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第三章ジュネーブ

第三章第十七節(待ち人来たらず2)

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                 十七
 
 それでも本国からの訓令は届かなかった。
 東京から何の指針も示されないまま、二十三日を迎えた。

 聯盟事務局の言い分では、民国代表部側から「本日も理事会を開催すべきだ!」と矢の催促が飛んでくるのだそうである。芳澤は「本国からの訓令がない以上、前日に話したこと以上は何も言うことがない」と延期を求めたが、“泣く子と地頭じとうには勝てない”--。
 結局、午後六時四十五分から非公開理事会が開かれることとなった。

 聯盟事務局は「民国からの催促で開催せざるを得なかった」と通知してきたが、これといった議題がないにもかかわらずえて連日理事会を開催する裏に、聯盟側も何らかの“下心”を抱いているに違いない--。
 恐らくは……、両当事国に無益な議論を闘わせることで、としての理事会が浮き上がる。そこへ『調査員派遣』案を提示すれば、少なからず日本側を追い込めるとの読みがあったのだろう--芳澤はそんな聯盟事務局の腹積もりを邪推してみた。
 実際、この日の理事会に先立って例の「五人委員会」がもよおされた。まだ日本側の同意を得ていないにもかかわらず、そこでは例の「調査員」のメンバー構成にまで踏み込んだ話し合いが行われたという。そればかりか「五カ国の駐日大使・公使を通じて日本政府へ、『もっと理事会の決定に注意を払うべきだ』と申し入れてはどうか」などの声も上がったそうである。

 これらの内話は、聯盟へ出向している杉村陽太郎すぎむらようたろう事務局次長からこっそり聞かせてもらった。理事会幹部の腹の内を知った芳澤は、「『調査員』の派遣に関しては昨日すでに反対したはずではなかったか」と気色ばんだ。
「目下、本国政府に回答を要請している最中に間髪かんぱついれずに再び承諾を求めてくるなど、強要するにひとしい!」
 杉村を相手に感情をあらわにした芳澤だったが、聯盟の包囲網が徐々にせばまってくるのを、彼自身もひしひしと感じ取ってはいた。

 夕方からはじまった秘密理事会で、彼は文字通り「さらし者」にされた。施肇基しちょうき代表は相変わらず聯盟による介入を声高に叫び、理事たちはこれへあいづちを打った。英国のセシル卿も昨日きのうとは打って変わって刺々とげとげしかった。独り芳澤だけが、渋い顔をしながら黙って座っていた。

「我々の目的は世界の平和を維持することと、日華両国の関係を平常の状態に戻すことにある」
 セシル興が得意そうに弁舌べんぜつを振るっているのを、どこか遠い世界の出来ごとのようにながめていた。
「理事会の責務は、いかにして事態を事件発生前の状態に復帰させるか--、という方策をこうずるところにある」
 理事会が描くシナリオはどうも、無条件に関東軍を付属地内へ撤退させ、張学良ちょうがくりょうを奉天へ戻して旧来通り政権を掌握しょうあくさせるということのようである。彼らは「そうすれば事態は平和裏に解決する」と信じ込んでいる。だが、そもそも今回の事態を招いたのは、張学良の悪政とその配下にある官憲かんけんらによる傍若無人ぼうじゃくぶじんな排日行動に遠因があったのではないか--。

 形式や理屈が優先する理事会から見れば、張学良の政権復帰がいく解決案なのかも知れないが、それは満洲に暮らす邦人居留民や朝鮮人にとって“悪夢”以外の何物なにものでもない。日本側としてそんな“解決案”など到底受け入れられようもない。
 かてて加えてセシル卿などは、芳澤へ向けて「日本が『調査員』派遣案に反対ならば、これにわる対案を示せ」と迫ってきた。杉村からの打ち明け話を聞いて激高した自分がむなしくなるほど、目の前の現実は日本側へ時間を与えてはくれなかった。日欧をへだてる時間の差を、これほどうらめしく思ったこともかつてなかった。本国から何の音沙汰おとさたもないまま、議論は二段階、三段階先へとズンズン進んでいった――。
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