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第一章第七節(奉天駅)
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七
早々に事変の不拡大方針を決定した日本政府だが、実は政府の中にも「奉天の事件は関東軍が計画的に起こしたものではないか」との疑念が持ち上がっていた。
十九日午前十時からの閣議に臨んだ南次郎陸相は、軍事上の情況を説明した上で内地から満洲へ三個師団を派遣するよう求めるつもりだった。ところが幣原喜重郎外相がその機先を制した。
外相の手元には、奉天総領事の林久治郎から送られてきた極秘電がある。増兵案を腹に抱えた南陸相の前で、幣原は朗々とそれを読み上げた。
「九月十七日夜、撫順炭鉱の庶務課長が林のもとへやって来きて、どうも軍の方に不穏な動きがあ うようだと通報してきた。庶務課長が言うには十四日、撫順守備隊長の川島精一大尉が『奉天の航空基地襲撃を想 定した撫順の臨時警備演習を行う』と言って、在郷軍人会長と警察署長、憲兵隊長、ほかに炭鉱庶務課長や撫順駅 長、大官屯駅長を集めて会議を開いた。その際川島隊長は、『守備隊は東北軍の飛行場を襲う計画である。ついて は満鉄に列車の準備を依頼したい。また、守備隊が出発した後の炭鉱防備は在郷軍人を中心に当たってもらいた い』と要請した。その上で、『本件は極秘事項であるので他言のないようくれぐれも注意してもらいたい』と念を 押した。ところが十七日朝になると、『本件は交渉上の都合により一時延期になった』と白紙撤回してきた」
また、事変発生直後には満鉄の木村理事から、「破壊された線路の補修のために満鉄から保線工夫を派遣したところ、軍は工夫を現場に近寄らせようとしなかった」との内報を受けた。これらを総合し、林は「どうも今回の事件は軍部が計画的行動に出たものと思われる」と報告してきたのだった。
幣原の朗読が終わると閣議の空気は一変した。張作霖爆殺の前科があるだけに、陸軍の旗色は悪い。結局、陸相は増兵案を提示することなく、「民国側からの新たな攻撃が無い限り、当面は現体制を維持し事変を拡大しない」とする不拡大方針に賛同させられる。すでに出動態勢を整えて国境に集結していた朝鮮軍は、越境せず待機するよう命ぜられた。
官邸における綱の引き合いなど露ほども知らぬ洸三郎は、何年かぶりで奉天駅へと降り立った。列車から降りた洸三郎の顔を、後から降りてきた乗客が意味あり気に覗き込んで行く。これまで幾度となく浴びてきた視線だ。(またか)と心中つぶやいた。当人もその理由には心当たりがある。
洸三郎の人並み外れた鼾は、学生時分から彼の人格の一部となっていた。会社に入ってもその評判は衰えることなく、入社早々「三代目」という看板とともに全社へ知れ渡った。今回の奉天行きを命ぜられたとき、洸三郎の頭をよぎったのは前線へ出るという記者の野心と、過去から引きずってきた何かを新天地で断ち切れるかもしれないといった淡い期待であった。しかし人は生まれつき備わった属性を容易に変えられるものではない。
「まあエエがな」
結局、現実を受け入れるしかなかった。
奉天へは中学生の頃、父に連れられて一度来たことがある。
赤レンガと花崗岩を組み合わせた豪壮な駅舎に、先ずは度肝を抜かれた。東京駅より四年早く竣工した駅舎は、東京駅と同じ「辰野様式」と呼ばれる建築様式だそうである。もっとも、洸三郎は東京駅など見たことがなかったが……。関西では御影石造りが印象的な大阪駅(二代目)が威容を放つが、大きさも貫禄も奉天駅には及ばなかった。
当時、大阪駅の二階には名物の食堂があり、洸三郎も何度か舌鼓を打ったことがある。片や奉天駅の二階ではヤマトホテルが営業していて、内外の貴賓がここへ投宿した。ホテルはちょうどこの頃、客室を十三室から二十室へ増築したところだった。その後はさらに規模を拡大し、奉天広場沿いにある現在の場所へと移転した。奉天のめざましい発展ぶりを物語る逸話として紹介しておく。
駅前の広場を馬車鉄道が鈴を鳴らして通り過ぎる。そこから北東、東、南東へと放射状に三本の目抜き通りがまっすぐ伸びている。いずれの道幅も内地ではお目にかかれないほど広く、壮大な都市計画の一端をうかがわせた。
改札を抜けると、駅前に雲集する洋車の群れと、客引きをする車夫や宿屋の甲高い声が襲ってきた。何十とも知れない怪しげな客引きが、いっせいに旅人を取り囲む。前後左右ベタ一面に、いろんな人相が並び、何かをわめき立てて来る。中には薄汚れて皺だらけの手を伸ばし、強引に袖口をつかんでくる者もいて、まだ世間を知らない少年は思わず父の後ろへ隠れてしまった。
洋車とはとどのつまり、日本の人力車を輸出したもので「東洋車」の意味だそうだ。満洲では洋車だが、上海へ行くと黄包車となる。どちらも同じ“人力車”のことで、明治の中ごろに大陸へ伝わると、いつの間にか大陸中人力車だらけになってしまった。挙句には日本から来た客がこれら車夫に追い回される羽目になってしまったのだ。
満州の庶民の足としては、洋車のほかにも馬鉄と呼ばれる馬車鉄道や馬車も活躍している。今日的に言えば、タクシーと路面電車、路線バスといったところか。
