111 / 466
第六章(十月理事会)
第六章第三十二節(潮目)
しおりを挟む
三十二
「少しは聯盟の顔も立てるべき」との声は、欧州各地に駐在する同僚の大使たちからも上がってきた。
ロンドンの松平大使は本省へ向けて、「我が方があくまで態度を固執し聯盟を窮地に追いやれば、ワシントン会議以来蓄積してきた国際協調や世界平和の確立に対する我が国の信用をすべて投げ打つこととなり、国際的な孤立を招くのは避けられない」と警鐘を鳴らす。
シベリア出兵時、ウラジオストーク派遣軍の政務部長を務めた松平恒雄は、自らの経験を踏まえて「こうした問題は長引けば長引くほど撤兵の実行がますます困難になる。これはシベリア出兵の末期において当時政府および軍部の経験したところである」と、問題の早期解決を訴える。パリの栗山茂臨時代理大使も、「この潮時を利用して理事会に局面打開の機会を与える方が得策ではないか」と協調路線を具申した。
幣原外相はなおも、「遠隔の地にあって事情に疎い政治家が欧州の一部局における問題のごとく簡単に取扱うべきことではない。とくに理事会は充分な認識を持つべき」と片意地を張るが、その底意はぐらつき始める。
すると、折よくヨーロッパの新聞が芳澤の法律論を支持する論調を展開しはじめた。日本の軍事行動を「強圧的」となじった聯盟側の、日本に対する処置こそがまさに「強圧的」になっていくのを、新聞記者たちは見逃さなかった。
その急先鋒となったのが、ブリアン議長のお膝下であるフランスの新聞界だった。芳澤が展開した米国オブザーバー招致への批判を、聯盟規約に照らして「まったくの正論」と称賛し、自国の外相を攻撃した。それをきっかけに聯盟理事会側へ反省を促す所論も現れた。
イタリア各紙は「民国側は日本軍が撤兵すれば排日運動も収まると言うのみで、日本が求める条約尊重に対し何ら態度を明らかにしていない」と、理事会の偏りをただし、英国の『デイリー・メール』には「聯盟各国、極東の事件に武力干渉か」との見出しすら踊った。
これらに加えて、日本が決して満洲への「領土的野心」など抱いていないことが各国理事にも浸透していくに従って、理事会の険悪な空気も幾分和らいできた。ローマの吉田大使はこの流れを踏まえ、「聯盟の自業自得として冷視すべきときではない。むしろ聯盟の面目を立てる案を我が方から案出すべき」と本省の尻を叩いた。
徐々にだが、形勢は変わりつつあった。その一方で、理事会が長引くにつれて各国外相に一日も早く帰国しなければならないとの焦燥感も漂い始めた。
ヨーロッパ方面では一般輿論も加わって、「ドラモンド総長の三案」に対する日本側の回答を、今かいまかと待ち望んだ。すると敢えて待ち人をじらすかのように、東京からの回訓は返って来なかった。
二十一日朝、レジェがオテル・メトロポールへ来訪してきた。
芳澤が「『事務総長の三案』に対する回訓は、早くとも本日午後になる」と告げると、レジェは少し困った顔をした。
「実は……、ブリアン外相は本日中にも理事会秘密会合を開きたい意向なのです」
「それは困る。本国からの回訓が来ない以上、小官らも責任ある態度を表明し難いのは、外交官である以上貴職にもお分かりでしょう」
レジェはいよいよ困った顔をして、「外相がそう言う以上、いかんともし難い」と言い残して帰って行った。
芳澤は前のめりの議長を何とか引き留められないかと思案しつつ、東京へ向けて「明日二十二日には公開理事会が開かれる可能性もあり、遅くとも明日早朝までには訓令をいただかなければ、欠席裁判の如き不利益な決議が行われる恐れがある」と催促の電報を打った。
「少しは聯盟の顔も立てるべき」との声は、欧州各地に駐在する同僚の大使たちからも上がってきた。
ロンドンの松平大使は本省へ向けて、「我が方があくまで態度を固執し聯盟を窮地に追いやれば、ワシントン会議以来蓄積してきた国際協調や世界平和の確立に対する我が国の信用をすべて投げ打つこととなり、国際的な孤立を招くのは避けられない」と警鐘を鳴らす。
