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後日談②

6-8☆

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 人払いのされた天幕内に、ぐす、と。リオが洟をすする音が響く。すぐ隣に寄り添ったアルトが、気遣うように頭を撫でた。

「どこか、痛みますか?」
「ううん……怪我は、全然。でも」

 アルトの肩口に頭を預けたまま、リオは言葉を詰まらせて俯く。俯いた視界にまばらに散る、短くなった黒髪の残骸に、ますます悲しくなってしまった。
 毎日、綺麗に手入れをしてもらっていた黒髪は、今は肩より少し上くらいでざんばらに切れてしまっている。この長い髪のおかげで、アルトの隣に立つことをギリギリ許されていた気持ちでいたリオはショックを受けて、落ち込んでいた。
 ――興奮し切った魔獣の、破れかぶれの一撃は。一針一針にキアラの祈りが込められた、リオの衣服にかかった強い守護の魔法を貫くほどではなかったけれど。ずっと伸ばしていた黒髪だけ、首のところでざっくりと切られてしまったのだった。

(オリガもがっかりしちゃうかな……)

 アスタリスの屋敷では、毎朝オリガが綺麗に髪を梳かしてくれた。決して危ないことをしないようにと、ただただリオの身を案じてくれていたエルドラは、また卒倒してしまうかもしれない。
 リオが引きつけた魔獣が、やはり一番の大物であったこともあって、本陣の魔法使いたちは皆無事だった。だから、リオは自分の行動に後悔はないけれど、それでも悲しい気持ちは止められなかった。ただでさえ彼や彼女に劣る容色が、ますますみっともなくなってしまったような気がして、リオは上手く顔を上げられずにいる。

「ごめんね、アルトくん。勝手なことして……髪も、こんなになっちゃって」
「長い髪が気に入っていたのなら、また伸ばせば済むことです。あなたが無事でさえいてくれたなら、私は何も……」

 そうリオを慰めながら、顔を覗き込もうとしたアルトの視線から逃れるように、あからさまに顔を背けてしまった。
 アルトが言葉に詰まる様子を申し訳なくは思いながら、リオは顔を掌で覆うようにして、しゅんと背中を丸くする。

「……今、みっともないから。だめ……」

 アルトに連れられて本陣に戻るなり、妃殿下! と。殺到したたくさんの魔法使いにも、とてもではないがこんな姿を見せられなくて。リオはもうずっと、俯いたままだ。
 この騒動の中に帰陣して、さぞかし肝を冷やしたのだろう。ほとんど泣いているミアや、崩れ落ちて大号泣している緑髪の少女にも、何か言葉をかけてあげなくてはいけなかったとは思うのに。

(……でも)

 こんな容姿で、とても妃殿下なんて呼ばれることには耐えられない。髪を切られただけだと頭では理解しているのに、果てしなく後ろ向きになってしまうリオの姿に、アルトが瞳を眇めた。

「リオ」

 どこか切ない声に名前を呼ばれ、ぴくりと肩を震わせる。そっと伸ばされた手がリオの手を優しく顔から引き剥がし、頬に触れた。
 逃げ場を失くしたリオの目と、アルトの宝石の瞳が見つめ合う。柔らかな睫毛に縁どられた、青い瞳がぱたりと瞬き、濡れた瞳から新しい涙が転がり落ちた。
 その涙を優しく指先で拭いながら、アルトが囁く。

「あなたがあなたであることを、全て承知の上で私はあなたを愛したのに。それでも、まだ信じてはもらえませんか?」
「アルト、くん……」

 勝手に自信を喪失して、こんなに泣いて。恥ずかしいのに、涙を止められない。彼を疑ったことなどないと、伝えたいのに。
 アルトはそれ以上言葉を連ねることもなく、じっとリオを見つめ続けている。その美しい熱視線に怖気付いて、リオは思わず視線を逸らしてしまう。しかしアルトはそれを許さず、再びリオの頬に手を添えて自分の方を向かせた。そしてそのまま、唇を重ねる。

