上 下
126 / 466
第七章嫩江(ノンコウ)

第七章第九節(嫩江支隊)

しおりを挟む
                 九
 
 毛布をたたんで着替えを済ませ、整列、点呼まで五分。その後諸々もろもろの準備を整えて兵舎の外へ整列したのは一時間後の午前四時だった。

 この頃には「どうやら北満方面へ行くらしい」との噂がれ伝わった。
 出動は第二大隊のみ。もともと第一大隊は内地に残留したし、第三大隊も吉林の警備に残った。歩兵第二大隊を基幹隊に野砲兵第二大隊および工兵第二中隊を編入して「支隊したい」を編成し、濱本喜三郎はまもときさぶろう聯隊長がそれを指揮することとなった。
 「支隊」とは、作戦の規模に応じて正規の編成から大隊規模の部隊を複数集めて構成する戦闘単位のこと。これに対して一個聯隊を基幹に複数の聯隊や大隊を組み合わせた単位を「旅団りょだん」と呼ぶ。

「ここまできて留守番は辛いなぁ」
 第三大隊の連中がくやしがるのを聞いて、千次たちは優越感ゆうえつかんに浸った。
 出発前、山田曹長が一升瓶を抱えてやってきて、各自に注いでくれた。飲み干したさかずきを隣へまわし、「これが別れの盃か」などと取ってつけたセリフをいてみた。

 まだ深いしじまの中を、駅へと行進する。
 駅には軍用列車がしつらえてあり、機関車が白い蒸気を吐いていた。屋根のない貨車が何両も連なり、一両に四個分隊ずつ乗車して出発を待った。
 吉林きつりんへ駐屯してはや一カ月。特別何ということがあった訳ではないが、思えば居心地の良いところだった。名残惜なごりおしさを覚えつつ、街へ別れを告げた。

 列車が長春ちょうしゅんへ着いたのは昼近くのこと。
 駅は歓迎の人でごった返し、誰も彼もが日の丸の小旗を振っていた。まるで長春中の日本人が集まってきたかのようだった。
 背広姿があれば、着流きながしもいた。帽子をかぶったのや丸坊主、七三にきっちりなでつけたのや、ごま塩頭もいた。男ばかりではない。おかみさん連中もいたし、若い女の姿もあった。じじイがいたかと思えばばばアもいた。どこかの小学生が先生に連れられてきていた。
 まったく猫もいれば、杓子しゃくしもいた……。

 そうした人だかりがみんなで「ばんざい、ばんざーい」を叫んだ。あちらで「ばんざい」の声が起こると、こちらでも「ばんざーいっ」と叫ぶ。こちらが止めばまたどこかで「ばんざーいっ」が起こって、こっちも負けずにまた「ばんざーいっ」とやった。
 「ばんざい、ばんざい」の声に迎えられた列車は、「ばんざい、ばんざい」に見送られて静かに駅を離れた。
 長春で野砲兵大隊の一個中隊と工兵一個中隊が合流した。

 出発前、正式に行く先のおたっしがあった。
「支隊はこれより嫩江ノンコウ橋梁修復の掩護えんごに向かう」
 小薗江邦雄おぞえくにお大隊長の司令は各中隊長へ伝達され、小隊長を経て各分隊長に下りてきた。

「ノンコウってどこだ?」
 行き先を知らされても、それが地図上のどこにあるのか知っている者はいなかった。
 吉林を出る前には「すわっ、いよいよ実戦か!」と緊張が走ったが、結局はいつもの警備活動となりそうだ。
「まあ、それはそれでいいか……」
 千次はなるようになるしかならないといった心持こころもちで、貨車のかこいの隙間すきまから外の景色をながめた。見渡すばかりの地平線が、延々えんえんと続いている。
 新潟港を出帆しゅっぱんして大海原おおうなばらへ出たとき、彼は生まれて初めて四囲しいを海に囲まれた。はる彼方かなたの水平線が心なしか“まあるい”ような気がして、学校で習った「地球は丸い」という話が本当だったと実感した。満洲の荒野を汽車でられながら、このときの体験を思い起こした。延々と続く地平線の彼方が何となく“まあるく”見えてきた。
 
 長春までは無蓋貨車むがいかしゃ天幕てんまくを張っただけの粗末な仕立てだった。長春で屋根付きの貨車へ乗せてもらったが、スチームが壊れていて暖房がかない。日中でも零下という北満の荒野をこれで疾走するのだから、兵隊たちはたまったものではない。車中で配られた握り飯も氷のように冷たかった。このまま車中で凍え死んでしまうのではないかとすら思えた。

 四平街しへいがいへ着いたのは二日の午後四時頃。ここで列車を編成替えするため、全員下車した。軍馬が下ろされ集められた。長距離移動中に食欲不振におちいったり病気になったりする馬が少なくないと聞いた。兵隊よりも馬の方が大切にされているようで、嫉妬しっとを覚えた。
 軍用列車は三編成となり、第一列車は午後六時に出発。それに続いて三十分置きに第二列車、第三列車と続いた。この日の夜、鄭家屯ていかとんで野砲兵大隊主力と工兵小隊が加わって支隊の編成は完成した。 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

鈍牛 

綿涙粉緒
歴史・時代
     浅草一体を取り仕切る目明かし大親分、藤五郎。  町内の民草はもちろん、十手持ちの役人ですら道を開けて頭をさげようかという男だ。    そんな男の二つ名は、鈍牛。    これは、鈍く光る角をたたえた、眼光鋭き牛の物語である。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

局中法度

夢酔藤山
歴史・時代
局中法度は絶対の掟。 士道に叛く行ないの者が負う責め。 鉄の掟も、バレなきゃいいだろうという甘い考えを持つ者には意味を為さない。 新選組は甘えを決して見逃さぬというのに……。

大日本帝国、アラスカを購入して無双する

雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。 大日本帝国VS全世界、ここに開幕! ※架空の日本史・世界史です。 ※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。 ※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。

処理中です...