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後日談②

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 アルトの言葉通り、翌日からは魔獣の密集地を一つ一つ叩きに出始めた魔法使いたちを見送って、リオは天幕で過ごすことになった。
 魔法使いたちの戦いを、個人単位でしか見たことのないリオは、大規模な集団戦に触れるのはこの遠征が初めてだ。傷を癒すことのできる魔法使いたちに負傷テントは必要なく、代わりに魔力切れを起こした彼や彼女を休ませる救護テントが用意されている。
 魔獣という存在はリオにとって、竜や魔法使いと同格のお伽噺だ。けれど、人を襲う獣の被害とは、それなりに戦ってきたこともある。リオには姉と二人で、自領の負傷兵の手当てをした経験はあった。

(救護のお手伝いならできるかも)

 魔法使いが魔力をどう回復するのかも知らないリオには見当もつかないし、天幕から出てはいけないと言われていたけれど。つまり、危ないことをしなければ大丈夫なはずだ。
 その点、これから会いに行こうとしている魔法使いたちは、全員アルトの味方であると決まっている。だからきっと大丈夫、と。リオは護衛に残された女官たちを一生懸命に説得した。

「ね、ミア。様子を見に行くだけでも」
「……仕方ない方ですね」

 もう、と。咎める声音で口にしながら、見知った女官は優しく微笑んでいる。王都を訪れる度にリオの世話係を名乗り出てくれる彼女には、アスタリス邸の皆と同じくらいの親しみを覚えていた。
 女王付きの侍女でもある彼女は、優れた魔法使いでもある。この遠征地にも、護衛として真っ先に名乗りを上げてくれた彼女は、天幕でのリオのお目付け役だ。
 そんな彼女の許可を得られたからには問題ない。リオはキアラに用意してもらっていた、動きやすく目立たないパンツスタイルに着替えると、ミアと一緒にそっと天幕を抜け出した。

「皆の様子によっては、すぐに引き上げますからね……!」
「うん。ありがとう、ミア」

 お礼を言って歩を踏み出し、リオは救護テントに爪先を向ける。
 結界術には見えるものと見えないものの二種類があるが、リオの天幕周りに張り巡らされた結界は、目に見えるタイプだった。
 まるで薄青いガラスのように見えるその結界に、リオは恐る恐る手を伸ばす。いかにも触れられそうなその結界を、まるで光の幕のように何の抵抗もなく突き抜けた己の手を見て感嘆の声を上げた。

「すごい……!」
「あまり結界に触れると、アルト様の元に異常をお知らせしてしまいますよ。ご注意を」

 内緒の方がいいのでしょう? と。窘められて、結界にそんな効果も付与できることを初めて知ったリオはドキッとする。
 魔法については、初歩の初歩。そもそも魔力とは何なのか、という段階から難し過ぎて。本を読むだけでは中々理解が追い付かないが、魔法使いの王子様の傍にいることを決めた以上は、おいおい全ての魔法を覚えなければいけないだろう。
 子供のようにミアに手を引かれて歩き始めたリオは、初めて見る魔法使いたちの戦場をじっと観察する。兵士たちの駐屯地とは思えないほど、静かで穏やかな光景だ。外にいる魔法使いはほんの少しで、開けた草原に怪しい影がないか警戒しているようだった。

「もっと、危ない感じがするのかと思ったけれど」
「普段であれば、もう少しはそうなのでしょうが……今日は、リオ様がいらっしゃいますから。殿下も、特に念入りに駐屯地を選ばれたことでしょう」

 隣を歩くミアは、あちこちに興味を惹かれてゆっくりと進むリオに歩調を合わせてくれている。
 ひらひらと揺れる彼女のスカートの裾も、彼女に手を引かれるリオのブーツも、争いの気配のない草原を象徴するように清潔だった。

「……僕のせいで、余計な手間だったかな」
「まあ、リオ様。いいえ、殿下は些か性急なお方でいらっしゃいますから。いつもこれくらい慎重でいらしてくださった方が、付き従う兵も助かるというものですよ」

 ミアは、リオを励ますようにそう言った。
 リオに心を許してくれている分、評価が甘いような気がしたリオは恥ずかしかったけれど、悪いことばかりでない方が勿論嬉しい。ありがとう、と。礼を口にして、リオは元々の目的地である救護テントの入り口を捲った。
 中には、思っていたよりも多くの魔法使いたちがひしめいていた。男性はやはり少ないのか、目に見える限りは全て女性たちだ。彼女たちは与えられたスペースで横になって休んでいたり、治療の順番待ちに談笑に耽ったりと、全体的に元気そうでほっとする。
 それでもやはりと言うべきか、中には手傷を負った魔法使いも、と。視線を動かしたリオは――治療のためにと服を大胆にたくし上げていたり、堂々と上半身をさらけ出していたりする女性たちの姿に、物凄い勢いで心臓を飛び上がらせた。

(ええと、これは、もしかして)

