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第四章政略

第四章第八節(軍司令官声明)

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                 八


 十月三日、内地の情報網から面白からぬ知らせが届いた。
 「宮中の空気はとみに軍部に良好ならず」--。

 国民輿論の追い風を受けて、政府の横やりはひとまずやり過ごしたものの、宮中方面では依然、西園寺公望さいおんじきんもち牧野伸顕まきののぶあきの権勢が強く、幣原外相の軟論なんろんが幅を利かせているという。この知らせに幕僚一同は落胆する。本庄司令官はすぐさま、金谷参謀総長に不平を漏らした。

 「最近、政府もしくは軍中央の談話として報道されるものを見ると、すみやかに南京政府と交渉するとか、撤兵の時期はいつ頃になるとか、国際聯盟や英米の横やりに対する弁解がましい言辞げんじが散見される。
  これらはいたずらに民国側その他に言質げんちを与えるばかりでなく、軍の士卒しそつ(=将兵)の士気へ影響するものがはなはだしい。ことに撤兵の時期を云々うんぬんするなど、現地に依然多数の敗残兵が跳梁ちょうりょうする状況において全く不可能である。
  そればかりか、せっかく勃興ぼっこうしてきた各種の政権樹立の動きを鈍らせ、対日感情が好転してきた現地官民の帰趨きすう混迷こんめいおとしいれることになる。中央には深甚しんじんの考慮を願いたい」

 極東の儒教国は総じて「事大主義じだいしゅぎ」の文化をいとなんできた。強い相手にはへつらい、弱みを見て取ればすかさずかさに着て増長ぞうちょうしてくる。その態度は時の勢いに応じて常に流転るてんする。彼らに“建て前”や“綺麗ごと”は通用しない。
 本庄司令官もジュネーブの芳澤謙吉よしざわけんきちも、本質においては同じことを言っている。ジュネーブの外交の舞台から見ていてすら、政府の態度はまだるっこしかった。いわんや現地の軍隊の立場においてをやである。

 そこで板垣は石原や片倉と相談し、機をいっせずに軍の信条しんじょうを広く世間に訴え、陸軍中央をして「政府と一戦を交えるのも辞さない」との腹を決めさせる必要があるということになった。石原参謀が骨子を起案し片倉が文章にまとめ、本庄司令官と板垣参謀が字句に修正を加えた。
 かくして十月四日、関東軍司令官は九月二十四日の政府声明とはまるで異なる「声明文」を発したのである。

 「北大営ほくだいえいに駐屯する歩兵第七りょは、王以哲おういてつ旅長がひきいる張学良ちょうがくりょう直系中の最精鋭部隊として、その威名いめいを東北四省にひびかせてきた。ところが九月十八日夜に暴挙を働き、関東軍が出動するや敗退し、各地へのがれた。敗残兵らはその後勢力の恢復かいふくに務める一方で、集団となり非道ひどうな振る舞いをし、婦女をはずかしめ金品を掠奪りゃくだつ、なかんずく我が同胞どうほうたる朝鮮人を虐殺ぎゃくさつするものが後を絶たない。日本軍が討伐とうばつへ向かえば、たちまち白旗を掲げて降伏をよそおう次第である。
  『精鋭無比せいえいむひ』で鳴らす第七旅にしてこれであれば、その他軍隊の素質そしつの劣悪なことは言うまでもない。これが文明国の軍隊と呼べるだろうか? 独立国家の国格こっかく(国の品格)を備えたものと呼べるだろうか?
  世に問いたい。こんなやからたちが属していた旧東三省政府との間に同じ立場を共有しつつ、国際正義を論じられるだろうか? 外交交渉が行えるだろうか?
  昨今、各地に新政権樹立の運動が起こっているが、旧政権の頭首とうしゅす声は微塵も聞かれない。これは軍閥が長年私利しりしいままにしてきたことへの民衆の憤激の表れである。
  軍は政治に関与せず、もっぱら治安の維持に専念しているが、満蒙在住三千万民衆のために共存共栄きょうぞんきょうえい楽土らくどを実現したいと衷心ちゅうしんから熱望してやまない。そのすみやかな統一を推進することは、我が国が善隣ぜんりんよしみを発揮する緊急きんきゅうの救済策であると信じる。
  東洋永遠の平和を確立するため、世界万国が三千万民衆の幸福を祈念して(新政権樹立)運動を支持し協力するよう期待する」
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