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第四章政略

第四章第一節(軍略から政略へ)

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                                                 一
  
 事変から十日、二週間とていくが、かつて三万人規模の“抗日デモ”を行ったはずの奉天市民から、旧政権の復帰を望む声は一切上がらなかった。満洲ではすでに、「張学良ちょうがくりょうを奉天へ呼び戻して事変前の状態に戻すなど絶対に不可能だ」との空気が支配的だった。
 それではと言って、満洲三千万の人々が日本の統治を望んだかと言えば、そんな手前味噌てまえみそなことなど言えるはずもない。だが少なくとも、旧政権の腐敗ふはい堕落だらく苛斂誅求かれんちゅうきゅうには、華人住民ですら愛想あいそかしていたことだけは、確かなようだ。
 
 九月二十八日、奉天で袁金鎧えんきんんがい闞朝壐かんちょうじが「遼寧りょうねい地方維持いじ委員会」を組織して張学良政権との絶縁を表明した。吉林では熙洽きは参謀長が奉天政権からの独立を宣言する。翌日は熱河ねっか湯玉麟とうぎょくりんも独立を宣言して、三十日には張景恵ちょうけいけいがハルビンに「特別行政区自治制」を施行し、実質的な独立を果たす。十月一日には洮南とうなん張海鵬ちょうかいほうみずからを「辺防保安使令へんぼうほあんしれい」と名乗り、黒龍江省との縁切りを声明した。

 「軍略」から「政略」へ--。
 新聞の見出しだけを追うならば、いかにも順調にことが運んだかに見える。だがいくら清朝再興を願う「復辟派ふくえきは」だったからといって、彼らもまた旧政権時代の要人たちである。普通に考えて、関東軍の都合に合わせて簡単に訳もない。
 実態はと言えば、張景恵ちょうけいけいは奉天の自宅にこもったきり、なかなかえ切らなかった。板垣は張(景恵)に最後の決心を迫り、新井宗治あらいそうじを随伴させてなかば強制的にハルビンへと帰任させた。同地の特務機関へも新たに中川を派遣し、「特別区」というかたちで中央からの分離を宣言のだった。
 洮南とうなんの張海鵬も「手勢に実戦経験がないから」と言って、強力な軍隊をようする黒龍江省へ反旗はんきひるがえすのをためらい続けた。ついには萬福麟まんふくりんが逃亡したあと省主席不在となっていた黒龍江省政府を相手に、「武力によらずに政権を明け渡せ」と政治交渉を始めた。もちろん、いつ決着がつくとも分からない悠長ゆうちょうな交渉である。ごうを煮やした関東軍側は、満鉄洮南とうなん公所長の河野正直を交渉人に立てて張(海鵬)へ接触を図るが、やれ飛行機を寄越よこせ、武器やカネが不足していると要求を重ねるばかりで、新政権樹立への動きは一向に見えてこなかった。
「求めに応じて飛行機などを提供したら、関東軍の裏工作が見え見えになってしまうではないか!」
 河野の連絡を受けたある幕僚などは、「言語道断だ!」と語気を強めたという。

 もともと洮南とうなん中村震太郎なかむらしんたろう大尉が殺害された場所でもあり、関東軍内にはとむらい合戦を望む声すらあった。また、張海鵬の手で武装解除された屯墾兵とんこんへいが馬賊と化して、白城子はくじょうし洮南とうなんを荒らしているとも言う。
 関東軍ではいったん張海鵬に見切りをつけて、ほかの人物を探そうかという話にもなった。しかし、張海鵬をす河野には、中村大尉事件に際して現地で尽力してもらった恩義がある。取りあえず馬賊を追い払うとの口実で装甲列車を仕立て、一個大隊を付けて洮南とうなんへ出動させた。
 二十二万の敵をわずか一万の兵で破った関東軍の威名いめいは、満洲の奥地にもひびきわたっていた。列車が到着する頃には馬賊の姿はなく、出動した部隊はすぐさま鄭家屯ていかとんへ取って返した。

 棚からぼたもち、瓢箪から駒--。このときの出兵は、張海鵬ちょうかいほうを威圧するのに十分だった。結局、小銃五千丁と被服一万着を与えることで、ようやく決心を固めさせた。 
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