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第三章

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 彼にならば、打ち明けてもいいような気がして。口を開く。

「僕、人間なんだ。魔力が少ないんじゃなくて、最初から何も持ってない……君たちとは、全然違う生き物」
「人間?」

 まさか、と。呟く声は、本当に信じられないとでも言いたげだ。
 人間の国で、魔法使いがお伽噺の存在であるように。魔法使いの国でも、やはり人間は珍しいのだろうか。

「うん。……とは言っても、魔力がない以外、どんな特徴があれば人間なのか。僕もあんまりよく解っていないんだけど」
「いえ。……いえ、解るかもしれません。あなたに触れていると、とても気分がいい」

 あなたへの好意ゆえと思っていましたが、と。建前でもそんなことを言われて、リオの心臓が跳ねた。

『古い言い伝えですが、魔力を持たない人間は、その分魔法使いの力を増幅させる力を持っているとか。そのために、人間を売買した時代があった、とも』

 リオの国で、人間を食べると言い伝えられているのは、そうした闇の時代の名残かもしれない、と。教えてくれたのはエルドラだっただろうか。リオには何の自覚もないが、もしも本当にそんな力があるのなら、とても嬉しいことだと素直にそう思った。

「僕たちの国では、魔法使いはとっても怖がられていて。二度と国境が通じることがないようにと、百年に一度生け贄を出すんだ」

 そう口にすれば、アルトの身体が強張るのを頬に感じる。あまりに前時代的なその発想で、驚かせてしまっただろうか。
 ファランディーヌは当たり前のように受け入れてくれたが、内心ではとんでもない国だと思われていたのかもしれない。リオは急に恥ずかしくなって、ええと、と。言葉に詰まった。

「その生け贄に選ばれたのが……僕の、姉上だったから。代わりたいって、僕から言ったんだ。姉上は泣いてくれたけれど……みんな、それがいい、って。役立たずにも、ようやく使い道があった、って。そう言われてたのも、知ってる」
「それは……!」

 突然激高した彼に手を握り締められて、驚き瞬くリオを映した炎の瞳が燃え上がる。
 生け贄に差し出し、あまつさえ悪意を囁いた。そんな相手への怒りが、美しく高潔な眩い瞳を輝かせる。――だが、リオを利用しようとしたのは、自分も同じだとでも思ったのだろうか。自責を含んだ遣る瀬ない憤りの感情が、美しい瞳を悲しく曇らせた。
 何て優しい人なんだろう、と。思ったリオは、彼がこれ以上自分を責めないようにと、想いを込めてその手を握り返した。

「アルトくんは違うよ。……ずっと、最初から。僕を何かに利用しようなんて、思ってなかったよね」
「ですが、私は今……」

 告解をする罪人のように、彼の手は震えている。優しく誇り高い彼に傷ついて欲しくないリオは、大丈夫だよ、と。微笑んだ。
 やりたくないことは、やらなくてもいい。リオは、生け贄になりたかったわけではないけれど、姉の命を助けたかった。やりたくないことを、それでもやろうと思うのは。その先に――譲れない望みや願いがあるからだ。

「嫌々だったって、知ってるよ。……アルトくんは、ずっと僕に、優しくしてくれたよね」

 初めて出会ったその時から、彼が優しくないことなんてなかったと、そう思う。きらきらと、輝くばかりに眩しくて、美しくて。ものを知らないリオに呆れることもなく、笑ってくれて。
 どんなに空回っても、失敗してしまっていても。そんなあなたが好ましいのだと、理解できる瞳で見つめてくれる彼のことを、リオは好きだった。それが恋愛感情であるのだと、認めるにはまだ戸惑いがあったけれど。

「友達になってくれたから? でもきっと、友達にする以上のことを、君は僕にしてくれたと思っているんだけど。……あの、でも、もしも。女の子だから親切にしてくれていたんだったら、ごめんね」

