【完結】魔法使いも夢を見る

月城砂雪

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第一章

1-10☆

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 褥、とは。寝台の事だっただろうか。そんなことをようやく思い出したのは、彼に手を引かれ、休憩用に設けられていた小部屋に設えられたベッドを目にした時だった。

「あの……」

 状況把握のためにと恐る恐る声をかけてみても、その不思議に麗しい笑顔を向けられてしまえば、リオには続ける言葉がない。彼に手を引かれ始めてすぐに目が合ったエレノアも、ほんのりと上気した顔を微笑ませながら、頑張って! と。口パクのエールとウインクを贈ってくれるばかりだった。
 とりあえず、何かを頑張らなくてはいけないのだろうとは思う。そして多分それは、あの庭に集った彼女たちにとっては、嫌なことでもないのだと思う。それくらいしか判らない。
 青年に導かれた小部屋は、屋敷の規模に比すれば小さく狭く。寝台の他には小机とランプしか用意されていない室内には椅子さえもなく、リオの困惑は深まった。

(座っていいのかな……?)

 自室でもないのに、寝台に座るのは礼儀としてはどうなのか。だがそもそも椅子がないのだから、遠慮せずにここで休んでくれという解釈でいいのだろうか。そう納得しかけたリオの背後で、美貌の青年は後ろ手に戸を閉めると、小さな音を立てて錠をかけた。
 振り向いたリオの問うような瞳に、青年が短く答える。

「邪魔が入らないようにしなくては」

 ね? と。甘く微笑みかけられて、よく解らないままリオは頷いた。その素直な様子に重ねて微笑んだ彼に、それではどうぞと寝台に促されたものの、何が始まるのか全く見当もつかない。彼の仕草は余りにも自然なものなので、恐らく解らない自分の方がおかしいのだろうとは思うが。
 寝台のある休憩室に、男女で二人きりとあらば。具体的な事例を知らない少女でも、何となくいけない状況であるとは気付けただろう。しかしリオは男なので、どうにもその辺りの危機感に当事者意識がなかった。

(エルドラ……も、特には、何も)

 目立たないようにとの忠告は、やや破ってしまった後だが。個室に二人の現状では、これ以上目立ちようもないので大丈夫だろう。そう結論付けて多少気を緩めたリオは、ひとまず促された通りに座ろうと、大きな寝台の端に控えめに腰を下ろした。
 慣れないヒールで走り、歩き、立ち尽くし。リオの自覚以上に疲労を貯め込んでいた足が、途端に鉛のように重くなる。

「いたた……」

 そう口にして、つい足を擦ってしまえば。くすりと笑った青年が、どうぞお楽にと口にしながら、リオの隣に腰かけた。ぎしりと撓った寝台に、ここのベッドも柔らかそうだなあと呑気に思ったリオは、青年の言葉に甘えて靴を脱いで寝台の上に足を畳んだ。
 しゃらりと涼しげな音を立てて、キラキラと輝くフェイスベールを外した美しい彼は、その全貌が露わになればますます魅力的で。均整の取れた体つきと相俟って、古代の芸術家の一作品のように完璧だった。熟練の技術と思しき舞の印象とは異なり、その素顔は思いがけず若々しくもあって。自分とも然程変わらない年齢かも知れないと思ったリオは、ますますほっとして警戒心を緩めた。

(もしかしたら、仲良くなってくれるかも)

 この状況の所以は解らないままだが、呑気にそんなことを思ったリオは、顔を上げて彼に笑いかける。どこまでも完璧な、麗しい微笑みで応じた彼は、ふと身を乗り出してリオに顔を近付け――それからは、あっという間だった。
 あれよあれよという間に、綺麗に寝台に押し倒されて。ドレスの裾に手まで入れられたリオは、正に窮地に立たされていた。何しろこちらには、スカートの奥にあるものに気付かれてはいけない事情があったので。

「あああのあの、な、何か誤解が……!」

 命の危険という類のものではないが、何か絶対的に危うく、大変にいけない状況――人はそれを貞操の危機と呼ぶ――に、パニックを起こしたリオは、それでもまだ、具体的に何が起ころうとしているのかの知識がなかった。
 それ故に、まだ多少は落ち着いて、何か誤解があるようですがと話しかけようとしたのだが。それが言葉になるよりも先に、心臓の辺りを鷲掴みにされて吹き出してしまった。

(何故!?)

