上 下
96 / 466
第六章(十月理事会)

第六章第十七節(クローデル大使)

しおりを挟む
                十七

 その頃、ワシントンの日本大使館にはフランスのクローデル大使が来訪してきた。何でも用向きは、満洲事変に関する情報を得たいとのことだった。

 クローデル大使はワシントンに駐在する外国大使の中で、最も極東の事情に通じた人物として知られ、出渕とも日頃から気脈の通じた仲にある。その彼がこのタイミングでわざわざ訪ねてきたのは、今回の理事会で自国の外相が議長を務めていることとも何か関わりがあるのかも知れない。日本側としても議長国へアピールする良い機会だ。出渕は忌憚きたんない意見を交わすつもりで面会した。

 事変の背景や経過については、これまで何度も公表してきた内容を繰り返した。
「今回の事変はたかだか数千人の日本軍が付属地の外へ出動したという、きわめて地方的な事案に過ぎない。錦州きんしゅう爆撃についても、出先の軍隊が自分の裁量で行った偶発的な出来ごとであるにもかかわらず、世界は今にも日華の間に戦争が起こるかのような大騒ぎをしている」
 ひとたび輿論よろんが沸き起こると、ちょっとした動きに尾ひれはひれが付いて本来の議論とは違った方向へ流れて行ってしまう。出渕は意識して話の本筋を踏まえつつ、今回の事件に対する率直な考えを述べた。クローデルは同情を交えた面持ちでそれに聞き入った。

「日本が民国と本気で戦争を望み、民国側もそれを受けて立つというならば、これまで十数年にわたって積みあがった幾多いくた懸案けんあんなど、とっくに解決されていたに違いない」
 出渕の熱弁を聞きながら、クローデルはニヤリと笑った。だがとくに言葉は差しはさまなかった。
「漢民族は常に詭弁きべんろうして自らの責任を回避して回る。それを相手に戦争できないから厄介やっかいなのではないか」
 すっかり聞き手にまわってくれた相手を前に、出渕はさらに調子づいた。
「そもそも、一度出動した兵を退くのが容易でないのは、貴国もルール占領に際して経験されていることでしょう」

 第一次世界大戦が終わって五年後の一九二三年一月、ドイツの戦時賠償の支払いが滞ったとして、フランスはドイツのルール地方へ軍隊を進駐させた。ルール工業地帯はドイツ産業の心臓部であったから、たちまち経済は麻痺し、歴史の教科書にも描かれる極度のインフレをき起こした。
(教科書はそれを、「第一次大戦後のハイパーインフレ」と記述するが、史実は大戦から五年を経た後の出来ごとである。一輪車いっぱいに札束を乗せてパンを買いに行く、あの写真も二三年十一月頃のものである)

 当然、世界各地からフランスを非難する声が上がった。だから出渕の一言は、クローデルにとって皮肉以外の何物でもなかった。
 クローデル苦笑いして、小さく「その通りですね」と答えた。
しおりを挟む

処理中です...