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第二章
2-10
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灯りが点いているからには、まだ皆起きているのだろう。早く安心させてあげなくてはと、股の間の違和感からは目を逸らしながら、門扉の内へ駈け込めば。殺気立ったとしか形容できない、悪鬼の形相の使用人たちと鉢合わせてぎょっとする。
「あ、あの。……あ、エルドラ。ただい……」
ま、と。そこまでも言い切ることが出来ないまま、リオは有無を言わさず鷲掴みの横抱きにされて、屋敷の中へと運び込まれた。
エルドラに続いて乱入した侍女二人に、上から下までの全身検分を受けて上げた悲鳴が考慮されることはなく。服の下まで検分されてはやましい点しかないリオは焦りに焦ったものの、辛うじて、治り切らなかった手足の擦り傷だけを見咎められて点検は終わった。
心配をかけて申し訳ない気持ちが一番ながら、一刻も早く下着をどうにかしなければ個の尊厳に関わるリオは、兎にも角にもお風呂に入る許可をもらう。真っ赤になったり更に真っ赤になったりしながら身体と下着を洗って出れば、安堵から来ると思しき脱力で脱け殻と化したエルドラに迎えられた。
滅多なことでは顔色を変えない彼の蒼白な様子を見れば、申し訳ないこと限りない。せめてお茶でも淹れてあげようと机の上のティーポットに手を伸ばしたところで、その手を優しく押さえられた。
「私がお淹れ致します」
そのまま流れるように椅子に座らされ、茶を給仕される。丁寧な手つきで香り良い茶をリオに差し出し、そして自らは立ったまま残りの茶をティーポットからのダイレクトというやはりまだまだ取り乱した様で飲み干すと、エルドラはため息をついて口を開いた。
「ご無事で、本当にようございました。……しばらく、社交はお休みいたしましょう」
「え? でも……」
断り難いものであるからこそ、無理を押してでもリオが出席していたのではないだろうか。エルドラの負担が余計増してしまうのでは、と。おずおずと様子を窺えば、頑なな決意を浮かべた甘い色の瞳が、真っ直ぐにリオを見つめて首を横に振った。
「慣れぬ社交に体調を崩されたとでもお伝えすれば、正面から無理強いをすることはできないでしょう。あなたに害を及ぼすものがいると知れた以上、あなたを危険にさらすわけには参りません」
――リオの背中を突き飛ばした、冷たい手。御者のいない馬車。人気のない道と、夜の空気。そんなものたちを思い出したリオが、微かに震えて身を竦める。
リオのその姿を見て、表情をますます固くしたエルドラは、丁寧な仕草で深々と頭を下げた。
「本日は、私の不手際で申し訳ありませんでした。……あなたを一人にしないと誓った端から、僅かな間だと油断をした」
「そんな、僕こそ。何か変だとは思ったのに……」
初めての夜会のあの日から、以前にまして過保護になったエルドラが、初対面の使用人に言伝などするはずがないのに。軽率でしたと頭を下げれば、リオ様に咎はございません、と。きっぱりとした否定を返された。
顔を上げたリオが、いつも通りの顔をしていることに安心したのだろう。エルドラは幼くも端麗な顔をようやく少し綻ばせ、一つ息をついて冷静な己を取り戻した。
「二度同じ轍は踏みません。ですが私は、リオ様を私にこのまま一任することに不安を覚えます。……ファランディーヌ様と連絡が取れるまで、リオ様は、お部屋に鍵をかけてお過ごしください」
「うん。……あのね、本当に。エルドラのせいじゃないからね」
そんな、おずおずとしながらもはっきりと優しい断定に、ありがとうございますとエルドラが微笑む。
「もう随分と、遅い時間になってしまいました。今夜はひとまずお休みいただきたいのですが……もう少し、お戻りになるまでの経緯をお教えいただいてもよろしいでしょうか」
「え!? ええっと」
