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後日談③
7-8
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新知識で頭がいっぱいのリオはふらふらで、慣れぬ説明に心を砕いたエルドラもよろよろだったが。店側がサービスとして提供してくれた温かなお茶によって、どうにか人心地つくことができた。
ほっとしたら、色々な意味で昨今の緊張が一気に緩んでしまって。急激に眠くなってしまったリオを先に馬車に戻すと、エルドラは諸々の支払いのためにと店へ戻って行った。
(すごい話を聞いてしまった)
エルドラは精一杯親身に答えてくれたけれど、絶対に答えにくいことをたくさん訊いて困らせてしまったと思う。疑問の解消という意味では一つ重荷を下ろせたリオは、いつも冷静なエルドラの、珍しい狼狽の表情を思い返して。申し訳ない気持ちになった。
いつかの教訓を生かして、馬車はしっかりエルドラの魔法に守られている。エルドラが戻ってきたらちゃんと謝ろう、と。そう思いながら居心地のいい座席に身を預けている内に、少し眠ってしまったようだ。
次にリオが気付いたときには、もう馬車は動き出していて。エルドラはリオの対面で、何か手仕事をしているようだった。
「……あれ?」
「お目覚めですか? リオ様」
帰宅まで、お休みいただいて構いませんよ、と。いつも通りの冷静さと優しさをすっかり取り戻している侍従の姿に、うん、と。リオは少し寝惚けた返事をした。
手仕事をしているように見えたのは、どうやら、プレゼントを包んでいるようだ。無数に立ち並んでいた露店で通りすがりに購入したのか、剥き出しの装飾品を一つ一つ、器用に布袋に入れてリボンをかけている。小さな女の子が喜びそうなものから、大人の男性が身に付けても違和感がなさそうなシンプルなものまで。随分とたくさんのそれが何だか微笑ましくて、リオは小さく首を傾げた。
「誰かに、お土産?」
「ええ。……郷里の家族に、まとめて送っておこうかと。あなたについて王都に行けば、アスタリスの名産は贈りにくくなりますから」
王都の土産の方が喜びそうですが、と。小さく苦笑してみせるエルドラの表情は、ほんのりと優しい。
(……人さらいに)
攫われたというエルドラの故郷は、どの辺りなのだろう。そう言えば、リオは、そんなことさえ知らなかった。
リオは、エルドラにとても優しくしてもらっている。思えば最初に、行き倒れていたリオを見つけてくれたのも彼なのだ。当然のように、王都に嫁いだ後にもついて来てくれるつもりでいる彼に申し訳ないような気持ちになって、リオは遠慮がちに口を開いた。
「王都に、ついてきてくれたら。家族と会い難くなっちゃう?」
「距離は少し離れますが、今でもそう頻繁に会っているわけでもないので。兄も、姉も、弟妹も。もうみなそれぞれに所帯を持っていますし、それがまたどこも大家族で」
淡々と答えていたエルドラは、リオのどこか、寄る辺ない表情に気付いてしまったようだ。また心配をかけてしまう、と。慌てたリオに向き直ると、ぽつり、と。口を開いた。
「……私が不覚を取り、人さらい共にかどわかされた経験のあることは、ご存じでしたでしょうか」
そう尋ねられて、正に今、そのことを思い出していたリオが、パチリと瞳を丸くする。
正しく本人から聞いたわけではなかったリオは、ええと、と。少し気まずくも頷けば、エルドラは小さく微笑んだ。
「お気になさらないでください。殊更に、噂されることを嫌悪しているわけではありません。……ただ、私の不覚の話ではあるので、どこかに気恥ずかしさがあるだけで」
「そんな……!」
悪いのは、エルドラを攫った人たちだ。エルドラではない。
そんな風に身を乗り出したリオに、危ないですよ、と。目を細め、ちゃんと深く座り直すように促したエルドラは、本当にいいのです、と。首を緩く横に振った。
「私は幼くとも、その時には一角の魔法使いとしての自信がありました。そんな私を無力化するために使われた魔薬も、違法なものであったのでしょう。……私には、家族と過ごした記憶がないのです」
魔薬? と。また新しい言葉に、リオが瞬く。響きの似た、恐ろしい薬はリオの国にもあったように記憶しているけれど。それとは少し、イントネーションが違っているようだった。
