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第六章(十月理事会)
第六章第十六節(論戦)
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十六
「反日が諸悪の根源だからやめさせろ!」と叫ぶ日本側に対し、自国の責務は棚上げにして「お前のところの軍隊が我が国の領土内にいるのが悪い」と逆ギレしてくる。
だがそもそも彼の地に外国の軍隊が駐留するにいたったのは、彼らの政府が当事者能力を欠き、善意の外国人の生命財産を危機に晒し続けたからではなかったのか。
彼らの反対を押し切って外国の軍隊が上陸したのでもなければ、外国軍が駐留したために国民感情が悪化したのでもない。順番から言えば、すでに存在した外国の軍隊に対して、後から悪感情を抱くようになったのではなかったか……。
そうした経緯などすっ飛ばし、後から持ち出した「国権回復」を“金科玉条”の如く振り回せば、トラブルになるのも理の当然であろう。「民族自決権」はご説ごもっともだが、きれいごとの理屈が世界を支配すれば、かえって“何でもあり”の世の中を作り出してしまう。理屈として成り立つならば、施肇基のこんな言い分ですらまかり通ってしまうのだ。
「排貨については、いかなる国際法の規則も、ある国が国民に対して欲しくもない物資を購入するよう強制すべきだなどとは定めていない」
前回の理事会でとっくに論破したはずの屁理屈――と思いきや、議場の雰囲気は錦州爆撃事件の余波もあって、すっかり“振り出し”に戻ってしまったようである。確かにここではまさに、“きれいごと”が幅を利かせている。余勢を駆って調子づいた施肇基は、手にした電報を振りかざして「ただいま受け取った電報によると……」と、いつもの宣伝戦を展開してきた。
「ひとつは十三日朝、『日本軍機が打虎山を機銃掃射し爆弾を投下した』というもので、もうひとつは『溝帮子に三機が飛来し爆撃を行った』との報道である」
いずれも日本軍機の爆撃に関する報道だった。
こうなるともう泥仕合になるしかない。相手が爆撃で来るならば、こちらは排日運動をあげつらって反撃するまでのことだ。
「昨年三月から本年二月までに日本の軍艦並びに商船等が支那領水内で軍隊から発砲された事案は百四十五件を数え、事変後の一カ月間で上海の小学生児童に対する投石は九十六回に上る……」
非難合戦は自然と錦州爆撃へとおよんだ。
「少数の日本軍が多数の張学良軍に挟撃される恐れがあったために起こった事件であり、これをもって日本側が故意に事態を悪化させたと称するには当たらない」
「錦州事件は地上からの射撃に対してとった自衛措置だとの説明だが、錦州の部隊は高射砲を持っていないので射撃は不可能だ」
それにしても聯盟はあまりに爆撃の一事に囚われ過ぎだ。日本人が華人官憲からどんな目に遭わされても、誰も振り向きやしないくせして、日本側が何かしたといってはハチの巣を突いた騒ぎになる。
撤兵、撤兵と二言目には撤兵を口にするが、紛争地域からの撤兵がいかに難しいか、いったい何人の理事が理解しているだろうか?
芳澤はかつて自分が処理にあたった山東問題を想起して、聖人君子気取りの聯盟理事連中へ冷や水を浴びせた。
「撤兵のみを取り上げても、三年前の山東問題を振り返るならば予備交渉がいかに必要かは明らかで、当時の民国政府から撤兵を延期するよう求めてきた事例すらある」
「山東撤兵の前例は今回とまったく事情を異にするから、前例にはなり得ない」
施肇基代表はすぐさまこれに反論し、論戦はなお続いた。その際、日本側の喉元に小骨を刺すような一言を残した。
「日本側は『満洲において条約に基づく各種権利を有する』と説明したが、その条約とはいわゆる『二十一箇条』であることを指摘しておく」
それは半分正しく、半分誤りである。芳澤が念頭に置いた“条約”とは、一九〇五年の「北京条約」とその付属書である。民国側は大正四年に物議をかもしたいわゆる『対華二十一箇条要求』問題を引き合いに出すことで、「日華条約の正当性に疑義あり」との印象を理事たちに抱かせようとした。この点は慎重に扱いたいので、後にもう少し詳しく触れる。
ブリアン議長は、「日本側が差し当たっての直接交渉を撤兵の条件に限定すると言うのならば、解決の曙光なしとは言えない。(中略)両当事国が新たな事端を醸さないよう切望する」と総括し、「幸い両国は未だ外交を断絶せずここに同席している。理事会を信頼し平和的解決に尽くされることを望む」と将来へ望みをつないだ。