シベリア出兵時、ウラジオストーク派遣軍の政務部長を務めた松平恒雄は、自らの経験を踏まえて「こうした問題は長引けば長引くほど撤兵の実行がますます困難になる。これはシベリア出兵の末期において当時政府および軍部の経験したところである」と、問題の早期解決を訴える。パリの栗山茂臨時代理大使も、「この潮時を利用して理事会に局面打開の機会を与える方が得策ではないか」と協調路線を具申した。
幣原外相はなおも、「遠隔の地にあって事情に疎い政治家が欧州の一部局における問題のごとく簡単に取扱うべきことではない。とくに理事会は充分な認識を持つべき」と片意地を張るが、その底意はぐらつき始める。
すると、折よくヨーロッパの新聞が芳澤の法律論を支持する論調を展開しはじめた。日本の軍事行動を「強圧的」となじった聯盟側の、日本に対する処置こそがまさに「強圧的」になっていくのを、新聞記者たちは見逃さなかった。
その急先鋒となったのが、ブリアン議長のお膝下であるフランスの新聞界だった。芳澤が展開した米国オブザーバー招致への批判を、聯盟規約に照らして「まったくの正論」と称賛し、自国の外相を攻撃した。それをきっかけに聯盟理事会側へ反省を促す所論も現れた。
イタリア各紙は「民国側は日本軍が撤兵すれば排日運動も収まると言うのみで、日本が求める条約尊重に対し何ら態度を明らかにしていない」と、理事会の偏りをただし、英国の『デイリー・メール』には「聯盟各国、極東の事件に武力干渉か」との見出しすら踊った。
これらに加えて、日本が決して満洲への「領土的野心」など抱いていないことが各国理事にも浸透していくに従って、理事会の険悪な空気も幾分和らいできた。ローマの吉田大使はこの流れを踏まえ、「聯盟の自業自得として冷視すべきときではない。むしろ聯盟の面目を立てる案を我が方から案出すべき」と本省の尻を叩いた。
徐々にだが、形勢は変わりつつあった。その一方で、理事会が長引くにつれて各国外相に一日も早く帰国しなければならないとの焦燥感も漂い始めた。
ヨーロッパ方面では一般輿論も加わって、「ドラモンド総長の三案」に対する日本側の回答を、今かいまかと待ち望んだ。すると敢えて待ち人をじらすかのように、東京からの回訓は返って来なかった。
二十一日朝、レジェがオテル・メトロポールへ来訪してきた。
芳澤が「『事務総長の三案』に対する回訓は、早くとも本日午後になる」と告げると、レジェは少し困った顔をした。
「実は……、ブリアン外相は本日中にも理事会秘密会合を開きたい意向なのです」
「それは困る。本国からの回訓が来ない以上、小官らも責任ある態度を表明し難いのは、外交官である以上貴職にもお分かりでしょう」
レジェはいよいよ困った顔をして、「外相がそう言う以上、いかんともし難い」と言い残して帰って行った。
芳澤は前のめりの議長を何とか引き留められないかと思案しつつ、東京へ向けて「明日二十二日には公開理事会が開かれる可能性もあり、遅くとも明日早朝までには訓令をいただかなければ、欠席裁判の如き不利益な決議が行われる恐れがある」と催促の電報を打った。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
鈍牛
綿涙粉緒
歴史・時代
浅草一体を取り仕切る目明かし大親分、藤五郎。
町内の民草はもちろん、十手持ちの役人ですら道を開けて頭をさげようかという男だ。
そんな男の二つ名は、鈍牛。
これは、鈍く光る角をたたえた、眼光鋭き牛の物語である。
局中法度
夢酔藤山
歴史・時代
局中法度は絶対の掟。
士道に叛く行ないの者が負う責め。
鉄の掟も、バレなきゃいいだろうという甘い考えを持つ者には意味を為さない。
新選組は甘えを決して見逃さぬというのに……。
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる