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第一章第十七節(中秋節)
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十七
「なあ、西村はん」
支局へと戻る道すがら、洸三郎は浮かない顔で西村に声を掛けた。
つい今しがたまでの喧騒と熱狂の渦が去ると、急に九月の夜風が身に染みた。どの家も固く戸を閉ざし、街の中はひっそりと静まり返っていた。どこで鳴くのか、鈴虫のちりり、ちりりと哀れな声が漂ってくる。それが祭りの後の静けさを一段と引き立たせた。
「これ、記事になるやろか」
洸三郎が言うのももっともだ。地元の『大連新聞』や『満州日報』ならば、明日の朝刊で大々的に報じるだろう。しかし、今夜の奉天発のトップニュースは間違いなく朝鮮軍が独断専行で鴨緑江を渡ったことだろう。吉林へ向かった第二師団の動向も気になるし、間島方面の情勢はなお緊迫している。南京政府はジュネーブの国際聯盟に調停を依頼するそうだし、内地では関東方面に強い地震が起こった。ロンドンからも英国の金本位離脱に関する続報が送られてくるだろう。どう考えても、奉天の日本人大会に割くスペースはない。
「そう功を焦るなや。載るか載らぬかは現場の記者が決めることちゃう。ワシら記者はとにかく原稿を書いて送るだけじゃ」
西村は自分に言い聞かすように言ったが、その声に覇気はなかった。
「それもそうじゃがの……。何や、こんだけ熱くなっとる人たちの期待に応えられんのも辛いのう」
ふと華商雑貨店の戸口に「月餅上市」の張り紙を見つけた。“上市”とは「新発売」の意である。
「ああ、中秋節か……」
洸三郎は夜空を見上げ、独りつぶやいた。
満州の人に「一年のうち何月が好きか」と尋ねると、即座に「六月と九月」と返ってくるそうだ。新秋爽涼、秋は肥沃な東北平原に多くの実りをもたらしてくれる。人々は果物や豆類などと月餅を月に供え、中秋の名月を楽しむ。
昭和六年の満州の中秋節は、九月二十五日が当たる。奉天城内も祭りを控えて慌ただしくなりはじめた矢先、事件が起こった。ちなみに中秋節は古来、「男不拝月」といって、女性のお祭りとされてきたそうである。日本のかぐや姫伝説の由来でもある古代の仏教伝説、月宮殿の主「嫦娥」が女性だからというのが理由らしい。
夜空にはくっきりと丸く明るい満月が、黄金色の光を放っていた。
重く閉ざした街の中で、支局だけが不夜城のごとく沸いていた。
戻ると田中が迎えた。
「おうっ、イモっ!帰ったか」
「おったんかいっ、ひょうたん」
田中とは、大阪の東亜部で席を並べた頃からこう呼び合っていた。まるでそれが“気の置けない間柄”、 親しさの証とアピールせんばかりに、敢えてトゲのあるあだ名を付け合い、罵り合うように相手を呼んだ。洸三郎はそうしたあだ名を付けるのが得意だった。
「戦跡探訪ちゅうて、またエライ活躍じゃのう。下関で写真見たときゃあ、どこの俳優さんが写っとるんかと思ったわい」
「まだ奉天中シナの兵隊がうろちょろしとるさかい、イモのように目立っては危のうて仕方ない。しばらくおとなしくしとき」
「なあに、これでも学生時代はラグビー部のフォワードで鳴らした口じゃイ。イザとなったら、スタコラ逃げおおせて見せるわい」
二人は顔を見合わせてガハハハと笑った。
「相変わらず口の減らないやっちゃの。ところで、腹ぁ空いてないか?」
口では互いに相手を叩きのめすことに余念がないが、気遣いもまた忘れない。
「うん。もう遅いで、なんか軽いもんがいい」
「ちょうど饅頭買うてきたさかい食べ」
「エライすまんの。そんなら遠慮なくご相伴にあずかるわ」
奉天へ応援に来た記者たちは、支局裏の春日ホテルを常宿にした。
その晩、そろそろ日付も変わろうとする頃のこと、宿の中に“万雷一時に落つるがごとき”轟音が鳴り響いた。宿泊の客たちはみな、「すわっ、地震か!」と飛び起きて、慌てて外へ飛び出した。
ところが奉天の街は何ごともなく夜のとばりの中に静まり返っている。狐につままれた思いで顔を見合わすと、ふたたび地鳴りのような鳴動が起こった。それは明らかに宿の中からであった。
洸三郎のイビキは社内で知らない者がないというほど有名であった。だが噂と実物は常に異なるものである。
「まさかここまでとは」――、というのが呆気に取られた避難民一同の偽らざる心境であった。
彼のイビキを訴える証言にはこと欠かないが、会社の先輩である吉岡分六(?)が残した次の記述が最も実態に近かったようである。
「渡邊のイビキに至ってはすこぶる複雑、大がかりのものであった。泰山鳴動するかと思 うとパッタリ鳴動がやむ。やむとやがて笛のように鼻が鳴る。しばらくすると蒸気のようにシューシューと吹き出 すのである。それからゴリラの嗚咽、鯨の潮吹き、浅間の鳴動、錯綜と して繰り返される」
