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後日談④
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新郎新婦のためにと用意された特別の席に集まる、数多の注目の隙を縫うようにして、小さな声でアルトが囁いた。
「……リオ。お加減は」
「……何とか、大丈夫……」
答えるリオの声はもっとささやかで、消え入りそうなものだったけれど。その頬にだけはどうにかこうにか、笑顔を作り続けている。
この世に満ちる全ての幸いの中心で、夢見心地に互いを瞳に映しているような。理想的な新郎新婦の姿は保っていたものの――その実、二人は割と冷静に現実と見つめ合っていた。
ロマンティックな感情も、ただただ嬉しいという気持ちも勿論持ち合わせてはいるのだが。正直それ以上に、この婚礼は過酷だった。
(エヴァ様、張り切り過ぎです……!)
いっそ当人たちよりもはしゃいでいる女王陛下の鶴の一声で、王都到着時にも舞踏会、婚礼前夜にも舞踏会。さらに早朝から昼過ぎまでかかった婚礼式典に、日暮れまで続いた祝賀パレード。息つく間もない行事の連続で、すでにリオはヘロヘロだった。
大掛かりな催しは、王族の婚礼にはつきものだ。ある程度の覚悟は固めていたリオだったが、その緊張に反して、挙式は二人と僅かな立会人だけで行われるごくシンプルなものだったのだが。
『魔法使いの結婚は、ごくごく重い契約なので。もし悪意ある第三者の割り込みがあれば、厄介な呪術戦になります』
そのための立会人です、と。いかにも自信満々と言ったエルドラとマイラは、その見た目からはフラワーガールかリングボーイかという愛らしさではあったものの。どんな呪いにも負けませんと言い切るその頼もしさとのギャップに、リオは青褪めつつありがとうと答えるしかなかったのだった。
相愛のロイヤルウェディングに、うっとりとした熱視線を二人に向ける女性たちの憧憬はしみじみと感じつつも。アルトがリオから目を離さない理由の七割は、多分いつ卒倒するか解らない顔色を化粧で誤魔化していることを知っているからだと思う。
しかし、ここで本当に倒れでもしたら。ここまでの努力が全て台無しになってしまうことを知っているリオは、心の底から本気で必死だった。それでもこうしてアルトに腰を抱かれて密着していれば、心はそわそわするけれど、それ以上に安堵するのも本当で。お互いを気遣う眼差しを送り合いながら、二人はそっと微笑んだ。
(……本当に、夢みたいだ)
お伽噺の魔法使いの国で、こんなに綺麗に着飾って。こんなに綺麗で優しい人と、夫婦の誓いを立てて隣に並んでいるなんて。
生まれ育った環境と、生け贄として雪山を登った経緯を思えば、正に奇跡としか言いようのない時間を噛み締めながら。リオは束の間、愛しい相手の体温と鼓動を感じる幸福に浸った。
しかし、いつまでも座ったままではいられない。小休止を挟んでいた楽団の調律の音に、アルトは顔を上げてリオを見つめた。
「リオ。……まだ、踊れますか」
「踊れるよ」
本当のところ、もう一度踊れば、きっと足腰が立たなくなってしまうだろうというくらい疲れてはいたけれど。それでも今日ばかりは、彼のパートナーの座を他の誰に譲ることもできない。足が折れても踊れるようにと、エルドラに特訓してもらったのもそのためだ。
アルトはまだリオを案じている様子ではあったけれど、それでもリオの決意は伝わったらしい。頷いて、そっとリオの手を取った。
「この曲が終わる頃には……デリラが、ご挨拶に来るはずです。ご辛抱を」
うん、と。答えたリオは、小さく笑ってしまう。
デリラは――遠征先で出会った、緑目の少女は。幼形成熟でこそないものの、高度な治癒魔術を自在に扱える天才少女なのだ。