 僕が見てはいけない光景だったのではと焦ったリオは勢いよくミアの方を振り向いたのだが。彼女はおっとりと、今回も被害はそれほどなさそうですねと戦況判断を口にするばかりだった。
 リオが男だということを、ミアが忘れていなければだが。特に問題はないということだろうか。しかし愚かなことに、女性が九割というこの国では、兵士とてその大半が女性であるということをうっかり失念していたリオはとても気まずい。どうしたものかと立ち尽くしたリオの背中の中ほどに、とんとんと軽い衝撃が走る。

「お手伝いに来てくれたんですよね!? 助かりました!」

 何だろう? と。振り向いた端からの突然の大声に、言われた内容をよく理解できなかったリオが瞬く。
 リオよりも、もう一回り半、小さいくらいだろうか。不思議な緑の髪をして、澄んだ翡翠色の瞳をしたその少女は随分と小柄で、さほど長身でもないリオの肩辺りに顔があった。

「妃殿下が運んで来てくださった配給品が、有難いんですけど多すぎて! 配り手が足りないんです! よろしくお願いします!」

 足りない身長を補うがごとくに、声も大きければ元気もいい少女が、ガチャガチャと賑やかな音を立てる大きな箱を手渡してくる。
 中を覗けば、そこにあるのは少量の液体の入った美しい硝子の小瓶の山で。これを配ればいいんだね、と。とにかく頷いたリオと少女の間に、ミアが慌てたように割り込んだ。

「ちょっとあなた! この方は……」
「ミア、大丈夫だよ」

 むしろ手伝うために来たんだから、と。リオが笑えば、それでも何か言いたげだったミアは、多少不満そうにしながら引き下がった。
 そんな二人のやり取りにも気付かずに忙しくしている少女は、あとこの箱とこの箱と、と。同じ種類の箱をどんどん積んでくる。リオは流石に目を白黒させたが、すでに何らかの魔法の力が働いた箱であるようで、いくつ増えても羽のように軽かった。

「よろしくお願いします! できるだけ全員にお願いします!」

 元気よく送り出され、リオはなし崩しに配給に出向く。
 肌を出して治療をしている辺りはやっぱり気まずいので、ミアに行ってもらおうかな思って傍らを見れば、同じように配給品を託されたらしいミアが何とも言えない顔で積まれた箱を運んでいた。

「ミア、重くない?」
「はい、まあ。全てに軽量化の魔術はかけられているようですから」

 縮小と重ねがけ出来ないのが不便ですが、とのため息に、そうなんだ……と思ったリオは脳内ノートに書き留めた。本格的に魔法を学ぶときには、きちんと本物のノートを用意しようと思いつつ。

「それにしても、リオ様にこんな下働きのようなことをさせるなんて。わざわざ昨日の内に、お顔も広めておいたというのに」
「うーん、でも、後ろの方の人には見えなかったのかも。僕はあんまり大きくないし……それにね、僕も手伝いたかったからこれでいいんだ」

 むしろ手伝えることがあって嬉しい。うきうきと薬を配り始めるリオに視線を向けて、ミオが全くもうと苦笑した。
 元気な少女だけでなく、リオが誰なのか本当に解らない魔法使いは、やはり他にもいたようだ。リオの顔に気付いたらしい素振りを見せて、戸惑ったような表情を浮かべる魔法使いも勿論いたけれど、薬を配るだけならば、変にボロを出す心配もない。幾分リラックスした気持ちのリオは、手渡しで次々に配って回った。
 けれどそうこうしている間に、気付いた魔法使いたちが、気付いていない魔法使いたちにリオのことを知らせ始めたらしい。顔付近に刺さる視線を感じ始めたリオは、多少居心地が悪かった。

(ちょっと恥ずかしいし……)

 アルトの婚約者として堂々と衆目に顔をさらすには、華も才気も足りていない自覚があるリオは、特に今は男装に近いし、と。そう思って――男の男装とは、と。自分の思考に少し首を捻ってしまう。
 テント内の空気の変化を感じ取ったのか、ミアもそろそろ、と。耳打ちをしてくるので、うん、と。リオは素直に頷いた。

「今回の薬は全部配れたし、次はまた改めて……」

 そう口にしたタイミングで、ガラガラガタンドタン、と。それはそれは賑やかな音が盛大に響いて。音の方角を振り向けば、顔色を真っ赤と真っ青の間で行き来させる緑髪の少女が、リオを見上げるようにしながら派手にひっくり返っていた。

(……もう来れないかもしれない)

 あまりの過剰反応に、リオはほんのりとそう思い、ミアは小さく笑い声を立てた。
 各々その場に立ち上がり、一斉に頭を下げてくる魔法使いたちに目礼を返して、リオは今日のところはもう戻ることにした。あまり働きすぎても不審がられるし、恐縮されてしまいそうだし。特に仕事がないのなら、ずっと救護テントに居座るわけにもいかない。

(アルトくんにも知られちゃうかな)

 できればもう少しこっそりしたかったけど、と。今更なことを考えたリオは、みんな元気に帰ってきますように、と。ささやかに祈りを呟いてから、大人しく天幕に退いた。
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