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第一章第四節(国境)

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                 四

 京城で入手した新聞は、第二師団主力と奉天の第二十九聯隊が長春方面へ移動中だと報じていた。長春からさらに北進してハルビンへ向かうのか、東へ折れて吉林か。どちらもあり得る話である。しかし日本軍は長春以北に駐兵権を持たない。もし北進すれば国際輿論がかまびすしくなるだろうし、下手をすればソ連邦の勢力圏へ手を伸ばすことになる。新たな火種を起こすのは必至で、最悪、第二次日露戦争ともなりかねない。洸三郎の中にブンヤの本能がむくりと起き上がった。
 ところで朝鮮軍はまだ国境付近に待機中なのだろうか。京城から先は京義本線となり、いよいよ国境を越えて満洲に入る。あわよくば国境の街、新義州しんぎしゅうで待機中の朝鮮軍を見ることができるかもしれない。いっそのこと途中下車して取材でもしてやろうか。いやいや朝鮮軍には京城支局が従軍しているはずだから、勝手な真似はやめておこう。独りであれこれ妄想を膨らましながら、列車の振動に身を任せた。

 列車はさらにゴトン、ゴトンと軽快な音を立て、ひたすら走り続けた。
 黄州鎮南浦付近に差し掛かると、再びリンゴ園が広がった。この辺りは大邱と並び、朝鮮におけるリンゴの二大産地で鳴らす土地柄である。こちらは山地を開墾したもので、ふもとから山頂にかけてだいぶ人の手が入った様子がうかがえる。ガイドブックによると、あまり上の方だと収穫に苦労するし、雨が降れば肥料が流れ出てしまうという。だいたい人が荷車を引いていけるくらいの高さまでが限度なのだそうだ。
 京釜本線と打って変わり、京義本線沿いは畑地が多くなる。コバルト色の空の下、収穫作業にいそしむ農夫たちが車窓を流れていった。遠方に臨む小高い丘には藁葺わらぶきの民家が密集していた。内地の農村風景とは異なり、家々の屋根は低く作られている。屋内に暖気を籠らせるための工夫だという。床のオンドルに火を入れるのはまだまだ先のことだろう。
 列車は間もなく大同江を渡る鉄橋へと差し掛かる。平壌まではもうじきだ。
 平壌を過ぎて定州、宣川を越えると、いよいよ国境の街、新義州にいたる。新聞の情報通りならば朝鮮軍がここに待機しているはずである。

 新義州のひとつ手前の石下駅を過ぎた辺りから、列車は徐行しはじめた。客車の中がにわかにざわつきはじめ、車窓から頭を出す人の姿がちらほら見受けられるようになった。洸三郎もそれにつられて、つい身を乗り出した。
 いるいる。引込線にはもうもうと黒煙を吐き出す機関車と、客車、貨車がずらり並んでいるではないか。その周りを軍服姿の兵士たちが行ったり来たり、忙しそうに立ち働いている。貨車の格子の奥に馬の尻が並び、客車の窓には兵士たちの目が並んだ。こちらが向こうを眺めているのと同じく、向こうもこちらを覗いている。ただこちらから手を振っても、向こうからは一切振り返してこなかった。
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