「……っ!」

 突然の出来事に驚いて目を閉じることも忘れ、リオはただ呆然とアルトのキスを受け入れた。
 すぐにハッとし、抵抗するように身じろぐが、リオの背を抱く優しい腕は力強い。こんなぼろぼろの姿に口づけられるのが恥ずかしいリオは、小さな抵抗を続けた。けれど、顔を背けようとしても、すぐに捕まって口づけを再開されてしまう。
 触れ合う粘膜は、こんなときでも温かい。涙の名残と酸欠に、白く滲む視界の中で、美しい瞳が懇願を滲ませてリオを見つめていた。

「……リオ」

 アルトはリオの名前を呼んでから、もう一度顔を寄せてくる。
 今度は強引ではない、触れるだけの優しいキスだったけれど。逃げないで欲しいと言外に訴えるような、甘えるような抱擁を受けたリオは胸がきゅんとして、自分からもアルトの首に手を回した。

「んっ……」

 どちらともなく舌を差し入れ合い、絡ませ合う熱烈な口付けに、頭の中がぼうっとする。アルトはリオの頭を撫でながら、時折短くなってしまった髪をかき上げるようにして頭皮に触れた。
 優しいその仕草に愛を感じて、とても嬉しいのは本当なのに。まだ消えてくれない卑屈の心が、リオの身を竦ませた。

(……一度、落ち着かせてもらおう)

 きちんと整理する時間をもらえさえすれば、きっと明日には笑えるはずだと。身を引こうとした途端に――最初よりもきつく、胴を抱き締められて。驚いたリオが目を丸くした。

「ん、ぅ? んん、んっ!?」

 舌を奥までねじ込まれたかと思えば、そのまま激しく口の中を蹂躙されて、優しい口づけに溺れ切っていたリオはついて行けない。
 リオの華奢な体に絡んだアルトの腕が、するりと服の下に忍び込み、もう知られてしまっている弱い場所をくすぐるように愛撫した。

(あっ、わ……っ?)

 声も出せずにいる内に、あっという間に性感を煽られて、まだ熟れ切らない初々しい体に熱が回り出す。背骨をたどられただけで期待に汗ばんだ肌を恥ずかしいと思う間もなく、胸元にたどり着いた指が薄い皮膚を嬲って、こみ上げた官能にぴくんと体が跳ね上がる。

「んぅっ! ん~ッ!!」

 リオはアルトの背中を弱々しく掴んで抗議しようとしたが、口を物理的に封じられているせいで言葉が出ない。。
 ついに苦しくなったリオがじたばたと暴れても、アルトは口付けを止めてくれない。頭がぼうっとして、何も考えられなくなって。リオが抵抗をやめると、アルトはようやく唇を離した。
 名残惜しそうに糸を引く唾液を指先で拭い取り、濡れた指でリオの熱を帯びた唇を撫でる。
 どこか扇状的なその仕草に、リオは顔を真っ赤に染めた。抱き締められ、口づけられただけで、腰が砕けてしまいそうなほど感じてしまった自分が恥ずかしくて仕方がない。
 そんなリオの衣服に手をかけながら、アルトは耳元に唇を寄せて囁いた。

「もしも私の心を、疑う心があるのなら。……貴方には、今夜を限りに、その疑念を捨てて頂きましょう」

 至近距離でリオを見つめた、彼の――魅惑の金眼が。とろりと甘く感じるほどに、淫らな魔力を注ぎ込む。
 魔力に耐性のないリオの体はたちまちの内に発情し、下着の中でどくんと脈打った花芯から、ぬめる愛液が潤んで溢れた。胸の内を焦がす熱い衝動に、リオは溺れた魚のように小さくもがく。

「……! アルト、くん。だめ、これは、ぼく」
「すみません。……そうして、酔っていてくださいね」

 熱に浮かされ、苦しい息で喘ぐリオに微笑みかけると。アルトはその腰に腕を回して抱き上げ、寝台に足を向ける。
 彼を疑ったことなんてないと、ついに言い訳をする余裕もないまま、リオは白いシーツの上に押し倒された。
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