「魔法の力を帯びた薬のことです。本来であれば、回復術の使い手の不足を補う回復薬として使われます。魔力そのものを回復させる、貴重な種類も」
リオは先日同行した遠征先で、配った物資を思い出す。ほんの小さなガラス瓶に、数滴程度。それだけで効果を発揮するというあれが、魔薬と呼ばれるものであったのだろうか。
「毒消し、気付け薬、滋養強壮。私がリオ様に煎じているものも、魔薬の一種です。他にも、様々に有益な用途がありますが……本来であれば、一部の選ばれたものにしか使えない、精神感応系魔術に効果を似せた粗悪品や、効力を極端に強めた睡眠薬など。よからぬことに、使い道を見出すものはいるものです」
「……それを、飲まされたの?」
聞いているだけで、大変なことだと解る。リオは少し顔色を青褪めさせながら、おそるおそる問いかけた。ええ、と。もう全て過去のことだと割り切っている潔さで、エルドラが頷く。
彼が、まだ本当に、幼い子供だった頃のこと。今だって、その小柄な体躯を目にすれば、彼よりも余程弱いリオの胸にも庇護欲が湧き上がるくらいなのに。
幼子にそんな恐ろしい薬を飲ませるような人間がいるなんて、と。もうずっと、優しさに包まれて生きて来たリオは、震えてしまいそうな手を自分できゅうと握り締めた。
「どこに売り飛ばすつもりでいたのか、畏れ多くも聖峰の中腹に潜伏していた彼らを、ファランディーヌ様は捕らえてくださいました。当時はまだお屋敷にいらっしゃった、二人のお嬢様と共に。そして私は解放された。……ですがその時には、私は、家族と過ごした一切の記憶をなくしていたのです」
その独白に、リオはどうしようもない気持ちになって。思い余って、席を立った。リオ様、と。慌てる声を出すエルドラのすぐ隣に席を移して、その手をきゅっと握り締める。
どんなに強くても、どんなにしっかりしていても。どんなに、もう割り切ってしまった記憶であっても。その胸をいつか、傷付けただろう悲しみのことを思えば切なくて。小さくて優しくて強いその手を、気休めと知りつつ握り締めていれば。ありがとうございます、と。逆に気を遣わせてしまっただろうか、エルドラが微笑んだ。
「ファランディーヌ様に家族を見つけていただいて。故郷より、無事を喜ぶ手紙を何通受け取っても。元気な顔を見せて欲しいと言われても、戻るに戻れなかった。……私のために、兄弟たちも怪我を負ったと聞かされて。厄介者と、疫病神と、持て余されているような気さえして」
「エルドラ……」
そんなはずがないと、言ってあげたかったけれど。小さなエルドラのことも、彼の家族のことも――どれほど、彼が傷付いたのかも。何も知らない、リオにはかけてあげられる言葉がなかった。
(……厄介者、と)
リオも昔、同じことを考えた。母にも、姉にも、こんな自分に仕えてくれた人たちにも。何も返せない、役立たずの末席の王子。
「私が保護されたその場所に、元々の記憶の一欠片なり、落ちていてはくれないかと。愚かな理由でいつまでも聖峰に執着する私を、ファランディーヌ様はお目こぼしくださいました。……そしてあの日、見つけたのです」
あなたを、と。優しい声で囁いたエルドラの、少しだけ冷たい手が、リオの手を握り返した。
「勿論、驚きました。混乱しました。……あなたも、誰かに攫われたのかと思った。それでもあなたは、たった一人で。命を守る意思など何も感じられない薄布一枚で、そこに倒れていました」
きゅ、と。エルドラの手を握るリオの指先が、少しだけ震えてしまったことに、彼は気付いただろうか。
エルドラに、助けてもらったその時のことを――リオは、覚えていない。恩知らずにも、その先の記憶も曖昧だった。
「雪に半ば埋もれて、末端は壊死しかけていた。青ざめた瞼は固く閉ざされたままで、もう、手遅れだと思った。……それでも、あなたは私の指を握ったのです。助けて欲しいと、縋るように」
遠い昔の出来事を懐かしがるように、エルドラは目を細めながらそう語る。――この小さな手で、雪に埋もれたリオを掘り返して。抱えて、彼が山を下りてくれたのだ。彼がそうしてくれたから、リオはこうして命をつないで。たくさんの優しい人たちに、優しさを注いでもらうことができたのだ。
リオはエルドラに、感謝をする理由がある。けれど彼は、どうしてリオに――逆に、感謝の眼差しを注ぐのだろう。
「その時に、思い出しました。私が攫われた、あの遠い夜。……平和な家で、仲のいい家族で。理不尽な暴力など見たことも、受けたこともない兄弟たちが……私を取り返そうと、必死に縋ってくれた、その手のことを」
それが、とても嬉しかった、と。呟いたエルドラのその手の上に、ぱたた、と。雫が垂れ落ちた。
それが、自分の目から零れた水滴であったことに。驚いて、恥ずかしくなってしまったリオが身を引こうとすれば。エルドラは、今度は自分から、その小さな手でリオの手をぎゅっと握り締める。
「リオ様。私のお嬢様。あなたの優しさは、あなたの懸命さは。種族など、魔力など関係なく。清く生きたいと願うものの心を打つのです。……あなたの存在は、全ての優しい記憶につながっている。あなたが幸福に笑う度に、私も幸福を思い出す」
あなたと出会って、私は家族を思い出し。家族と会って、誤解をほどいて。もう一度、優しい彼らの一員に戻れたのだと。
全て全て、それは、エルドラが頑張ったからなのに。まるで、全てリオのお陰だと。そう言ってくれているようで、リオの瞳はますます熱く潤んでしまった。
「私の大切な、大切なお嬢様。優しいリオ様。私は、あなたのような方の幸福を守るために生まれたのだと、そう思いたい。誰かを傷つけるためでなく、誰かを苦しめるためでなく。……この力は、あなたのために、授かったのだと」
そう思えることが、自分の幸せであると知ったのだと。微笑むエルドラの蝋燭のような瞳は、キラキラと目映い。その瞳に映るリオの顔はぐちゃぐちゃで、エルドラよりもずっと幼い子供が泣いているようで恥ずかしかったけれど。彼はそんなリオを――侮ることも、馬鹿にすることもなく、ただただ優しい。
「あなたが、あなたの大切な人と、笑い合える幸福を守れるのなら。それが私の幸福です。だから私は、あなたについて行くのです」
お許しいただけますか? と。分かり切っているだろう問いかけをするところだけは、ちょっと意地悪だと思う。
リオがほんの少し、拗ねたような気持ちになりながらも――これからもよろしくお願いします、と。そう口にすれば。エルドラはとても嬉しそうに、はい、と。答えて微笑んだ。
ほっとしたら、色々な意味で昨今の緊張が一気に緩んでしまって。急激に眠くなってしまったリオを先に馬車に戻すと、エルドラは諸々の支払いのためにと店へ戻って行った。
(すごい話を聞いてしまった)
エルドラは精一杯親身に答えてくれたけれど、絶対に答えにくいことをたくさん訊いて困らせてしまったと思う。疑問の解消という意味では一つ重荷を下ろせたリオは、いつも冷静なエルドラの、珍しい狼狽の表情を思い返して。申し訳ない気持ちになった。
いつかの教訓を生かして、馬車はしっかりエルドラの魔法に守られている。エルドラが戻ってきたらちゃんと謝ろう、と。そう思いながら居心地のいい座席に身を預けている内に、少し眠ってしまったようだ。
次にリオが気付いたときには、もう馬車は動き出していて。エルドラはリオの対面で、何か手仕事をしているようだった。
「……あれ?」
「お目覚めですか? リオ様」
帰宅まで、お休みいただいて構いませんよ、と。いつも通りの冷静さと優しさをすっかり取り戻している侍従の姿に、うん、と。リオは少し寝惚けた返事をした。
手仕事をしているように見えたのは、どうやら、プレゼントを包んでいるようだ。無数に立ち並んでいた露店で通りすがりに購入したのか、剥き出しの装飾品を一つ一つ、器用に布袋に入れてリボンをかけている。小さな女の子が喜びそうなものから、大人の男性が身に付けても違和感がなさそうなシンプルなものまで。随分とたくさんのそれが何だか微笑ましくて、リオは小さく首を傾げた。
「誰かに、お土産?」
「ええ。……郷里の家族に、まとめて送っておこうかと。あなたについて王都に行けば、アスタリスの名産は贈りにくくなりますから」
王都の土産の方が喜びそうですが、と。小さく苦笑してみせるエルドラの表情は、ほんのりと優しい。
(……人さらいに)
攫われたというエルドラの故郷は、どの辺りなのだろう。そう言えば、リオは、そんなことさえ知らなかった。
リオは、エルドラにとても優しくしてもらっている。思えば最初に、行き倒れていたリオを見つけてくれたのも彼なのだ。当然のように、王都に嫁いだ後にもついて来てくれるつもりでいる彼に申し訳ないような気持ちになって、リオは遠慮がちに口を開いた。
「王都に、ついてきてくれたら。家族と会い難くなっちゃう?」
「距離は少し離れますが、今でもそう頻繁に会っているわけでもないので。兄も、姉も、弟妹も。もうみなそれぞれに所帯を持っていますし、それがまたどこも大家族で」
淡々と答えていたエルドラは、リオのどこか、寄る辺ない表情に気付いてしまったようだ。また心配をかけてしまう、と。慌てたリオに向き直ると、ぽつり、と。口を開いた。
「……私が不覚を取り、人さらい共にかどわかされた経験のあることは、ご存じでしたでしょうか」
そう尋ねられて、正に今、そのことを思い出していたリオが、パチリと瞳を丸くする。
正しく本人から聞いたわけではなかったリオは、ええと、と。少し気まずくも頷けば、エルドラは小さく微笑んだ。
「お気になさらないでください。殊更に、噂されることを嫌悪しているわけではありません。……ただ、私の不覚の話ではあるので、どこかに気恥ずかしさがあるだけで」
「そんな……!」
悪いのは、エルドラを攫った人たちだ。エルドラではない。
そんな風に身を乗り出したリオに、危ないですよ、と。目を細め、ちゃんと深く座り直すように促したエルドラは、本当にいいのです、と。首を緩く横に振った。
「私は幼くとも、その時には一角の魔法使いとしての自信がありました。そんな私を無力化するために使われた魔薬も、違法なものであったのでしょう。……私には、家族と過ごした記憶がないのです」
魔薬? と。また新しい言葉に、リオが瞬く。響きの似た、恐ろしい薬はリオの国にもあったように記憶しているけれど。それとは少し、イントネーションが違っているようだった。
「魔法の力を帯びた薬のことです。本来であれば、回復術の使い手の不足を補う回復薬として使われます。魔力そのものを回復させる、貴重な種類も」
リオは先日同行した遠征先で、配った物資を思い出す。ほんの小さなガラス瓶に、数滴程度。それだけで効果を発揮するというあれが、魔薬と呼ばれるものであったのだろうか。
「毒消し、気付け薬、滋養強壮。私がリオ様に煎じているものも、魔薬の一種です。他にも、様々に有益な用途がありますが……本来であれば、一部の選ばれたものにしか使えない、精神感応系魔術に効果を似せた粗悪品や、効力を極端に強めた睡眠薬など。よからぬことに、使い道を見出すものはいるものです」
「……それを、飲まされたの?」
聞いているだけで、大変なことだと解る。リオは少し顔色を青褪めさせながら、おそるおそる問いかけた。ええ、と。もう全て過去のことだと割り切っている潔さで、エルドラが頷く。
彼が、まだ本当に、幼い子供だった頃のこと。今だって、その小柄な体躯を目にすれば、彼よりも余程弱いリオの胸にも庇護欲が湧き上がるくらいなのに。
幼子にそんな恐ろしい薬を飲ませるような人間がいるなんて、と。もうずっと、優しさに包まれて生きて来たリオは、震えてしまいそうな手を自分できゅうと握り締めた。
「どこに売り飛ばすつもりでいたのか、畏れ多くも聖峰の中腹に潜伏していた彼らを、ファランディーヌ様は捕らえてくださいました。当時はまだお屋敷にいらっしゃった、二人のお嬢様と共に。そして私は解放された。……ですがその時には、私は、家族と過ごした一切の記憶をなくしていたのです」
その独白に、リオはどうしようもない気持ちになって。思い余って、席を立った。リオ様、と。慌てる声を出すエルドラのすぐ隣に席を移して、その手をきゅっと握り締める。
どんなに強くても、どんなにしっかりしていても。どんなに、もう割り切ってしまった記憶であっても。その胸をいつか、傷付けただろう悲しみのことを思えば切なくて。小さくて優しくて強いその手を、気休めと知りつつ握り締めていれば。ありがとうございます、と。逆に気を遣わせてしまっただろうか、エルドラが微笑んだ。
「ファランディーヌ様に家族を見つけていただいて。故郷より、無事を喜ぶ手紙を何通受け取っても。元気な顔を見せて欲しいと言われても、戻るに戻れなかった。……私のために、兄弟たちも怪我を負ったと聞かされて。厄介者と、疫病神と、持て余されているような気さえして」
「エルドラ……」
そんなはずがないと、言ってあげたかったけれど。小さなエルドラのことも、彼の家族のことも――どれほど、彼が傷付いたのかも。何も知らない、リオにはかけてあげられる言葉がなかった。
(……厄介者、と)
リオも昔、同じことを考えた。母にも、姉にも、こんな自分に仕えてくれた人たちにも。何も返せない、役立たずの末席の王子。
「私が保護されたその場所に、元々の記憶の一欠片なり、落ちていてはくれないかと。愚かな理由でいつまでも聖峰に執着する私を、ファランディーヌ様はお目こぼしくださいました。……そしてあの日、見つけたのです」
あなたを、と。優しい声で囁いたエルドラの、少しだけ冷たい手が、リオの手を握り返した。
「勿論、驚きました。混乱しました。……あなたも、誰かに攫われたのかと思った。それでもあなたは、たった一人で。命を守る意思など何も感じられない薄布一枚で、そこに倒れていました」
きゅ、と。エルドラの手を握るリオの指先が、少しだけ震えてしまったことに、彼は気付いただろうか。
エルドラに、助けてもらったその時のことを――リオは、覚えていない。恩知らずにも、その先の記憶も曖昧だった。
「雪に半ば埋もれて、末端は壊死しかけていた。青ざめた瞼は固く閉ざされたままで、もう、手遅れだと思った。……それでも、あなたは私の指を握ったのです。助けて欲しいと、縋るように」
遠い昔の出来事を懐かしがるように、エルドラは目を細めながらそう語る。――この小さな手で、雪に埋もれたリオを掘り返して。抱えて、彼が山を下りてくれたのだ。彼がそうしてくれたから、リオはこうして命をつないで。たくさんの優しい人たちに、優しさを注いでもらうことができたのだ。
リオはエルドラに、感謝をする理由がある。けれど彼は、どうしてリオに――逆に、感謝の眼差しを注ぐのだろう。
「その時に、思い出しました。私が攫われた、あの遠い夜。……平和な家で、仲のいい家族で。理不尽な暴力など見たことも、受けたこともない兄弟たちが……私を取り返そうと、必死に縋ってくれた、その手のことを」
それが、とても嬉しかった、と。呟いたエルドラのその手の上に、ぱたた、と。雫が垂れ落ちた。
それが、自分の目から零れた水滴であったことに。驚いて、恥ずかしくなってしまったリオが身を引こうとすれば。エルドラは、今度は自分から、その小さな手でリオの手をぎゅっと握り締める。
「リオ様。私のお嬢様。あなたの優しさは、あなたの懸命さは。種族など、魔力など関係なく。清く生きたいと願うものの心を打つのです。……あなたの存在は、全ての優しい記憶につながっている。あなたが幸福に笑う度に、私も幸福を思い出す」
あなたと出会って、私は家族を思い出し。家族と会って、誤解をほどいて。もう一度、優しい彼らの一員に戻れたのだと。
全て全て、それは、エルドラが頑張ったからなのに。まるで、全てリオのお陰だと。そう言ってくれているようで、リオの瞳はますます熱く潤んでしまった。
「私の大切な、大切なお嬢様。優しいリオ様。私は、あなたのような方の幸福を守るために生まれたのだと、そう思いたい。誰かを傷つけるためでなく、誰かを苦しめるためでなく。……この力は、あなたのために、授かったのだと」
そう思えることが、自分の幸せであると知ったのだと。微笑むエルドラの蝋燭のような瞳は、キラキラと目映い。その瞳に映るリオの顔はぐちゃぐちゃで、エルドラよりもずっと幼い子供が泣いているようで恥ずかしかったけれど。彼はそんなリオを――侮ることも、馬鹿にすることもなく、ただただ優しい。
「あなたが、あなたの大切な人と、笑い合える幸福を守れるのなら。それが私の幸福です。だから私は、あなたについて行くのです」
お許しいただけますか? と。分かり切っているだろう問いかけをするところだけは、ちょっと意地悪だと思う。
リオがほんの少し、拗ねたような気持ちになりながらも――これからもよろしくお願いします、と。そう口にすれば。エルドラはとても嬉しそうに、はい、と。答えて微笑んだ。
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