「反日が諸悪の根源だからやめさせろ!」と叫ぶ日本側に対し、自国の責務は棚上げにして「お前のところの軍隊が我が国の領土内にいるのが悪い」と逆ギレしてくる。
だがそもそも彼の地に外国の軍隊が駐留するにいたったのは、彼らの政府が当事者能力を欠き、善意の外国人の生命財産を危機に晒し続けたからではなかったのか。
彼らの反対を押し切って外国の軍隊が上陸したのでもなければ、外国軍が駐留したために国民感情が悪化したのでもない。順番から言えば、すでに存在した外国の軍隊に対して、後から悪感情を抱くようになったのではなかったか……。
そうした経緯などすっ飛ばし、後から持ち出した「国権回復」を“金科玉条”の如く振り回せば、トラブルになるのも理の当然であろう。「民族自決権」はご説ごもっともだが、きれいごとの理屈が世界を支配すれば、かえって“何でもあり”の世の中を作り出してしまう。理屈として成り立つならば、施肇基のこんな言い分ですらまかり通ってしまうのだ。
「排貨については、いかなる国際法の規則も、ある国が国民に対して欲しくもない物資を購入するよう強制すべきだなどとは定めていない」
前回の理事会でとっくに論破したはずの屁理屈――と思いきや、議場の雰囲気は錦州爆撃事件の余波もあって、すっかり“振り出し”に戻ってしまったようである。確かにここではまさに、“きれいごと”が幅を利かせている。余勢を駆って調子づいた施肇基は、手にした電報を振りかざして「ただいま受け取った電報によると……」と、いつもの宣伝戦を展開してきた。
「ひとつは十三日朝、『日本軍機が打虎山を機銃掃射し爆弾を投下した』というもので、もうひとつは『溝帮子に三機が飛来し爆撃を行った』との報道である」
いずれも日本軍機の爆撃に関する報道だった。
こうなるともう泥仕合になるしかない。相手が爆撃で来るならば、こちらは排日運動をあげつらって反撃するまでのことだ。
「昨年三月から本年二月までに日本の軍艦並びに商船等が支那領水内で軍隊から発砲された事案は百四十五件を数え、事変後の一カ月間で上海の小学生児童に対する投石は九十六回に上る……」
非難合戦は自然と錦州爆撃へとおよんだ。
「少数の日本軍が多数の張学良軍に挟撃される恐れがあったために起こった事件であり、これをもって日本側が故意に事態を悪化させたと称するには当たらない」
「錦州事件は地上からの射撃に対してとった自衛措置だとの説明だが、錦州の部隊は高射砲を持っていないので射撃は不可能だ」
それにしても聯盟はあまりに爆撃の一事に囚われ過ぎだ。日本人が華人官憲からどんな目に遭わされても、誰も振り向きやしないくせして、日本側が何かしたといってはハチの巣を突いた騒ぎになる。
撤兵、撤兵と二言目には撤兵を口にするが、紛争地域からの撤兵がいかに難しいか、いったい何人の理事が理解しているだろうか?
芳澤はかつて自分が処理にあたった山東問題を想起して、聖人君子気取りの聯盟理事連中へ冷や水を浴びせた。
「撤兵のみを取り上げても、三年前の山東問題を振り返るならば予備交渉がいかに必要かは明らかで、当時の民国政府から撤兵を延期するよう求めてきた事例すらある」
「山東撤兵の前例は今回とまったく事情を異にするから、前例にはなり得ない」
施肇基代表はすぐさまこれに反論し、論戦はなお続いた。その際、日本側の喉元に小骨を刺すような一言を残した。
「日本側は『満洲において条約に基づく各種権利を有する』と説明したが、その条約とはいわゆる『二十一箇条』であることを指摘しておく」
それは半分正しく、半分誤りである。芳澤が念頭に置いた“条約”とは、一九〇五年の「北京条約」とその付属書である。民国側は大正四年に物議をかもしたいわゆる『対華二十一箇条要求』問題を引き合いに出すことで、「日華条約の正当性に疑義あり」との印象を理事たちに抱かせようとした。この点は慎重に扱いたいので、後にもう少し詳しく触れる。
ブリアン議長は、「日本側が差し当たっての直接交渉を撤兵の条件に限定すると言うのならば、解決の曙光なしとは言えない。(中略)両当事国が新たな事端を醸さないよう切望する」と総括し、「幸い両国は未だ外交を断絶せずここに同席している。理事会を信頼し平和的解決に尽くされることを望む」と将来へ望みをつないだ。
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