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第四章政略
第四章第六節(綴)
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六
片倉大尉の『日誌』と外交官の公電--。
それぞれが身内へ向けて「エヘン! 自分の方がエラいっ!」と誇示した訳だが、これらの資料は取りも直さず軍部と外務省の「力関係」を反映する“写し鏡”のはずだ。
満洲事変について、「事変は関東軍の独走によるものだった」とか、「政府は軍部の圧力に押されて本来の政策を執ることができなかった」などの総括がなされている。もし片倉の記述が真実に近ければ林は本省へ向けて虚勢を張ったこととなり、林の公電の方が事実であったならば、この俗説は覆る。
まあ筆者は歴史の「審判員」ではないから、そこのところの判定は遠慮しておく。
ただ参照する資料によって、歴史はかくも異なった風景に見えるとだけ書いておこう。
忘れられがちだが、日本は昭和十二年の「支那事変」以来、八年にわたって“戦争状態”にあった。戦時中に軍部の発言力が高まるのは当たり前で、どこの国の政府にだって同じ現象は見て取れる。敢えて例外を挙げるならば、ヴェトナム戦争中の合衆国はこれに当てはまらない。その結果がどうなったかは、言うまでもなかろう。
その反省を踏まえてか、「湾岸戦争」のときのアメリカのメディア統制は、外側から見ていてもかなり厳しかった。そしてこのとき急速に台頭したのが、昨今“ワシントン”の官製メディアとも批判されるCNNだったというのも有名な話である。
第一次大戦以降の「戦争」は、軍隊だけで遂行できるものではなくなり、国家総がかりの「総力戦」となった。戦争は軍隊だけでやるものではなく、官民合わせた“全国民”が“一丸”となって戦わねば勝てなくなった。
政治家も役人も、産業界やマスコミだって、それぞれの役割に応じて「国威発揚」に心身をささげたし、学者や教育者は政策に基づいて国民や教え子の指導、教育に当たった。
それが敗戦と同時に突然、手のひらを返して、競って「軍部の横暴」なるものを咎めだてした。自分がいかに戦争に反対だったかを喧伝しはじめ、戦争にかかわるすべての責任を、敗戦とともに解体され消滅した軍隊におっかぶせ、自分たちは涼しい顔をしはじめた。
だが戦争はあくまで国の政策の延長であって、外交交渉の帰結であるという大原則を無視していないだろうか?
先の大戦やそれに先立つ小規模な紛争も、決してこの原則から外れているものではない。もし敢えて軍人の責任を問うとするならば、それは戦争に“負けた”ことへの責任に限定されるべきものであって、なぜ戦争になったかの責任を軍人に問うなど、あまりに馬鹿馬鹿しい。
過去を切り捨てることが、将来に対するいったい何の反省になると言うのか?
消滅した軍隊に責任を被せ、自分を勘定に入れない「反省」など繰り返したところで、いったい何の意味があると言うのか?
「あれはおろかな戦争だった」って? 我々の父祖が道を誤ったって?
バカを言え!
同じ条件の下で同じ断崖に立たされたなら、いまの“知識人”や“指導者”なるものだって同じ選択をするに違いない。いや、もっとお粗末な結論を導き出すだろう。
古い資料をめくりながらつくづく思うのだが、昔の人たちは、私たちの父祖は実に賢明であったし、懸命であった。
大分筆が滑った。
ところで、林が二人に閲覧を許した公電の綴りから、新たな事実が浮かび上がる。新政権樹立へ向けた動きがはじまるや、幣原外相は天津の桑島主計総領事へ宛てて宣統帝の監視を命じていたことや、関東庁から外相宛てに「宣統帝擁立の動きがある」と通告していたことなどだ。
事変前の満洲は、関東庁と奉天総領事、満鉄、関東軍司令官が居留民の自治権を司っていた。居留民たちはこれを「四頭政治」と呼んで、諸悪の根源呼ばわりしていた。ところが林の見せた電報によって、関東軍司令官のみが「四頭政治」の蚊帳の外にあったことが判明した。
三宅参謀長から話を聞いた板垣高級参謀は即日、満洲において日本の警察機構を担う関東庁警務局の中谷政一局長へ会見を申し入れた。今後、政略を進める上で取締機関への根回しは絶対に必要である。板垣からの懇請に応じた中谷局長はすぐさま奉天へ来訪し、会談は速やかに実現した。その際板垣は、「新政権樹立運動は決して混乱に乗じた火事場泥棒的なものではない」と警務局長の理解を求めた。中谷は事前に塚本清治関東庁長官から、「出先機関として、互いの協力が必要だ」と訓示を受けていたため、板垣の申し出に好意的に応えた。さらに局長は、「日頃から関東庁、満鉄とはよく連携する」という条件付きで、「取り締まりについては手加減を加える」と約束してくれた。