とてもではないが全容を言えない事情を抱えたリオの顔色は、途端に真っ赤と真っ青を行き来してしまったのだけれども。
馬車から飛び降りた辺りのくだりでエルドラが一度卒倒したため、何とか言えそうにない部分は省くことができた。
「あ、あの。……あ、エルドラ。ただい……」
ま、と。そこまでも言い切ることが出来ないまま、リオは有無を言わさず鷲掴みの横抱きにされて、屋敷の中へと運び込まれた。
エルドラに続いて乱入した侍女二人に、上から下までの全身検分を受けて上げた悲鳴が考慮されることはなく。服の下まで検分されてはやましい点しかないリオは焦りに焦ったものの、辛うじて、治り切らなかった手足の擦り傷だけを見咎められて点検は終わった。
心配をかけて申し訳ない気持ちが一番ながら、一刻も早く下着をどうにかしなければ個の尊厳に関わるリオは、兎にも角にもお風呂に入る許可をもらう。真っ赤になったり更に真っ赤になったりしながら身体と下着を洗って出れば、安堵から来ると思しき脱力で脱け殻と化したエルドラに迎えられた。
滅多なことでは顔色を変えない彼の蒼白な様子を見れば、申し訳ないこと限りない。せめてお茶でも淹れてあげようと机の上のティーポットに手を伸ばしたところで、その手を優しく押さえられた。
「私がお淹れ致します」
そのまま流れるように椅子に座らされ、茶を給仕される。丁寧な手つきで香り良い茶をリオに差し出し、そして自らは立ったまま残りの茶をティーポットからのダイレクトというやはりまだまだ取り乱した様で飲み干すと、エルドラはため息をついて口を開いた。
「ご無事で、本当にようございました。……しばらく、社交はお休みいたしましょう」
「え? でも……」
断り難いものであるからこそ、無理を押してでもリオが出席していたのではないだろうか。エルドラの負担が余計増してしまうのでは、と。おずおずと様子を窺えば、頑なな決意を浮かべた甘い色の瞳が、真っ直ぐにリオを見つめて首を横に振った。
「慣れぬ社交に体調を崩されたとでもお伝えすれば、正面から無理強いをすることはできないでしょう。あなたに害を及ぼすものがいると知れた以上、あなたを危険にさらすわけには参りません」
――リオの背中を突き飛ばした、冷たい手。御者のいない馬車。人気のない道と、夜の空気。そんなものたちを思い出したリオが、微かに震えて身を竦める。
リオのその姿を見て、表情をますます固くしたエルドラは、丁寧な仕草で深々と頭を下げた。
「本日は、私の不手際で申し訳ありませんでした。……あなたを一人にしないと誓った端から、僅かな間だと油断をした」
「そんな、僕こそ。何か変だとは思ったのに……」
初めての夜会のあの日から、以前にまして過保護になったエルドラが、初対面の使用人に言伝などするはずがないのに。軽率でしたと頭を下げれば、リオ様に咎はございません、と。きっぱりとした否定を返された。
顔を上げたリオが、いつも通りの顔をしていることに安心したのだろう。エルドラは幼くも端麗な顔をようやく少し綻ばせ、一つ息をついて冷静な己を取り戻した。
「二度同じ轍は踏みません。ですが私は、リオ様を私にこのまま一任することに不安を覚えます。……ファランディーヌ様と連絡が取れるまで、リオ様は、お部屋に鍵をかけてお過ごしください」
「うん。……あのね、本当に。エルドラのせいじゃないからね」
そんな、おずおずとしながらもはっきりと優しい断定に、ありがとうございますとエルドラが微笑む。
「もう随分と、遅い時間になってしまいました。今夜はひとまずお休みいただきたいのですが……もう少し、お戻りになるまでの経緯をお教えいただいてもよろしいでしょうか」
「え!? ええっと」
とてもではないが全容を言えない事情を抱えたリオの顔色は、途端に真っ赤と真っ青を行き来してしまったのだけれども。
馬車から飛び降りた辺りのくだりでエルドラが一度卒倒したため、何とか言えそうにない部分は省くことができた。
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