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第四章

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 微かな金属音と共に、手のひらに乗せられた。体感以上のその重みに、リオの心臓がドクリと脈打った、

(――やった)

 極端な安堵を顔に出さないよう気をつけながら、その金鎖を首に巻き付ける。手が震えてしまいそうになるのを耐えて、些か不器用な手つきで金具を固定すれば、公爵がにこりと微笑んだ。

「お似合いですよ。では姫君、私にも、お約束のものを」
「あっ、はい。……ええと」

 不自然に見えないように、もつれる指先を宥めながら、丁寧に花飾りを外せば。ドレスを離れた白い花が、どこか不安げに揺れる。
 緊張が限界を越したのだろうか、心は不思議と、不自然なほどに凪いでいたが――嫌だな、と。ごく自然に込み上げた、予想外な己の心の動きに、リオは戸惑った。

(アルトくん)

 彼がどこかで見ている前で、純潔の証立てを、違う男に。それがひどく遣る瀬なく思えて、リオの白い面に血が昇る。それを恥じらいと捉えたらしい公爵は、満更でもなさそうに小さく笑った。
 緊張とは異なる震えに揺れそうになる手を懸命に律して差し出した花飾りを、確かに、と。公爵は受け取った。

「その……そういうことだと、家人に言付けておきますので」

 今後の話は家のものと、と。目的を達成した以上は、とにかく穏便に、早々に場を辞してしまいたいリオはそんな風に話を打ち切ったのだが。お待ちを、と。声をかけられて、後ろめたさしかない胸が大きく跳ねた。
 幸いにも、猜疑の表情は浮かべていなかった公爵は。しかし、どこか馴れ馴れしく、リオの頬に指を這わせた。

「このような飾り一つでは、あまりに心許なく。……もう一つ、証を頂けませんか」

 生身の花を、一輪だけ。そう続けられた言葉に、部屋中の空気が凍った。
 無論、リオも凍り付いたが。相手は少し浮かれているだけで、リオを疑ってこんなことを言い出したわけではないようだ。

(……それなら)

 そうであるならば、と。先ほどからずっと、奇妙なほどに澄み渡る意識が生み出す最善は、リオにとっては許容できかねることだったが。口は勝手に、最善と思ったその答えを紡ぎ出す。

「……す、こし、だけなら」

 どうぞ、と。頷いたリオに、公爵が笑みを向ける。視界の端ではアスランが狼狽えているが、もうどうしようもない。
 現状把握のためにはせめて目を開けていた方がいいのだが、とても開けていられずに、リオはその目を固く閉じた。望まぬ至近距離に慄くリオの瞼の裏の闇の中に、ふと。美しい声が、蘇った。

『一秒でも、指一本でも。許してはいけません。あなたが望んだ、相手以外には』

 そう、優しい声で囁いた、彼だけが。――リオが、望んだ相手だ。
 はっきりとそう自覚した瞬間、物分かりよく冴えていた頭の中が、ぐちゃぐちゃに崩れた。

「やっぱり駄目……!」

 自分が飲み込める感情量の許容量を越えたリオがそう叫べば、リオの悲鳴とは関係なく、短く息を呑んだ公爵が退く気配がする。
 リオが涙にぼやけた視界を開けば、そこには眩い真紅の炎があって。えっ? と。咄嗟に身を竦めたのも、束の間のこと。温度を感じない、ただ美しく明るいばかりのその炎に、見覚えのあったリオはパチリと青い瞳を瞬いた。
 見間違えることはない。リオを守るように取り巻く美しい炎は、アルトの魔術だ。

(……髪飾り……)

