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第一章
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食事は美味しく、演し物は華やかで興味深い。完璧には覚えきれなかった作法のことを意識すれば、動きは少々もたつくが、肌に感じる周囲の眼差しは予想よりも温かい。多少の緊張感を残しつつも、リオは初めての夜会を楽しむことができていた。
故郷でも、もう少し勉強しておけばよかったという後悔はあるけれど。リオが学ぶとすれば、当たり前のように男性側の作法だったことだろう。女性としての作法は、結局一から学ぶしかない。
(余計な知識がなかった分、まだいいのかな)
病弱であったこともあり、身近に親しめる男性がいなかったこともあり、男性側の作法と混ざって混乱するようなことはなかった。
それにしても、なし崩しであろうとも社交の場に出て改めて思い知ったのは。生け贄に差し出されて真っ先にファランディーヌに引き取られた己の幸運と――彼女がいかに、このパルミールで慕われ、愛され、頼りにされているかと言う、その事実だった。
付け焼刃の作法でおろおろする、好意的に見ても箱入り娘どころか田舎娘丸出しのリオを相手に。それでも丁重に声をかけてくる魔法使いたちの物腰は柔らかく、リオを通して背後に姿を見るファランディーヌへの、そうと解るほどの好意に満ちていた。
先代女王の懐刀と呼ばれていたらしい母の武勇伝を口の端に上らせながら、リオに語り掛ける魔法使いたちは皆優しい。
「お母様の具合はいかがですか?」
「リオネラ様もご心配なことでしょう。お元気になられた暁には、どうぞお二人で当家にもいらしてくださいね」
リオ個人への誘いも頂きつつ、母の容態を案じる言葉を、今夜だけで幾度かけられただろうか。今は遠い故郷の冬に、産みの母を真実病で失くしているリオは、姉と泣き暮らした幼い日を思い出して胸が切なくなった。
リオが纏う青いドレスは、リオの心的抵抗のことも鑑みてもらい、露出は控えめだ。唯一あからさまに剥き出しである肌色――今は傷一つない己の腕をふと見下ろし、リオはエルドラに視線を向ける。
「……エルドラ。魔法使いも、病気になるの?」
ひどい凍傷を負っていたはずのリオの手足は、つるりと白い。長寿の薬湯も、効果はこの身で知っている。言われるがままに仮病を口にしてはいたが、魔法使いならば、魔法ですぐに治せてしまうのではないかとも思っていた。
けれど、魔法使いにも、治せない病があるのなら。表情を曇らせたリオに気付いたのだろう、エルドラはその瞳に慰めるような色を浮かべて、優しくリオの背に触れた。
「傷や、疲労程度であれば、効果的な魔法はあります。一般的な風邪にも、薬湯が。ですがそうですね、稀ですが、薬湯の効かない体質であったり、回復術を相殺してしまう体質であったり……あるいは、呪いなどをきっかけに。体内の魔力のバランスを狂わせれば、長く伏せることはあります」
「そうなんだ。……命に関わることも、あったりする?」
「……先代の女王陛下の死因は、確かに。ですが、大丈夫ですよ。滅多なことではありませんし、ファランディーヌ様に限って言えばもう三百年も、風邪も引かない健康体でいらっしゃいます」
少しでも安心を得たくて、縋るような瞳でエルドラを見つめてしまっていたリオだったが。話の途中で、また新たな貴族に微笑みかけられて、続きを聞くことは適わなかった。
ぬくぬくとした優しさに包まれて、何不自由のない生活を送らせてもらっていたが。やはり今後を思えば、改めて勉強しておかなくてはならないことは多そうだ。みそっかすの末の王子であったことを差し引いても、あまりにも教養の足りない己に対して零れそうになるため息を飲み込みながら、笑顔を作る。
(魔法使いにも、危険なことがあるのなら)
きっと、完全に安全とは言い難いことをしているのだろうファランディーヌの足を、せめて引っ張ることにはならないように。
かけられる言葉に、たどたどしく返礼をするリオに向けられる眼差したちから、不穏な気配を感じないのは幸いだった。彼らの身分をそっと耳打ちしてくれるエルドラの助けもあって、リオはどうにか、初めての夜会を乗り切ることができそうな気がしてきていた。