片倉大尉の『日誌』と外交官の公電--。
それぞれが身内へ向けて「エヘン! 自分の方がエラいっ!」と誇示した訳だが、これらの資料は取りも直さず軍部と外務省の「力関係」を反映する“写し鏡”のはずだ。
満洲事変について、「事変は関東軍の独走によるものだった」とか、「政府は軍部の圧力に押されて本来の政策を執ることができなかった」などの総括がなされている。もし片倉の記述が真実に近ければ林は本省へ向けて虚勢を張ったこととなり、林の公電の方が事実であったならば、この俗説は覆る。
まあ筆者は歴史の「審判員」ではないから、そこのところの判定は遠慮しておく。
ただ参照する資料によって、歴史はかくも異なった風景に見えるとだけ書いておこう。
忘れられがちだが、日本は昭和十二年の「支那事変」以来、八年にわたって“戦争状態”にあった。戦時中に軍部の発言力が高まるのは当たり前で、どこの国の政府にだって同じ現象は見て取れる。敢えて例外を挙げるならば、ヴェトナム戦争中の合衆国はこれに当てはまらない。その結果がどうなったかは、言うまでもなかろう。
その反省を踏まえてか、「湾岸戦争」のときのアメリカのメディア統制は、外側から見ていてもかなり厳しかった。そしてこのとき急速に台頭したのが、昨今“ワシントン”の官製メディアとも批判されるCNNだったというのも有名な話である。
第一次大戦以降の「戦争」は、軍隊だけで遂行できるものではなくなり、国家総がかりの「総力戦」となった。戦争は軍隊だけでやるものではなく、官民合わせた“全国民”が“一丸”となって戦わねば勝てなくなった。
政治家も役人も、産業界やマスコミだって、それぞれの役割に応じて「国威発揚」に心身をささげたし、学者や教育者は政策に基づいて国民や教え子の指導、教育に当たった。
それが敗戦と同時に突然、手のひらを返して、競って「軍部の横暴」なるものを咎めだてした。自分がいかに戦争に反対だったかを喧伝しはじめ、戦争にかかわるすべての責任を、敗戦とともに解体され消滅した軍隊におっかぶせ、自分たちは涼しい顔をしはじめた。
だが戦争はあくまで国の政策の延長であって、外交交渉の帰結であるという大原則を無視していないだろうか?
先の大戦やそれに先立つ小規模な紛争も、決してこの原則から外れているものではない。もし敢えて軍人の責任を問うとするならば、それは戦争に“負けた”ことへの責任に限定されるべきものであって、なぜ戦争になったかの責任を軍人に問うなど、あまりに馬鹿馬鹿しい。
過去を切り捨てることが、将来に対するいったい何の反省になると言うのか?
消滅した軍隊に責任を被せ、自分を勘定に入れない「反省」など繰り返したところで、いったい何の意味があると言うのか?
「あれはおろかな戦争だった」って? 我々の父祖が道を誤ったって?
バカを言え!
同じ条件の下で同じ断崖に立たされたなら、いまの“知識人”や“指導者”なるものだって同じ選択をするに違いない。いや、もっとお粗末な結論を導き出すだろう。
古い資料をめくりながらつくづく思うのだが、昔の人たちは、私たちの父祖は実に賢明であったし、懸命であった。
大分筆が滑った。
ところで、林が二人に閲覧を許した公電の綴りから、新たな事実が浮かび上がる。新政権樹立へ向けた動きがはじまるや、幣原外相は天津の桑島主計総領事へ宛てて宣統帝の監視を命じていたことや、関東庁から外相宛てに「宣統帝擁立の動きがある」と通告していたことなどだ。
事変前の満洲は、関東庁と奉天総領事、満鉄、関東軍司令官が居留民の自治権を司っていた。居留民たちはこれを「四頭政治」と呼んで、諸悪の根源呼ばわりしていた。ところが林の見せた電報によって、関東軍司令官のみが「四頭政治」の蚊帳の外にあったことが判明した。
三宅参謀長から話を聞いた板垣高級参謀は即日、満洲において日本の警察機構を担う関東庁警務局の中谷政一局長へ会見を申し入れた。今後、政略を進める上で取締機関への根回しは絶対に必要である。板垣からの懇請に応じた中谷局長はすぐさま奉天へ来訪し、会談は速やかに実現した。その際板垣は、「新政権樹立運動は決して混乱に乗じた火事場泥棒的なものではない」と警務局長の理解を求めた。中谷は事前に塚本清治関東庁長官から、「出先機関として、互いの協力が必要だ」と訓示を受けていたため、板垣の申し出に好意的に応えた。さらに局長は、「日頃から関東庁、満鉄とはよく連携する」という条件付きで、「取り締まりについては手加減を加える」と約束してくれた。
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