 ハッと気付いて頭に触れれば、身につけた銀色の装具が熱を帯びて、キラキラと輝いているのが判る。
 彼が捧げてくれた髪飾りから、炎が湧き出て、リオを助けてくれたようだ。物語のそれと、正に同じ展開に助けられたことを悟ったリオは、声もなくただその炎を見つめ続けて。そして、一拍遅れて、リオの手を取った白い手にびくりと肩を跳ね上げる。
 あーあー、もう、と。少し遠くから聞こえた、こんな時でもどことなく愉快そうなその声はテオドールのものだろうか。とてもその声の方まで確認をする余裕もなく、リオは涙目のまま口をぱくぱくと開け閉めした。
 潤んで滲んだ視界の中、リオの前に跪いた美貌の青年がため息を吐く。はじめて出逢った夜と同じ、美しい衣装にフェイスベール。
 思わず縋るようにその手に指を絡ませれば、ふ、と。彼は苦みがかった笑顔を浮かべた。

「私が浅はかでした。……あなたに他の男の手が触れるを、許せぬ私を忘れていた」
「あ、アルト、くん」

 気が緩んだ拍子に、溢れてしまった雫を指で拭われる。その仕草は優しく丁寧で、リオはまた泣きそうになった。
 ごめんなさい、と。口にしようとした囁きは、ほど近くから響いた罵声に掻き消された。

「役者風情が何様のつもりか!」

 貴様は今何をしたか解っているのか、と。先ほどまでの、リオへの柔和な態度を一瞬で硬化させたレーヴィンが、激昂した様子でそう叫ぶ。一度気を緩めてしまったリオは素で驚いて飛び上がり、慌てて声の方を振り向いた。
 不思議な炎は、敵と定めた男の手には火傷を負わせたようだ。不相応に肥大した自尊心を伺わせる、その傲慢な怒声は、正しく誇り高い貴公子の逆鱗に触れたらしい。怒りに燃える炎の瞳を苛烈な微笑みに歪めたアルトが、美しい顔を覆うフェイスベールを引き剥がして立ち上がった。

「何様だとは恐れ入った。――貴様が害した、己が母の。我が母たる貴様の姉の、面影さえも見誤るか!」
「なっ……!」

 素顔を露わにしてのその一喝に気圧されてか、一歩後退ったレーヴィンが息を飲む。
 その素顔の由縁を、理解することはできたのだろう。顔色を濁らせた男が、殺せ! と。破れかぶれの怒声を上げれば、これまでは影のような気配のなさで給仕をしていた屋敷の使用人たちが、一瞬で殺気を露わにした。

「アルトくん……っ?」
「はいはいはいはい! 君はこっち!」

 もー! と。この緊迫した場面でも可愛らしい声のアスランに腕を引かれたリオは後ろに引きずられ、アルトに伸ばした手は虚しく宙を掻いた。そのままぐいぐいとリオを引きずり、どうにか乱闘の中心地から遠ざけようと必死になっているアスランの元に、一座の皆が揃って駆け付ける。
 もうすでに最初の計画など迷子になっているだろう彼や彼女の顔に浮かぶ苦笑と、寿命縮んだんだけど、の言葉に。顔色を赤くしたり青くしたりするリオが、あわあわと狼狽えた。

「ごめっ、ごめんなさっ」
「あーいいのいいの、素人のお嬢さんにそこまでさせちゃあ我が身の恥ってね」

 あ、お坊っちゃんだっけ? と。こんなときなのに和ませようとしてくるテオドールに、笑い返して良いものか解らないリオは変な顔をしてしまう。
 一座の皆に睦まじく言葉をかけられるリオを見て、察するところがあったのだろう。背後から、怒り狂った公爵の命令が響き渡った。

「――その女も、部屋から出すな!」

 その怒号を受けた使用人たちが、一斉にリオに視線を向ける。その圧にびくっとしたリオの視界の片隅で、公爵の側近であるらしい老執事が何らかの仕掛けを作動させれば。途端に壁に仕込まれた隠し扉が開き、どう見てもただの使用人ではない貫禄の魔法使いたちがさらに十人ほど部屋に雪崩れ込んで来るその光景に、リオの手を取ったままのアスランが悲鳴を上げた。
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