早々に事変の不拡大方針を決定した日本政府だが、実は政府の中にも「奉天の事件は関東軍が計画的に起こしたものではないか」との疑念が持ち上がっていた。
十九日午前十時からの閣議に臨んだ南次郎陸相は、軍事上の情況を説明した上で内地から満洲へ三個師団を派遣するよう求めるつもりだった。ところが幣原喜重郎外相がその機先を制した。
外相の手元には、奉天総領事の林久治郎から送られてきた極秘電がある。増兵案を腹に抱えた南陸相の前で、幣原は朗々とそれを読み上げた。
「九月十七日夜、撫順炭鉱の庶務課長が林のもとへやって来きて、どうも軍の方に不穏な動きがあ うようだと通報してきた。庶務課長が言うには十四日、撫順守備隊長の川島精一大尉が『奉天の航空基地襲撃を想 定した撫順の臨時警備演習を行う』と言って、在郷軍人会長と警察署長、憲兵隊長、ほかに炭鉱庶務課長や撫順駅 長、大官屯駅長を集めて会議を開いた。その際川島隊長は、『守備隊は東北軍の飛行場を襲う計画である。ついて は満鉄に列車の準備を依頼したい。また、守備隊が出発した後の炭鉱防備は在郷軍人を中心に当たってもらいた い』と要請した。その上で、『本件は極秘事項であるので他言のないようくれぐれも注意してもらいたい』と念を 押した。ところが十七日朝になると、『本件は交渉上の都合により一時延期になった』と白紙撤回してきた」
また、事変発生直後には満鉄の木村理事から、「破壊された線路の補修のために満鉄から保線工夫を派遣したところ、軍は工夫を現場に近寄らせようとしなかった」との内報を受けた。これらを総合し、林は「どうも今回の事件は軍部が計画的行動に出たものと思われる」と報告してきたのだった。
幣原の朗読が終わると閣議の空気は一変した。張作霖爆殺の前科があるだけに、陸軍の旗色は悪い。結局、陸相は増兵案を提示することなく、「民国側からの新たな攻撃が無い限り、当面は現体制を維持し事変を拡大しない」とする不拡大方針に賛同させられる。すでに出動態勢を整えて国境に集結していた朝鮮軍は、越境せず待機するよう命ぜられた。
官邸における綱の引き合いなど露ほども知らぬ洸三郎は、何年かぶりで奉天駅へと降り立った。列車から降りた洸三郎の顔を、後から降りてきた乗客が意味あり気に覗き込んで行く。これまで幾度となく浴びてきた視線だ。(またか)と心中つぶやいた。当人もその理由には心当たりがある。
洸三郎の人並み外れた鼾は、学生時分から彼の人格の一部となっていた。会社に入ってもその評判は衰えることなく、入社早々「三代目」という看板とともに全社へ知れ渡った。今回の奉天行きを命ぜられたとき、洸三郎の頭をよぎったのは前線へ出るという記者の野心と、過去から引きずってきた何かを新天地で断ち切れるかもしれないといった淡い期待であった。しかし人は生まれつき備わった属性を容易に変えられるものではない。
「まあエエがな」
結局、現実を受け入れるしかなかった。
奉天へは中学生の頃、父に連れられて一度来たことがある。
赤レンガと花崗岩を組み合わせた豪壮な駅舎に、先ずは度肝を抜かれた。東京駅より四年早く竣工した駅舎は、東京駅と同じ「辰野様式」と呼ばれる建築様式だそうである。もっとも、洸三郎は東京駅など見たことがなかったが……。関西では御影石造りが印象的な大阪駅(二代目)が威容を放つが、大きさも貫禄も奉天駅には及ばなかった。
当時、大阪駅の二階には名物の食堂があり、洸三郎も何度か舌鼓を打ったことがある。片や奉天駅の二階ではヤマトホテルが営業していて、内外の貴賓がここへ投宿した。ホテルはちょうどこの頃、客室を十三室から二十室へ増築したところだった。その後はさらに規模を拡大し、奉天広場沿いにある現在の場所へと移転した。奉天のめざましい発展ぶりを物語る逸話として紹介しておく。
駅前の広場を馬車鉄道が鈴を鳴らして通り過ぎる。そこから北東、東、南東へと放射状に三本の目抜き通りがまっすぐ伸びている。いずれの道幅も内地ではお目にかかれないほど広く、壮大な都市計画の一端をうかがわせた。
改札を抜けると、駅前に雲集する洋車の群れと、客引きをする車夫や宿屋の甲高い声が襲ってきた。何十とも知れない怪しげな客引きが、いっせいに旅人を取り囲む。前後左右ベタ一面に、いろんな人相が並び、何かをわめき立てて来る。中には薄汚れて皺だらけの手を伸ばし、強引に袖口をつかんでくる者もいて、まだ世間を知らない少年は思わず父の後ろへ隠れてしまった。
洋車とはとどのつまり、日本の人力車を輸出したもので「東洋車」の意味だそうだ。満洲では洋車だが、上海へ行くと黄包車となる。どちらも同じ“人力車”のことで、明治の中ごろに大陸へ伝わると、いつの間にか大陸中人力車だらけになってしまった。挙句には日本から来た客がこれら車夫に追い回される羽目になってしまったのだ。
満州の庶民の足としては、洋車のほかにも馬鉄と呼ばれる馬車鉄道や馬車も活躍している。今日的に言えば、タクシーと路面電車、路線バスといったところか。
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