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第三章ジュネーブ

第三章第七節(反撃2)

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                 七

 芳澤の発言は、民国びいきに流れようとしていた理事会へ一石を投じた。そして、「中国軍は無抵抗であったと主張するが、現に例えば長春のみにても我が軍に死傷者約百五十を出している」と、民国代表側の矛盾をく。
 確かに事件を知った張学良が前線の部隊へ向けて「抵抗するな」と打電したのは事実であった。しかし中央の命令が末端へ行き届かないのが、軍閥軍や国民党軍の常であることに注意を要する。この後に起こる馬占山ばせんざん将軍との戦闘や錦州きんしゅう攻略戦の前後においても、さらには五年後に勃発する「支那事変」においても、しばしば同様の事象にお目にかかる。

 国際会議の舞台で高らかに「無抵抗主義」をとなえ、自国の自制心を高唱こうしょうして列国の同情を買うに余念よねんがないが、現地においてはそんな話はどこ吹く風で、普通に戦闘行為が行われている。
 しかも戦闘が起こるや、早々に白旗を掲げ、降伏したかと思って近づくと突然撃ってくる。こちら側へは国際法の順守をやかましく求めながら、自らはからっきし遵法じゅんぽう精神など持ち合わせない。そういう相手なのだ。「無抵抗」という金看板きんかんばんも、実際には彼らの“戦い方”のひとつに過ぎないのである。表層ひょうそうの言葉に引きずられては、外交戦 は負けである。

 長年大陸で暮らしてきた芳澤だからこそ、感覚的にそれが分かった。本省からの訓令を得ずとも、彼らの主張が常に宣伝半分であることをよく心得ていた。
「日本へ損害賠償を求めるなど理解に苦しむ」
 そもそも事件の発端はの国による日本の既存権益への侵害、現地の治安の乱れにある。これらはすべて、民国政府が当事者能力を欠いていることに起因するのではないか。それを棚に上げて賠償を口にするなど噴飯ふんぱんものだ。しかも線路を爆破したのは軍閥軍ではないか。責任は当然彼らにある。

「いわんや、本件は規約第十一条に基づく理事会である」
 芳澤がひと通り反撃を加えると、議場の形勢は少しずつ変わりはじめた。
「帝国政府と中華民国政府は、事態の悪化を防止するために両国が全力を尽くすことで意見が一致している」
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