47 / 466
第三章ジュネーブ
第三章第十三節(スチムソン長官)
しおりを挟む
十三
閣議がグダグダに腰折れした九月二十二日ーー。
東京とは異なって欧・米・アジアの各方面にはそれぞれの動きがあった。
奉天では満洲の軍事占領を諦めた関東軍が、政略を通じた「満蒙問題」の解決へと転じた。ジュネーブとロンドンでは満洲への「調査員」派遣という構想が持ち上がる。
大西洋を渡ったワシントンでも、出渕勝次駐米大使とヘンリー・スチムソン国務長官の間に会談が行われていた。
ほんの数日前、二人は同じ場所で同じように相対していた。
「アメリカの対日感情が今日ほど友好的だったことなど、かつてなかった」
事変の前日、恩賜休暇をもらって一次帰国するため挨拶に来た出渕を、スチムソン長官はこう言って迎えたものだった。
振り返れば、日露戦争後の日米関係は互いに“腫れ物”を触り合うような、“おっかなびっくり”で不安定な状態が続いた。理由は主に、「移民問題」を巡って日本側の対米感情が良くなったり悪くなったりを繰り返したのがアメリカ側へと伝わって、これに呼応するかたちで先方の対日感情も悪化したり改善したりしたということらしい。
世界中どこへいっても、隣り合う国どうしというものは“いがみ合う”ものと相場が決まっているようだ。意外に思えるかもしれないが、広大な太平洋を挟んで日本とアメリカ合衆国は隣り合う国同士なのである。合衆国が世界の
超大国となって日本など完全に組み敷かれてしまったから、現在はそんなことを意識する人はいない。だが当時は違った。
この話の十年後に起こる日米間の戦争に負けて、日本人たちは「あれは無謀な戦争だった」と繰り返し教育された。だからみんな疑いもなく「そういうもの」だと思っている。しかし、「無謀な戦争云々」の教育を受ける前の日本人たちの考え方は、今とは大分異なっていたという点に注意を促したい。
ともあれ、相手が“腫れ物”であるだけに、事変に関するアメリカの新聞の論調は、英国以上にバラついた。
『ボストン・ヘラルド紙』が「日本は主義上の門戸開放主義を受託しただけであって、その政策は北方を閉鎖するものであった(中略)しかしながら日本の東洋政策は他の列国のそれと比較して何ら可もなく不可もなし」と論じた一方で、『ウースター・イヴニング・ガゼット紙』はそもそもの原因は中華民国の治安当局が外国人の生命財産を保護する能力に欠けている点にあるとして、「日本軍のこのような行動は、満洲に対する日本のモンロー主義にとって極めて適切なことであった」と日本側の行動を擁護する面を見せた。だがこの記事の真意はもっと皮肉なところにあって、いったんこうして持ち上げておきながら、「それはすなわち『九カ国条約』に違反するものである」と条約違反論を展開してドンと落としたのであった。
これに輪をかけたのがハースト系の『ワシントン・ニュース紙』で、「条約違反者を世界の平和に協力させるためには、(対日)経済“ボイコット”を施行し、世界の平和機構の安全を図るべきである」と、対日経済封鎖を煽り立てた。『ニューヨーク・タイムス』紙は幣原外交の功績を列挙した上で、「もしここで合衆国政府が対日非難の声明を出せば、軍部に対する幣原の立場が悪くなる」という、幣原政策擁護の立場から読者へ自制を求めた。
種々色彩豊かなアメリカの輿論だったが、それらを横串しに貫いた一つの基調があった。それは合衆国の国是とも言える「モンロー主義」の堅持である。
閣議がグダグダに腰折れした九月二十二日ーー。
東京とは異なって欧・米・アジアの各方面にはそれぞれの動きがあった。
奉天では満洲の軍事占領を諦めた関東軍が、政略を通じた「満蒙問題」の解決へと転じた。ジュネーブとロンドンでは満洲への「調査員」派遣という構想が持ち上がる。
大西洋を渡ったワシントンでも、出渕勝次駐米大使とヘンリー・スチムソン国務長官の間に会談が行われていた。
ほんの数日前、二人は同じ場所で同じように相対していた。
「アメリカの対日感情が今日ほど友好的だったことなど、かつてなかった」
事変の前日、恩賜休暇をもらって一次帰国するため挨拶に来た出渕を、スチムソン長官はこう言って迎えたものだった。
振り返れば、日露戦争後の日米関係は互いに“腫れ物”を触り合うような、“おっかなびっくり”で不安定な状態が続いた。理由は主に、「移民問題」を巡って日本側の対米感情が良くなったり悪くなったりを繰り返したのがアメリカ側へと伝わって、これに呼応するかたちで先方の対日感情も悪化したり改善したりしたということらしい。
世界中どこへいっても、隣り合う国どうしというものは“いがみ合う”ものと相場が決まっているようだ。意外に思えるかもしれないが、広大な太平洋を挟んで日本とアメリカ合衆国は隣り合う国同士なのである。合衆国が世界の
超大国となって日本など完全に組み敷かれてしまったから、現在はそんなことを意識する人はいない。だが当時は違った。
この話の十年後に起こる日米間の戦争に負けて、日本人たちは「あれは無謀な戦争だった」と繰り返し教育された。だからみんな疑いもなく「そういうもの」だと思っている。しかし、「無謀な戦争云々」の教育を受ける前の日本人たちの考え方は、今とは大分異なっていたという点に注意を促したい。
ともあれ、相手が“腫れ物”であるだけに、事変に関するアメリカの新聞の論調は、英国以上にバラついた。
『ボストン・ヘラルド紙』が「日本は主義上の門戸開放主義を受託しただけであって、その政策は北方を閉鎖するものであった(中略)しかしながら日本の東洋政策は他の列国のそれと比較して何ら可もなく不可もなし」と論じた一方で、『ウースター・イヴニング・ガゼット紙』はそもそもの原因は中華民国の治安当局が外国人の生命財産を保護する能力に欠けている点にあるとして、「日本軍のこのような行動は、満洲に対する日本のモンロー主義にとって極めて適切なことであった」と日本側の行動を擁護する面を見せた。だがこの記事の真意はもっと皮肉なところにあって、いったんこうして持ち上げておきながら、「それはすなわち『九カ国条約』に違反するものである」と条約違反論を展開してドンと落としたのであった。
これに輪をかけたのがハースト系の『ワシントン・ニュース紙』で、「条約違反者を世界の平和に協力させるためには、(対日)経済“ボイコット”を施行し、世界の平和機構の安全を図るべきである」と、対日経済封鎖を煽り立てた。『ニューヨーク・タイムス』紙は幣原外交の功績を列挙した上で、「もしここで合衆国政府が対日非難の声明を出せば、軍部に対する幣原の立場が悪くなる」という、幣原政策擁護の立場から読者へ自制を求めた。
種々色彩豊かなアメリカの輿論だったが、それらを横串しに貫いた一つの基調があった。それは合衆国の国是とも言える「モンロー主義」の堅持である。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
鈍牛
綿涙粉緒
歴史・時代
浅草一体を取り仕切る目明かし大親分、藤五郎。
町内の民草はもちろん、十手持ちの役人ですら道を開けて頭をさげようかという男だ。
そんな男の二つ名は、鈍牛。
これは、鈍く光る角をたたえた、眼光鋭き牛の物語である。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
局中法度
夢酔藤山
歴史・時代
局中法度は絶対の掟。
士道に叛く行ないの者が負う責め。
鉄の掟も、バレなきゃいいだろうという甘い考えを持つ者には意味を為さない。
新選組は甘えを決して見逃さぬというのに……。
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる