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第六章(十月理事会)

第六章第十五節(内政事情)

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                 十五

「匪賊による満鉄ならびに付属地への襲撃は、従来から度々たびたび起こってきた。だが今回のようなによる暴挙は初めてのことである」

 今回の芳澤は、冒頭から対決姿勢をあらわにした。だがそれは敵対をあおるためではなく、これまでの消極的に過ぎた態度を改め、前向きで建設的な協力関係を築く上での“つばぜり合い”との意味合いであった。
「日本政府には民国政府と直接交渉に入る用意があることに注意を喚起したい。理事会も同意するこの希望が、少なくとも今にいたるまで実現されるに至らないのである」
 日華両国の懸案を話し合いで解決できなかった理由は、ひとえに民国の内政事情にある。事変当時の南京政府は、広東かんとん政府との和平交渉に行きまり、政府内の政争や政局の紛糾ふんきゅうとも相まって、「日本へ弱腰姿勢を示せば、政治的な命取りとなる」事情にあった。
 だからといって善意の他国を政争に巻き込んでいいという法はない。

 また満洲事変研究においてまず語られることはないが、このとき蒋介石しょうかいせき軍は毛沢東もうたくとうの共産党軍との雌雄しゆうを決する、「第三次圍剿いそう※」の真っ最中にあった。広大な満洲を失うか否かの国難に瀕しながら、不思議と国家主席がほとんど登場してこないのも、これがためである。南京政府はまさに「満洲どころではなかった」のである。
 ちなみにユン・チュアンの『マオ』には、「蒋介石は自ら三〇万の大軍を率いて第三次圍剿に乗り出し、(中略)毛沢東の部隊は崩壊の危機に瀕した。
 ところが、蒋介石はそれ以上攻めてこなかった。毛沢東を救ったのは、意外な敵--すなわち、ファシスト日本であった」との下りが出てくる。「第三次圍剿」はこの年の七月にはじまり、九月にクライマックスを迎えている。
 あにはからんや、もし満洲事変が起こっていなかったならば、今日の北京政権は存在しなかったと言う意味になる……。
 ※圍剿=共産党の根拠地を取り囲み、徐々に包囲網を狭めて殲滅せんめつする作戦。前二回は国民党内に内通者がいて作戦は失敗。第三次圍剿は過去の失敗を踏まえ、“もう一歩”のところまで敵を追い詰めていたという。

 芳澤の演説に戻る。
「民国政府が悪意ある方法によって我が重要権益をおびやかし続け、満洲における我が国の存立が危機にひんするという情勢を前にして、日本軍の指揮官はついに『いかなる犠牲を払っても正当防衛の手段に出ねばならない』との判断にいたったのである。日本軍が相当広範にわたってとった行動の検討は、この角度から行われるべきである」
 日本政府が公約した、「自国民の生命財産の安全が確実に保障されることを前提に撤兵する」という方針には、いささかのブレもない。だが国家の存立にかかわる重要な判断を、理屈や形式、目の前の事象のみで軽々けいけいに下すのは誤りだ。その行動の根底に横たわる過去の経緯に十分注意を払った上で、公正に裁決さいけつすべきである。
「かくのごとき重大問題の解決を見出そうとするにあたっては、原則や理論上の考慮を過度に重大視することはできないし、またすべきでもない」
 芳澤の渾身の演説は実に一時間に及んだ。
 
 果たして「国際信義」なるものは、いかなる場合に相当し、いかなる場合に反したと言い得るのだろうか?
 国際聯盟という平和維持機関は、その存立にかかわる多くの部分を国家間の“紳士協定”に依存した。だが現実の国際社会には、肝心の“紳士協定”が成り立たない相手もいるのである。

 筆者が中学生の頃、国際聯盟が頓挫とんざし崩壊したのは「国際法に違反した国を制裁する“軍事力”がなかったため」と教わった。「だから戦後の国際連合は『国連軍』を組織するにいたった……」と。
 だがこの理屈は恐らく誤りであろう。話を先取りすることになるが、聯盟の体制下にあっても「自国民の安全の確保」が必要と判断された場合には、えて「国連軍」など組織せずとも各国が単独で軍隊を現地へと派遣していたのだから。

 むしろ聯盟の問題は、「国際社会には“無法者”がいる」という大前提を欠いていた点に求められるだろう。
 もっとも筆者が念頭に置く“無法者”とは、日本のことではなくソヴィエト連邦のような国を指す。一九三九年十二月、ソ連はフィンランドへ不法な侵略を行ったかどで、聯盟から除名処分を受けた。それでも彼らは第二次世界大戦時に「連合国」側へ立ち、“戦勝国”となったから、国際連合における「常任理事」の座を占めるにいたったではないか!
 国際社会とはそういうものなのであろう。
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