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第三章

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(とんでもないことになってしまった)

 それもちょっとどうかと思うが、誘拐未遂事件の時以上に真っ青な顔をしながら、リオは薄暗い舞台袖で置物のように椅子に座っていた。
 結局あの後、一人では着替えられなかったリオの着替えを手伝いに歌姫が乱入してくるに至って、男装と女装をめぐる一連の騒動はあったものの。ちょっと驚いた、程度の衝撃で受け入れてもらえたので、その点だけは安心だった。人間の常識よりも、魔法使いは自由で柔軟だ。そう思う。

「リオ」
「……アルトくん」

 緊張のあまりお腹まで痛くなってきたリオの元に、非情に申し訳なさそうな顔をしたアルトが顔を出す。まさか本題以外で彼にこんな顔をさせることになるとは思っていなかったリオはここでも大丈夫だと言ってあげたかったが、嘘に気遣いを重ねたとしても多分それは無理な相談だった。
 舞台衣装を身に纏った彼は、薄暗がりの中でも光り輝くように麗しい。そんな彼の、仮にも相手役として半時後には舞台に立たねばならぬ身の上を思えば。彼を慕う数多のご令嬢に、本当に殺されてしまいそうな気がして、キリキリと音を立てる胃を抱えてリオは丸くなった。

「リオ、リオ。そんな顔をなさらないでください。本当に、あなたが眠っていても大丈夫なように、舞台は進行しますので」
「ううう。それ、本当……?」

 木の板レベルで大丈夫だから、と。顔を合わせる魔法使いたちは皆、冗談交じりにそう笑ったが。舞台上でガタガタ震えてしまいそうなリオは、もう木の板にも劣るイメージしか抱けていない。恙なく舞台を終わらせるためには、今からでも木の板にバトンタッチした方がいいのではないかという精神状態だった。

(……魔法使いも夢を見る)

 消せぬ思いを、夢に見る。美しいそのフレーズだけは、姉の優しい声と共に、リオの胸に深く刻まれていた。
 力を追い求めるがあまりに、醜い竜の姿と成り果てた魔法使いが恋をする、美しい人間の姫の役。――何をどう前向きに考えてもやっぱり無理……! と。己と姫の共通項を非魔法使いであることしか見出せないリオが涙ぐめば、何とアルトはふふっと噴き出した。

「アルトくん!?」

 流石に笑い事ではないのだけれど、と。リオが珍しく怒った声を出せば、それでも笑いの発作が収まらなかったらしいアルトが息を震わせながら、申し訳ありません、と。謝罪の言葉を述べた。

「ですが、お許しください。……目的のためにと、心無い愛を紡ぎ続けた私です。せめてあなたがご覧くださる舞台では、真実の愛を囁きたかった」

 そんなことを言われたら許してしまう。
 一瞬で言葉に詰まったリオは、己の転がされやすさに流石に思う所があったけれど。それでも、きっと今の言葉は、アルトの本心だとも思えたので。怒ることはやめて、その白い手をおずおずと握り締めた。

「僕が舞台で気絶しても、許してね……」
「その時は、優しくお運びさせていただきます」

 にこりと微笑むアルトの美貌に、違う意味で気絶することもあるかもしれない、と。リオはそう思った。
 どう演出しても、醜い竜には見えそうにないなあと思えばおかしくて。ようやく少しだけ笑うことができたリオの様子に、アルトがほっと息を吐き出す。そのまま見つめ合う二人の元に、バタバタと駆けて来た金髪の少年が、急いで急いでとアルトを促した。

「二人の邪魔はしたくないけどさー! アルトはメイク終わってないんだから、早くこっちこっち!」

 嵐のようにアルトを連れて行かれて、また舞台袖に取り残される形になったリオはぽかんとする。忙しい中、リオの様子見を優先させてくれていたらしいアルトの行動に、ほんのりと胸を温かくすると、よーし! と。リオはいよいよ覚悟を決めた。

(気絶しても大丈夫って言われたし)

 いざという時はさっさと気絶しよう、と。全体的に後ろ向きな覚悟ではあったが、それでも覚悟には違いない。
 取り敢えず全体の広さを確認して、と。まだ客入りが終わっていない舞台をこっそり視認する。暗がりにも明らかな、リオの故郷であれば王侯貴族を招待しても引けを取らないほどに整った舞台と座席に、リオはまた目を丸くした。

(広くて、立派)

 天幕自体にも、空間系の魔法がかけられているのだろうか。外から見たよりも遥かに大人数を収容できそうなその空間に、一人分としては随分と余裕のある幅のゆったりとして座席が贅沢に並べられている。
 軒並み、複数人のグループ単位で来場しているらしい客たちは、国民の比率を鑑みれば当然に女性が多いが、男性もこだわりなく混じっている。子供の姿は少なく、先代女王の訃報から、誘拐事件が増えているというパルミールの情勢を思い出させた。

「話題作りのためにさ、ちょっと足りないくらいの席数で客数制限してるんだよ。チケットを争うくらいの評判なら、お偉いさんにもウケが良い、ってね」
「そうなんだ……わっ?」

 当たり前のように会話をしてしまったことに驚いたリオが上げかけた大声を、しーっ、と。どこか色気のある仕草で制した黒髪の青年が、驚かせた? と、感じ良く笑う。
 その顔には比較的見覚えのあったリオは、ほっと息を吐き出しながら微笑んだ。

「テオ……くん」
「おっ、新鮮」

 軽やかに口笛など吹かれて、テディくんだっけ? と。慌てて言い直そうとしたリオに、いいって、と。笑いかけながら、テオドールは伸びをする。彼は騎士の役なのか、華美な銀色の装いがとても良く似合っていた。

「引き受けてくれてありがとね。もうそろそろ正念場だからさ、その前に何かアイツにいい思いさせてあげたくて」
「う、ううん! その、悪い記憶にはならないように、頑張りたいなと」

 思います……と。尻窄みになるリオの言葉に、その意気その意気、と。朗らかに笑ったテオドールが、ポンポンとリオの頭を叩く。彼はまるで、みんなのお兄さんのようだ。実の兄たちとは、終ぞまともな交流もなく過ごしてきたリオに、この距離感は少しくすぐったい。
 リオの衣装は、青いドレスに、個性を消すための白いシークレット・ヴェールだ。一応メイクはしてもらっているが、あまり変わった気はしないので、このヴェールが最低限の防衛ラインでもあった。撫でられた拍子にズレてはいないかと確認するリオの様子を笑うと、また舞台で、と。彼は軽やかに手を閃かせた。

「俺と絡む時は、ちょっと距離取ってくれていいよ。アルトに殺されたくないからさ」
「? う、ん」

 良く分からないままに頷いて、テオドールを見送れば、もういよいよ開幕時間だ。
 指示されたときに、舞台上の椅子に座るだけでいいと言われてはいても、やはり緊張感は否めずソワソワしてしまう。
 場内の照明が落ち、壇上にライトが当たり、歌姫が一礼をする。観客たちが一斉に拍手や声援を送るのに倣って、リオも舞台袖で、パチパチと控えめに手のひらを打ち合わせた。

 ――彼は誇り高き魔法使い。遥か昔、忘却の海に消えた一人。
 ――されど彼の残した物語は、時を越えて、愛を語る。愛知らぬ彼に愛を教えた、たった一人のために。

 歌姫の少女シンシアの、楽器のような美声が、まだ暗い舞台から客席に広がっていく。
 その歌声で、世界を形作るように。魔法のライトアップが夢のような色合いを舞台上に映し出す幻想的な光景に、リオは一瞬、緊張も忘れて見惚れてしまった。
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