サンタヤーナの警句

宗像紫雲

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サンタヤーナの警句(第二十九話)

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                二十九

「しかし不思議なのですが……」
 隆三は高橋や春日が唱えた「ドル暴落説」に興味を惹かれ、自ら足を踏み込んで来たにもかかわらず、依然として春日に対する警戒心を解けなかった。
「私の友人にも春日さんと同じようなものの見方をする人物がいます。今回、あなたを紹介してくれた高橋氏も、やはり個人的には同じです。世間が“円安”というのをあなたは“ドル高”と言い、『止まらない円安』を『ドルの暴落』という……。どうしてなんですか?」
 
 春日だって自分が世間と逆のことを語っているのは百も承知だ。しかし世間がどうであろうと、他人がどうであろうと、自分が「これ」と信じ切ったことは頑として貫かねばならない。彼にはそういう“信念”があった。
「需給ギャップがデフレ基調にあるときは世の中にモノが溢れている訳ですから、いかにしてが重要です。そうした過程で人々は、物欲よりも観念が満たされる、もしくは神経回路が刺激される世界を求めに行きます。これがインフレになるとすべてがひっくり返る。ファンタジーやイリュージョンの世界ではなく、何かもっと確かなもの、手ごたえのある世界を志向するようになるのだと考えます」
 隆三はその言葉に妻と娘の姿を連想した。アイツらがイケメン俳優のドラマにそっぽを向く日が来る……? イヤイヤ、想像もつかない……。

「日本もアメリカも、株や債券の市場がすべて中央銀行の資金で買い支えられているのを知らぬとは言いますまい。それにつられて不動産価格もうなぎ上りです。それなのに企業価値だの成長ストーリーだのと、みんな八百長じゃないですか……。すべてはイリュージョンなんですよ」
「……」
「あなたがこのたび取り上げたインフレは、そのイリュージョンが所詮は“手品師の芸当”に過ぎなかったという冷徹な現実を白日の下に晒す転機をもたらします。妄想でパンパンに膨らんだ風船へ針を押し当てるようなものなのです」
 そこまで一気にまくしたてた春日は、カタルシスを味わったように満足気な顔をして、今度は「あなたの番です」といった風に隆三を見やった。

「あなたはイリュージョンとおっしゃいますが、GAFAやFANGで知られたIT企業や情報産業をけん引したのは紛れもなくアメリカじゃないですか。今後もブロックチェーン技術を活用した『Web3.0』と呼ばれる世界が広がると予想されています。おまけにシェール革命によって今度は資源国として世界の覇権を握るとも言われます」
 隆三は聞きかじりの知識を集めた“生兵法なまびょうぼう”で春日のディストピアに対抗した。ところが相手はそれを、赤子の手をひねるように討ち払った。
「いま挙げてもらったGAFAやFANGは、株式の時価総額を引き上げるのに大きく寄与しました。しかしそれらの産業がアメリカのGDPに占める割合をどの程度と見積もっておられますか?」
「……」
 予期していたとは言え、やはり大やけどを被った。どだい相手が違うのだ。
「新聞紙面に華々しく取り上げられるそれらの企業は『情報・通信産業』に含まれます。この産業全体でGDPにしめる割合は5・5%と、政府支出の半分に満たない。またシェールガスや石油などの資源は『鉱業』に括られますが、その他すべての鉱物と合わせても現時点で1%未満とお寒い状況です。もし今後、掘削を本格化させたところでたかが知れています」
 そう言い放つと、春日は背もたれの高い革張りの椅子に寄りかかり、深くため息をついた。そして再び前かがみの姿勢になって組んだ手の上に身を乗すと、訴えかけるようにこう言った。

「私はね、羽柴さん……。実態に見合わないその種のイリュージョンに騙されないよう、世の中を啓発したいのです。高橋君やメディアの諸君に情報を提供しているのはそのためです。つい今しがたもある新聞記者が私のレクチャーを聞いて帰っていきました」
 井坂忠雄--。
 そうか、それですべての合点がいった。井坂が急に物知りになったこと--。世間の流れに刃向かって、尖ったもの言いをするようになったこと--。そのみなもとがすべてここにあったということか--。どうりでみんな同じことを言う訳だ。

 記者には記事の客観性を担保するため、複数の情報源に当たれという鉄則がある。そしてだいたい三か所以上で同じ話が聞けたなら、それを「客観的」と判断できる。しかしよくよく話を聞いているうちに複数だったはずの情報の源が、実は同じだったというケースにぶち当たることもなくはない。
 もっとも、近年ではそれほど生真面目に取材努力する記者も少なくなっているようだ。新聞も雑誌も記者に記事の正確性より“生産性”を求めているから……。
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