くらしい」との噂が漏れ伝わった。
出動は第二大隊のみ。もともと第一大隊は内地に残留したし、第三大隊も吉林の警備に残った。歩兵第二大隊を基幹隊に野砲兵第二大隊および工兵第二中隊を編入して「支隊」を編成し、濱本喜三郎聯隊長がそれを指揮することとなった。
「支隊」とは、作戦の規模に応じて正規の編成から大隊規模の部隊を複数集めて構成する戦闘単位のこと。これに対して一個聯隊を基幹に複数の聯隊や大隊を組み合わせた単位を「旅団」と呼ぶ。
「ここまできて留守番は辛いなぁ」
第三大隊の連中が悔しがるのを聞いて、千次たちは優越感に浸った。
出発前、山田曹長が一升瓶を抱えてやってきて、各自に注いでくれた。飲み干した盃を隣へまわし、「これが別れの盃か」などと取ってつけたセリフを吐いてみた。
まだ深いしじまの中を、駅へと行進する。
駅には軍用列車がしつらえてあり、機関車が白い蒸気を吐いていた。屋根のない貨車が何両も連なり、一両に四個分隊ずつ乗車して出発を待った。
吉林へ駐屯して早一カ月。特別何ということがあった訳ではないが、思えば居心地の良いところだった。名残惜しさを覚えつつ、街へ別れを告げた。
列車が長春へ着いたのは昼近くのこと。
駅は歓迎の人でごった返し、誰も彼もが日の丸の小旗を振っていた。まるで長春中の日本人が集まってきたかのようだった。
背広姿があれば、着流しもいた。帽子を被ったのや丸坊主、七三にきっちりなでつけたのや、ごま塩頭もいた。男ばかりではない。おかみさん連中もいたし、若い女の姿もあった。爺イがいたかと思えば婆アもいた。どこかの小学生が先生に連れられてきていた。
まったく猫もいれば、杓子もいた……。
そうした人だかりがみんなで「ばんざい、ばんざーい」を叫んだ。あちらで「ばんざい」の声が起こると、こちらでも「ばんざーいっ」と叫ぶ。こちらが止めばまたどこかで「ばんざーいっ」が起こって、こっちも負けずにまた「ばんざーいっ」とやった。
「ばんざい、ばんざい」の声に迎えられた列車は、「ばんざい、ばんざい」に見送られて静かに駅を離れた。
長春で野砲兵大隊の一個中隊と工兵一個中隊が合流した。
出発前、正式に行く先のお達しがあった。
「支隊はこれより嫩江橋梁修復の掩護に向かう」
小薗江邦雄大隊長の司令は各中隊長へ伝達され、小隊長を経て各分隊長に下りてきた。
「ノンコウってどこだ?」
行き先を知らされても、それが地図上のどこにあるのか知っている者はいなかった。
吉林を出る前には「すわっ、いよいよ実戦か!」と緊張が走ったが、結局はいつもの警備活動となりそうだ。
「まあ、それはそれでいいか……」
千次はなるようになるしかならないといった心持ちで、貨車の囲いの隙間から外の景色を眺めた。見渡すばかりの地平線が、延々と続いている。
新潟港を出帆して大海原へ出たとき、彼は生まれて初めて四囲を海に囲まれた。遥か彼方の水平線が心なしか“まあるい”ような気がして、学校で習った「地球は丸い」という話が本当だったと実感した。満洲の荒野を汽車で揺られながら、このときの体験を思い起こした。延々と続く地平線の彼方が何となく“まあるく”見えてきた。
長春までは無蓋貨車に天幕を張っただけの粗末な仕立てだった。長春で屋根付きの貨車へ乗せてもらったが、スチームが壊れていて暖房が効かない。日中でも零下という北満の荒野をこれで疾走するのだから、兵隊たちはたまったものではない。車中で配られた握り飯も氷のように冷たかった。このまま車中で凍え死んでしまうのではないかとすら思えた。
四平街へ着いたのは二日の午後四時頃。ここで列車を編成替えするため、全員下車した。軍馬が下ろされ集められた。長距離移動中に食欲不振に陥ったり病気になったりする馬が少なくないと聞いた。兵隊よりも馬の方が大切にされているようで、嫉妬を覚えた。
軍用列車は三編成となり、第一列車は午後六時に出発。それに続いて三十分置きに第二列車、第三列車と続いた。この日の夜、鄭家屯で野砲兵大隊主力と工兵小隊が加わって支隊の編成は完成した。
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