あの騒動で、物理的に首を切られても仕方がないと一晩震えていたらしい彼女には……その、大変悪いことをしてしまったが。一晩が開けた後、顔を合わせる機会を得て。罰するどころか我が身を案じてもらえたと、いたく感激してくれた彼女は今、便宜的にはリオ直属の回復術士ということになっている。
婚礼の最中に堂々と回復魔法をかけてもらうのは、流石に外聞が悪い。故に、伯爵家のご令嬢としての地位も有している彼女の、貴族令嬢としての祝辞に紛れて回復魔法を使って貰う予定だったが。リオに言われたくはないかもしれないが――彼女は、とてもお芝居が得意とは思えない人柄だ。
「ちゃんと、お芝居してくれるかな」
「……彼女も、一応は伯爵令嬢ではあるので」
まあ、と。口にするアルトにも不安が残っているようで、リオはまた小さく微笑む。笑ったら、少し元気が出てき
た気もする。
リオを守るように腰に回された腕の温もりにも背を押されながら、セレモニーに沸く参列者たちの中心へと歩み出たリオは、そっとアルトのエスコートに身を任せた。
(……あ)
繋いだ指先から、アルトの癒やしの魔法が染み渡る。アルトくんも疲れているのに、と。向けようとした抗議の眼差しは、溢れんばかりに情愛を満たした赤い瞳の美しさに飲まれてしまった。
アルトは、言葉よりも雄弁なその眼差しでリオに愛を囁きながら、ゆっくりと流れ出した旋律に身を任せた。彼の身体と呼吸に併せて、揺れ動くことを意識しているだけで。脚は自然とリズムを刻みはじめる。何度も味わった、心地良い感覚に微笑みながら、リオは耳に触れる美しい音楽に目を眇めた。
(……魔法使いも夢を見る)
エヴァンジェリンの計らいだろうか。それは、リオが愛した歌劇の音楽だった。かつての夜会で、一人踊るアルトの美しさに魅了されたその曲を――今は、二人で踊っている。
(物語の主役に、自分を当てはめるなんて)
そんなおこがましいことリオは今まで、考えたこともなかったけれど。……今夜だけは、それでも許されるかもしれない、と。
紛れもなく今、この場の主役であるリオは。なおも控えめに、そんなことを考えて微笑んだ。
「……リオ。お加減は」
「……何とか、大丈夫……」
答えるリオの声はもっとささやかで、消え入りそうなものだったけれど。その頬にだけはどうにかこうにか、笑顔を作り続けている。
この世に満ちる全ての幸いの中心で、夢見心地に互いを瞳に映しているような。理想的な新郎新婦の姿は保っていたものの――その実、二人は割と冷静に現実と見つめ合っていた。
ロマンティックな感情も、ただただ嬉しいという気持ちも勿論持ち合わせてはいるのだが。正直それ以上に、この婚礼は過酷だった。
(エヴァ様、張り切り過ぎです……!)
いっそ当人たちよりもはしゃいでいる女王陛下の鶴の一声で、王都到着時にも舞踏会、婚礼前夜にも舞踏会。さらに早朝から昼過ぎまでかかった婚礼式典に、日暮れまで続いた祝賀パレード。息つく間もない行事の連続で、すでにリオはヘロヘロだった。
大掛かりな催しは、王族の婚礼にはつきものだ。ある程度の覚悟は固めていたリオだったが、その緊張に反して、挙式は二人と僅かな立会人だけで行われるごくシンプルなものだったのだが。
『魔法使いの結婚は、ごくごく重い契約なので。もし悪意ある第三者の割り込みがあれば、厄介な呪術戦になります』
そのための立会人です、と。いかにも自信満々と言ったエルドラとマイラは、その見た目からはフラワーガールかリングボーイかという愛らしさではあったものの。どんな呪いにも負けませんと言い切るその頼もしさとのギャップに、リオは青褪めつつありがとうと答えるしかなかったのだった。
相愛のロイヤルウェディングに、うっとりとした熱視線を二人に向ける女性たちの憧憬はしみじみと感じつつも。アルトがリオから目を離さない理由の七割は、多分いつ卒倒するか解らない顔色を化粧で誤魔化していることを知っているからだと思う。
