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第一章第二節(イザ、奉天へ)

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                 二

 事変の知らせは、当時まだ生粋きっすいの通信社であった電通の至急電で届いた。深夜の大阪毎日新聞東亜通信部には、当直デスクと記者数人、無線技士がいるばかりであった。日華両軍の交戦は昭和三年五月の済南さいなん事件以来となる。しかも今回は「満州某重大事件」として伝わる張作霖の爆殺事件以来すっかりりを潜めてきた関東軍が再び動き出したのだ。ブンヤの嗅覚きゅうかくを誘惑するネタとして申し分ない。ただし、この頃の電通電は誤報や“飛ばし”が多く、当直デスクは半信半疑でニュース電報を読み返した。程なく奉天支局からも同様の電報が届いたので、早速幹部連中を呼び起こした。
 朝刊の大ゲラが組み替えられ、真夜中にもかかわらず編集会議が招集された。
 新聞にとって戦争は格好の飯のタネだ。実際、日露戦争をピークに販売部数が下降し続けた新聞各紙は、満洲事変を大底おおぞこに再び息を吹き返す。それを予期した如く、各社ともにすぐさま報道合戦へ向けた態勢を組んだ。大毎だいまいも数名の記者を選び出し、急ぎ奉天へ応援に出すことにした。

 渡邉洸三郎は入社してまだ一年足らずの新米記者である。しかし、父の巳之次郎、祖父の治はともに大毎の編集主幹を務め、就中なかんづく祖父は傾きかけた新聞社を立て直した「中興の祖」と称される人物としても名が通っていた。二人とも中華文明への造詣ぞうけいが深く、その筋の大家たいかと呼ばれた。いわば血統書付きである。洸三郎自身も幼少の頃から大陸の文化や歴史を愛し、父や祖父と同じ道を歩みたいと望んできた。
 半年あまりを編集局研修生として過ごした後、この一月から東亜通信部に配属された。駆け出しではあるが、今回のような急場で彼のような独り身は使い勝手がいい。経験を積ませる意味もあって真っ先に白羽の矢が立った。
 洸三郎の荷造りは確かに簡単だった。すぐさま帰宅し、着替えや身の回りのものを雑然と行李へ押し込んだ。
「どないしたん、こんな時間に」
 母親がいぶかしげに部屋へやってきた。
「ああ、おかん。今朝の新聞見たやろ。満洲で事件や。取材に行くことになった」
「取材って、あんた……。満洲行くんかい」
「そや、満洲や、奉天までや」
「そんなこと……、いくら何でも突然やないの」
「お・か・あ・さ・ま。僕は新聞記者ですよって。仕事はいつも突然ですわ」
 母は驚きを隠さなかったが、そこはさすがに新聞人の一家である。あっさりと事態をみ込んだ。
「そりゃそうやけど……」
 そりゃそうや……、せやけど大新聞社の編集主幹を務めたほどの夫ですら、さすがに「海の向こうまでちょっくら行ってくる」とは言わなかった。世の中、変わったものだ。
「いつ帰ってくるん?」
「さあ、何も言われておらん。役に立たなかったらすぐ追い返されるよって」
「あほ、そんなやったら帰って来んでええ。日本海に沈んしまえ」
「あははは。まあ、とにかく精一杯やってきます」
「気いつけてな。生水呑んだらあかんよ」
「分かってますよって」
 母は玄関先で厄除やくよけの火打石ひうちいしを打ってくれた。時代劇でよく見るやつだ。こうして洸三郎は、一七〇センチに満たない背丈に九〇キロを超す体重という堂々たる体躯たいくを揺らして大阪駅へと急いだ。
 神戸で特急に乗り換え、下関へ着いたら日が暮れていた。船の便はもうない。今日はここで一泊となる。ケンサキイカのおいしい季節だが、オムライスを食べてその日は寝た。
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