 屋敷の魔法使いたちが施してくれた女装は、当の己の目を通してもかなりの完成度ではあったが、流石に胸に詰め物はしていない。肥満でもないリオのそこは、膨らみがあると言うよりはなだらかであると言った方が相応しいような胸囲だったが。バレるバレない以前の問題として、初対面の相手に触れさせていい場所でも、触れる必要がある場所でもない。

「あの、そこは……!」

 何もないので、と。思わず言いそうになったが、女装がバレてもそれはそれで別の路線で困ってしまう。あえなく言葉を飲み込んだリオの様子にくすりと笑いを漏らした青年が、なだらかであるばかりのリオの胸の上に口付けを落とした。
 そもそも他者との身体の接触に慣れていないリオは、服の上からでも色めいたその仕草に息を呑んで身を捩ったが、何故だかほとんど動けなかった。美貌の青年は、殊更にリオを押さえ付けるような力の入れ方はしていない。それなのにすっかり体の自由を奪われている自分に気付いたリオは、目を白黒させて慌ててしまった。
 パチリ、と。首裏の留め具を外す音が聞こえて。理由はさっぱり解らないまま、ドレスを脱がされそうになっていることに気付いたリオのパニックは最高潮で。ひゃあ、と。情けない声を出しながら必死に彼の手を握り締めて制止した。

「ま、待って。待って、ください。だめです」
「どうしましたか?」

 首を傾げる彼の声は、この狼藉の間にも、乱れることなくずっと優しい。その優しさに縋るようにその白い手を握り締めながら、リオは懸命に懇願した。

「ふ、服は、脱がさないで……」

 色々な意味で必死過ぎて、涙目になって震えるリオの声を聞いた青年は、全く予想外のことを言われたとばかりに目を丸くした。

「……お可愛らしいですね」
「え? ひゃ……っ」

 唐突に首筋に触れた吐息に、びくりと肩を跳ねさせたリオの反応を微笑ましそうに笑った青年は、そのままちゅっと音を立ててリオの首に吸い付いた。

「ん……っ」

 わけが解らないまま、背を走り抜けたぞくりとした感覚に、リオの身体が震える。反射的に身を縮めたリオの頬に手を当てた彼は、そのままリオの耳元に唇を寄せると、囁くように問いかけた。

「お嫌ですか?」
「そ、そういうわけでは……」

 嫌と言えばいいものを、何故曖昧に濁してしまったのか、もはやリオ本人にも解らなかった。
 青年の囁きが触れた耳は熱を帯びて、きっと真っ赤になっている。麗しい彼の手が、唇が触れた場所が甘く疼いて、不快とは異なるぞわぞわとした官能をリオに教えた。

「大丈夫ですよ。すぐに、何も分からなくなりますからね」

 何が大丈夫なのかはさっぱり解らないが、まるで当然のことを口にするように優しく告げた彼が。赤く濡れた唇を、唇に寄せる気配を感じ取って。脳内がハレーションを起こしたリオは、流石にそれは……! と。取り乱しながら、両手で自分の口を塞いだ。

「だ、だめ……! やっぱり、それは、だめです!」

 顔を真っ赤にして、目を潤ませながら拒絶するリオの様子を目に、美しい青年が当惑したように瞬く。そんなに不思議そうにされてしまっては、リオの方が間違っているような気もしてきてしまうが、それにしたってこのまま流されていいはずがなかった。
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