しかし、ここで本当に倒れでもしたら。ここまでの努力が全て台無しになってしまうことを知っているリオは、心の底から本気で必死だった。それでもこうしてアルトに腰を抱かれて密着していれば、心はそわそわするけれど、それ以上に安堵するのも本当で。お互いを気遣う眼差しを送り合いながら、二人はそっと微笑んだ。
(……本当に、夢みたいだ)
お伽噺の魔法使いの国で、こんなに綺麗に着飾って。こんなに綺麗で優しい人と、夫婦の誓いを立てて隣に並んでいるなんて。
生まれ育った環境と、生け贄として雪山を登った経緯を思えば、正に奇跡としか言いようのない時間を噛み締めながら。リオは束の間、愛しい相手の体温と鼓動を感じる幸福に浸った。
しかし、いつまでも座ったままではいられない。小休止を挟んでいた楽団の調律の音に、アルトは顔を上げてリオを見つめた。
「リオ。……まだ、踊れますか」
「踊れるよ」
本当のところ、もう一度踊れば、きっと足腰が立たなくなってしまうだろうというくらい疲れてはいたけれど。それでも今日ばかりは、彼のパートナーの座を他の誰に譲ることもできない。足が折れても踊れるようにと、エルドラに特訓してもらったのもそのためだ。
アルトはまだリオを案じている様子ではあったけれど、それでもリオの決意は伝わったらしい。頷いて、そっとリオの手を取った。
「この曲が終わる頃には……デリラが、ご挨拶に来るはずです。ご辛抱を」
うん、と。答えたリオは、小さく笑ってしまう。
デリラは――遠征先で出会った、緑目の少女は。幼形成熟でこそないものの、高度な治癒魔術を自在に扱える天才少女なのだ。
あの騒動で、物理的に首を切られても仕方がないと一晩震えていたらしい彼女には……その、大変悪いことをしてしまったが。一晩が開けた後、顔を合わせる機会を得て。罰するどころか我が身を案じてもらえたと、いたく感激してくれた彼女は今、便宜的にはリオ直属の回復術士ということになっている。
婚礼の最中に堂々と回復魔法をかけてもらうのは、流石に外聞が悪い。故に、伯爵家のご令嬢としての地位も有している彼女の、貴族令嬢としての祝辞に紛れて回復魔法を使って貰う予定だったが。リオに言われたくはないかもしれないが――彼女は、とてもお芝居が得意とは思えない人柄だ。
「ちゃんと、お芝居してくれるかな」
「……彼女も、一応は伯爵令嬢ではあるので」
まあ、と。口にするアルトにも不安が残っているようで、リオはまた小さく微笑む。笑ったら、少し元気が出てき
た気もする。
リオを守るように腰に回された腕の温もりにも背を押されながら、セレモニーに沸く参列者たちの中心へと歩み出たリオは、そっとアルトのエスコートに身を任せた。
(……あ)
繋いだ指先から、アルトの癒やしの魔法が染み渡る。アルトくんも疲れているのに、と。向けようとした抗議の眼差しは、溢れんばかりに情愛を満たした赤い瞳の美しさに飲まれてしまった。
アルトは、言葉よりも雄弁なその眼差しでリオに愛を囁きながら、ゆっくりと流れ出した旋律に身を任せた。彼の身体と呼吸に併せて、揺れ動くことを意識しているだけで。脚は自然とリズムを刻みはじめる。何度も味わった、心地良い感覚に微笑みながら、リオは耳に触れる美しい音楽に目を眇めた。
(……魔法使いも夢を見る)
エヴァンジェリンの計らいだろうか。それは、リオが愛した歌劇の音楽だった。かつての夜会で、一人踊るアルトの美しさに魅了されたその曲を――今は、二人で踊っている。
(物語の主役に、自分を当てはめるなんて)
そんなおこがましいことリオは今まで、考えたこともなかったけれど。……今夜だけは、それでも許されるかもしれない、と。
紛れもなく今、この場の主役であるリオは。なおも控えめに、そんなことを考えて微笑んだ。
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