しかし、その油断が災いを招いたのだろうか。――唐突に。不気味で無機質な空気を纏う黒服の男たちに距離を詰められて、リオは瞬いて困惑した。
故郷でも、もう少し勉強しておけばよかったという後悔はあるけれど。リオが学ぶとすれば、当たり前のように男性側の作法だったことだろう。女性としての作法は、結局一から学ぶしかない。
(余計な知識がなかった分、まだいいのかな)
病弱であったこともあり、身近に親しめる男性がいなかったこともあり、男性側の作法と混ざって混乱するようなことはなかった。
それにしても、なし崩しであろうとも社交の場に出て改めて思い知ったのは。生け贄に差し出されて真っ先にファランディーヌに引き取られた己の幸運と――彼女がいかに、このパルミールで慕われ、愛され、頼りにされているかと言う、その事実だった。
付け焼刃の作法でおろおろする、好意的に見ても箱入り娘どころか田舎娘丸出しのリオを相手に。それでも丁重に声をかけてくる魔法使いたちの物腰は柔らかく、リオを通して背後に姿を見るファランディーヌへの、そうと解るほどの好意に満ちていた。
先代女王の懐刀と呼ばれていたらしい母の武勇伝を口の端に上らせながら、リオに語り掛ける魔法使いたちは皆優しい。
「お母様の具合はいかがですか?」
「リオネラ様もご心配なことでしょう。お元気になられた暁には、どうぞお二人で当家にもいらしてくださいね」
リオ個人への誘いも頂きつつ、母の容態を案じる言葉を、今夜だけで幾度かけられただろうか。今は遠い故郷の冬に、産みの母を真実病で失くしているリオは、姉と泣き暮らした幼い日を思い出して胸が切なくなった。
リオが纏う青いドレスは、リオの心的抵抗のことも鑑みてもらい、露出は控えめだ。唯一あからさまに剥き出しである肌色――今は傷一つない己の腕をふと見下ろし、リオはエルドラに視線を向ける。
「……エルドラ。魔法使いも、病気になるの?」
ひどい凍傷を負っていたはずのリオの手足は、つるりと白い。長寿の薬湯も、効果はこの身で知っている。言われるがままに仮病を口にしてはいたが、魔法使いならば、魔法ですぐに治せてしまうのではないかとも思っていた。
けれど、魔法使いにも、治せない病があるのなら。表情を曇らせたリオに気付いたのだろう、エルドラはその瞳に慰めるような色を浮かべて、優しくリオの背に触れた。
「傷や、疲労程度であれば、効果的な魔法はあります。一般的な風邪にも、薬湯が。ですがそうですね、稀ですが、薬湯の効かない体質であったり、回復術を相殺してしまう体質であったり……あるいは、呪いなどをきっかけに。体内の魔力のバランスを狂わせれば、長く伏せることはあります」
「そうなんだ。……命に関わることも、あったりする?」
「……先代の女王陛下の死因は、確かに。ですが、大丈夫ですよ。滅多なことではありませんし、ファランディーヌ様に限って言えばもう三百年も、風邪も引かない健康体でいらっしゃいます」
少しでも安心を得たくて、縋るような瞳でエルドラを見つめてしまっていたリオだったが。話の途中で、また新たな貴族に微笑みかけられて、続きを聞くことは適わなかった。
ぬくぬくとした優しさに包まれて、何不自由のない生活を送らせてもらっていたが。やはり今後を思えば、改めて勉強しておかなくてはならないことは多そうだ。みそっかすの末の王子であったことを差し引いても、あまりにも教養の足りない己に対して零れそうになるため息を飲み込みながら、笑顔を作る。
(魔法使いにも、危険なことがあるのなら)
きっと、完全に安全とは言い難いことをしているのだろうファランディーヌの足を、せめて引っ張ることにはならないように。
かけられる言葉に、たどたどしく返礼をするリオに向けられる眼差したちから、不穏な気配を感じないのは幸いだった。彼らの身分をそっと耳打ちしてくれるエルドラの助けもあって、リオはどうにか、初めての夜会を乗り切ることができそうな気がしてきていた。
しかし、その油断が災いを招いたのだろうか。――唐突に。不気味で無機質な空気を纏う黒服の男たちに距離を詰められて、リオは瞬いて困惑した。
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