「なあ、西村はん」
支局へと戻る道すがら、洸三郎は浮かない顔で西村に声を掛けた。
つい今しがたまでの喧騒と熱狂の渦が去ると、急に九月の夜風が身に染みた。どの家も固く戸を閉ざし、街の中はひっそりと静まり返っていた。どこで鳴くのか、鈴虫のちりり、ちりりと哀れな声が漂ってくる。それが祭りの後の静けさを一段と引き立たせた。
「これ、記事になるやろか」
洸三郎が言うのももっともだ。地元の『大連新聞』や『満州日報』ならば、明日の朝刊で大々的に報じるだろう。しかし、今夜の奉天発のトップニュースは間違いなく朝鮮軍が独断専行で鴨緑江を渡ったことだろう。吉林へ向かった第二師団の動向も気になるし、間島方面の情勢はなお緊迫している。南京政府はジュネーブの国際聯盟に調停を依頼するそうだし、内地では関東方面に強い地震が起こった。ロンドンからも英国の金本位離脱に関する続報が送られてくるだろう。どう考えても、奉天の日本人大会に割くスペースはない。
「そう功を焦るなや。載るか載らぬかは現場の記者が決めることちゃう。ワシら記者はとにかく原稿を書いて送るだけじゃ」
西村は自分に言い聞かすように言ったが、その声に覇気はなかった。
「それもそうじゃがの……。何や、こんだけ熱くなっとる人たちの期待に応えられんのも辛いのう」
ふと華商雑貨店の戸口に「月餅上市」の張り紙を見つけた。“上市”とは「新発売」の意である。
「ああ、中秋節か……」
洸三郎は夜空を見上げ、独りつぶやいた。
満州の人に「一年のうち何月が好きか」と尋ねると、即座に「六月と九月」と返ってくるそうだ。新秋爽涼、秋は肥沃な東北平原に多くの実りをもたらしてくれる。人々は果物や豆類などと月餅を月に供え、中秋の名月を楽しむ。
昭和六年の満州の中秋節は、九月二十五日が当たる。奉天城内も祭りを控えて慌ただしくなりはじめた矢先、事件が起こった。ちなみに中秋節は古来、「男不拝月」といって、女性のお祭りとされてきたそうである。日本のかぐや姫伝説の由来でもある古代の仏教伝説、月宮殿の主「嫦娥」が女性だからというのが理由らしい。
夜空にはくっきりと丸く明るい満月が、黄金色の光を放っていた。
重く閉ざした街の中で、支局だけが不夜城のごとく沸いていた。
戻ると田中が迎えた。
「おうっ、イモっ!帰ったか」
「おったんかいっ、ひょうたん」
田中とは、大阪の東亜部で席を並べた頃からこう呼び合っていた。まるでそれが“気の置けない間柄”、 親しさの証とアピールせんばかりに、敢えてトゲのあるあだ名を付け合い、罵り合うように相手を呼んだ。洸三郎はそうしたあだ名を付けるのが得意だった。
「戦跡探訪ちゅうて、またエライ活躍じゃのう。下関で写真見たときゃあ、どこの俳優さんが写っとるんかと思ったわい」
「まだ奉天中シナの兵隊がうろちょろしとるさかい、イモのように目立っては危のうて仕方ない。しばらくおとなしくしとき」
「なあに、これでも学生時代はラグビー部のフォワードで鳴らした口じゃイ。イザとなったら、スタコラ逃げおおせて見せるわい」
二人は顔を見合わせてガハハハと笑った。
「相変わらず口の減らないやっちゃの。ところで、腹ぁ空いてないか?」
口では互いに相手を叩きのめすことに余念がないが、気遣いもまた忘れない。
「うん。もう遅いで、なんか軽いもんがいい」
「ちょうど饅頭買うてきたさかい食べ」
「エライすまんの。そんなら遠慮なくご相伴にあずかるわ」
奉天へ応援に来た記者たちは、支局裏の春日ホテルを常宿にした。
その晩、そろそろ日付も変わろうとする頃のこと、宿の中に“万雷一時に落つるがごとき”轟音が鳴り響いた。宿泊の客たちはみな、「すわっ、地震か!」と飛び起きて、慌てて外へ飛び出した。
ところが奉天の街は何ごともなく夜のとばりの中に静まり返っている。狐につままれた思いで顔を見合わすと、ふたたび地鳴りのような鳴動が起こった。それは明らかに宿の中からであった。
洸三郎のイビキは社内で知らない者がないというほど有名であった。だが噂と実物は常に異なるものである。
「まさかここまでとは」――、というのが呆気に取られた避難民一同の偽らざる心境であった。
彼のイビキを訴える証言にはこと欠かないが、会社の先輩である吉岡分六(?)が残した次の記述が最も実態に近かったようである。
「渡邊のイビキに至ってはすこぶる複雑、大がかりのものであった。泰山鳴動するかと思 うとパッタリ鳴動がやむ。やむとやがて笛のように鼻が鳴る。しばらくすると蒸気のようにシューシューと吹き出 すのである。それからゴリラの嗚咽、鯨の潮吹き、浅間の鳴動、錯綜と して繰り返される」
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