 男で……と。急に消え入りたいほど恥ずかしくなったリオが、真っ赤な顔でそう呟けば。いえ、と。慌てたように口にした彼が、僅かな逡巡の間を置いて、リオの頬に手を伸ばす。
 男だと明かした上で触れられることに緊張したリオが背を正せば、その過剰なほどに畏まった様子を映した赤い瞳が、清らかな宝石の輝きを取り戻して眩く微笑んだ。

「あなたがどのような方であっても、そのお心と眼差しのある限り。私はきっと、あなたを大切に思わずにはいられないことでしょう」

 優しく頬に触れた指先が滑るように首筋を撫でて、ぞくりとした官能の疼きを思い出してしまったリオが微かに震える。
 そんな震えにも指を止めることなく、肩を撫ぜ、腕までを指先で辿った彼は。最後にリオの手を取ると、恭しい仕草で口づけた。

「この手に触れるお許しをいただけたことが……今の私に与えられた、唯一の幸いです」

 その、あまりにも美しい騎士の所作に。リオは、寒風に揺れる窓を気遣う風を装って目を逸らした。
 目を逸らしたところで、赤くなってしまっただろう頬は、月明かりの中にも明白だろう。くすりと笑う声を落としたアルトが、リオの目線を追って窓の外に目を向けた。
 リオが心惹かれた青い流星が鳴りを潜めた今も、丸い月明かりは眩しいほどの銀色だ。その光に目を細めると、アルトがぽつりと呟きを落とした。

「……あの日も、月の明るい夜でした」

 その声に振り向けば、静かに炎を燃やす美しい瞳が、月を映して神秘的に輝いている。穏やかに凪いでいるようでありながら、その実ひどく暗い感情を秘めているようなその瞳を、リオがじっと見つめれば。リオの視線に気付いたアルトが、微かに口元を綻ばせた。

「あなたが真実を打ち明けてくださったのに、私が黙秘を貫くわけにはいきませんから」

 ですがその前に、と。彼は懐に手を差し入れ、一通の手紙を取り出してリオの目の前に翳す。よく見えるようにと直接手渡してくれながら、アルトは続けて口を開いた。

「こちらの手紙については、ご存じでしたか?」

 手渡されたのは、立派な封蝋の押された紙の手紙だ。
 エレノアと文通をして初めて知ったが、適性さえあれば遥か遠くへも通信を繋げることが出来る魔法使いたちは、こうしてあえて古めかしいやり取りをすることを礼節として尊んでいるらしい。
 手触りの良い厚紙は、それだけで十分な高級品と解る。宛名を見れば、ファランディーヌの名を丁寧にしたためてあるその手紙はアスタリス邸に宛てられたものと見て間違いはないが、リオが目にした記憶はなかった。

「見たことはないかな……元々、手紙はエルドラが仕分けていたから。僕宛ての手紙でなければ、僕が目にする機会もないんだけど」

 そう答えれば、やはりそうでしたか、と。アルトが頷く。これが何か? と。首を傾げるリオに、アルトが丁寧に言葉を重ねた。

「これは、差し出される前に拝借したものですが。類似の手紙が何通も、こちらの邸宅に送られていることを確認しています」

 拝借、という言葉が、咄嗟に理解できなかったリオがきょとんと瞬けば。手癖の悪い身内がおりまして、と。アルトは何とも言い難い顔で苦笑した。
 どんな方法を使ったものかは知れないが――貴族宛の手紙を、中抜きすると言う。その大胆な行動に、リオは目を丸くした。それがどんなに難しいことであるのかは想像することしかできないが、とても容易なことではないだろう。あらゆる場所でセキュリティの魔術が用いられている、魔法使いの国でならば尚更だ。

「その手段をよしとはできませんが、この場合、肝心であるのはその中身です。……あなたを、妻として迎えたいと」

 書いてあります、と。真剣な顔で言われて、リオは吹き出した。
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