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第三章ジュネーブ

第三章第三節(議場)

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                 三

 
 午後になって幣原外相からの公電が届いた。

 「近年、日華両国関係は著しく緊張し、とくに満州では鉄道問題や朝鮮人問題、関税問題など排日的風潮が高まり、在満邦人の生命財産や企業への脅威が増していた。政府としては、あらゆる外交手段を尽くして、これらの問題の妥結を図る方針で進みつつあった折柄……」

 自分も官僚のはしくれとは思いながら、一向いっこう要領ようりょうを得ない官僚文書にいら立ちを覚えながら先を読んだ。ようは、「目下、奉天その他満鉄全線にわたり、日支軍隊の衝突の恐れがあり、政府は極力事件の拡大防止に努めている」というものだった。
 毒にも薬にもならない内容だが、とりあえず政府から「事件を拡大しない」という声明が出たのは救いである。きっと本省ほんしょうも今のところはこれで精いっぱいなのだろう。取りあえずマダリアーガにそれを知らせ、芳澤は理事会が開かれるパレ・ウィルソンへ向かった。
 
 議場はすでにざわついていた。芳澤一行が入場すると、各国代表がいっせいにフラッシュライトのような視線を浴びせてきた。この総会では中華民国代表が初めて非常任理事に選出され、午後の理事会に出席することになっている。代表の施肇基しちょうき博士はワシントン会議にも出席した同国外交界のエースだ。本国から受け取った電報のたばを振りかざし、すでに対決姿勢をあらわにしている。
 議長席のレルー外相を取り巻くように、イタリア代表のディノ・グランジ外相やイギリス全権セシル・オブ・チェルウッド子爵、フランス外相アリスティード・ブリアンなどそうそうたる顔ぶれが、なごやかに軽口かるくちを交わしている。重い空気がおおう議場の中で、この一画だけが舞踏会ぶとうかいのホールのようにはなやいで見えた。さすがにヨーロッパ外交の貫禄かんろくを見せつけられた。
 一方の芳澤の手元には、先ほど幣原外相から届いた一通の公電があるのみ。何とも心細い限りであった。理事会はまず芳澤に事態の説明を求めた。何度も言うが、芳澤に新しい情報は何もない。幣原外相から受け取ったばかりの、「事件が拡大しないよう努力している」という簡単な電報を読み上げるほかなかった。そして「目下、本国政府に対し詳細な報道を求めている」とのみ付け加えた。
 次いで施が発言した。
「ただ今までの受けた報道によれば、事件の発生につき、我が国には何ら挑発の事実はなかったようである。余は確報を得てさらに理事会に通報するであろう」
 つまり、詳細な情報を持ち合わせていないのは先方も同じである。それにもかかわらず、「自分の方から手出しをしたものではなさそうだ」などと何のてらいもなく憶測を言えるところに、の国の宣伝上手をのぞかせた。
 結局、英国全権のセシル卿が「両国とも新たな情報は持ち合わせていないようなので、いまここで結論にはいたらない」と、この件に関する討議を二十二日の理事会へと持ち越した。聯盟事務総長はエリック・ドラモンド、理事会議長はレルーだが、聯盟創設の立役者たてやくしゃの一人として、セシル卿は絶大な発言力を持っていた。
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