上 下
123 / 466
第七章嫩江(ノンコウ)

第七章第六節(聯隊本部)

しおりを挟む
                 六

 聯隊本部の塹壕ざんごうは第五橋梁のすぐ脇に掘られていて、絶えず馬占山軍の砲火にさらされていた。

 雨あられと砲弾が降り注ぐなかを「南無三なむさんっ!」とばかりにくぐりぬけ、司令部へたどり着いた。
 吹き上げられた土砂が時おり降りかかる。頼りなく揺らめくランプの光の下で、関東軍参謀の石原莞爾いしはらかんじ中佐と濱本喜三郎はまもときさぶろう聯隊長が地図を広げて作戦を練っていた。パラパラ降りかかる土ぼこりを手で振り払い、濱本聯隊長が熱弁をふるっていた。

 ふと人の気配に気づいた石原参謀が、こちらを見た。
「誰かね?」
「ほっ、報道です……。大毎のワタナベと申します」
「イシカワです」
 二人はおずおずと名乗った。
「なんや、新聞屋かい」
 濱本聯隊長がけわしい目を向けてきた。語尾に関西風のイントネーションがあった。
「こんなところへ来ちゃいかん。危険だからすぐに引き返しなさい」

 参謀にそう言われて、洸三郎は小躍こおどりした。他社はまだ来ていないということだ。遅れを取り戻そうと闇夜のなかをずんずん進んで、ついに最前線まで来てしまった。それが幸いした。
 あとで知ったことだが、現地へ一番乗りした記者は三日の晩に江橋こうきょうへ着いたが、そのまま引き込み線の列車内に待機していたのだという。

「内地の国民へ前線の様子を知らせるのが我々報道の使命です。たと大事だいじにいたろうとも、軍と行動をともにいたします」
 洸三郎が大見栄おおみえを切って見せたのとほぼ同時に、塹壕のすぐ近くで敵の砲弾が炸裂した。洸三郎と石川はヒャッと腰を抜かしてその場にへたれ込んでしまった。

「ハハハハ。それ、言わんこっちゃない」
 石原参謀が横合いからそう言って高笑いした。
「今夜は大変なことになるよ。引き返すならいまのうちだ」
 参謀はロイド眼鏡の奥で光る洸三郎のどんぐりまなこを品定めした。
 負けじと見返してくる洸三郎に眼光に他意たいがないのを見取った参謀は、「まあ、いいでしょう」と濱本聯隊長へ同意を促した。その上で「くれぐれも注意するんだよ」と東北なまりの声で言った。
しおりを挟む

処理中です...