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第一章
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リオは頭が真っ白になりそうな緊張を堪えて、ドレスの裾を軽く持ち上げると、跪こうとするように片足を曲げた。エルドラの特訓を受けたカーテシーは、果たして目が肥えているだろう彼女のお眼鏡に適っただろうか。
「お初にお目にかかります、エレーナ様。ファランディーヌ・アスタリスが三女、リオネラと申します。お目もじ叶い光栄です」
笑顔でいれば大抵のことは見逃されます、と。屋敷の使用人たちに力強く励まされたリオは、引き攣らないように祈りながら、にこりと柔らかく微笑んだ。その初々しい様子に微笑み返したエレーナに、ようこそ、と。優しい言葉で迎えられ、安堵に力を抜いたリオは、最初よりはまだスムーズに見えるだろう態度で言葉を続けた。
「お招き、大変嬉しく思っています。ですが、このような華やかな場は初めてで……何か、不調法があれば申し訳ありません」
半分以上は本心から、そう口にして恥ずかしげに顔を俯ければ。その控えめな仕草に、ほほ、と。紫色に輝く神秘的な瞳を眇めたエレーナが、朗らかな笑い声を立てた。
「まあ、可愛らしいこと。あのファランディーヌが、今まで大事に隠していたのも納得だわ。どうぞ、堅苦しい作法は気にしないで。パーティーを楽しんでね」
麗しの女主人にご挨拶をと、魔法使いたちは途切れることなく列を成している。優雅でありながら、どこか可愛らしくもある仕草でひらりとリオに手を振ると、エレーナはまた別の客人へと顔を向けた。慎ましい略式の一礼で彼女を見送り、エルドラと共にその場を離れた後、リオは緊張に浅くなった息を細く吐き出した。
「ちゃんと出来たかな……?」
「完璧でしたよ。……ありがとうございます」
深々と感謝の礼を捧げられて、リオは慌ててしまう。勿論、エルドラのためでもあったが、リオはそもそもファランディーヌ邸の全ての人に恩があるのだ。自分にできることで、少しでも、彼らの負担が軽くなるのなら。それはリオの望むところだった。
初めの挨拶を恙なく終えたからには、後は粗相なく帰宅までを乗り切れば、最低限の礼儀は果たせる。遠巻きにリオを値踏みするような視線の圧に耐え、礼儀を携えて歩み寄ってきた魔法使いにそこそこそつのない挨拶だけでも返せれば、及第点のまま今夜を終えることはできそうだった。
「折角の夜会です、お食事は楽しまれてください。飲み物も」
「うん。あの、でも、ウエストがちょっと……」
この姿でお腹を突き出す訳にもいかないリオの言い分も聞かず、さあこちらを、と。緊張のあまりに朝からろくに水分を摂ることもできずにいたリオを知っているエルドラは、食事介助に余念がない。
(お、美味しそうだけど。絶対その量は入らない……!)
屋敷では、ふわりとしたワンピースドレスを纏う程度の姿でいたため、自分のウエストサイズを意識したことはそんなになかったけれど。今夜は正式な夜会ということで、体形補正も兼ねて本格的なコルセットドレスを着付けられている。生来食も細い方であるリオは、あれもこれもと皿に積まれていく食べ物たちを見ながら、おろおろしながらエルドラを止めようとした。
リオの国は豊かではなかったが、仮にも王族の生まれだ。民の困窮に合わせて、食事内容を乏しくする機会こそ多かったものの、食いっぱぐれたことはない。リオの自覚としてはそんなにやせ細っているということもなかったのだけれど、魔法使いたちからはあまり健康には見えないようで。秘蹟の薬湯の他にも山ほど、屋敷の皆はこぞってリオに滋養のつく食事を摂らせたがった。
思い当たる節と言えば実母譲りの虚弱体質だが、パルミールに身柄を移してからは、風邪の一つも引いていないリオだ。本人としては人生の中で一番快調でも、女性用のドレスを纏って違和感のないこの体形は確かに、心配を招いても仕方ないのかもしれない。
(もっと鍛えないとダメかな)
魔法が使えない分、せめて腕力の一つや二つ、と。己の細腕を見下ろしながら物騒なことを考えるリオの元へ、周囲で遠巻きにしていた貴族の一人が近付いてくる。
「ご挨拶をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「あっ、はい!」
この夜が正式なデビュタントといえども、アスタリスの屋敷で歳を重ねたリオはすでに十八歳。社交界で一人前とみなされるには、遅すぎるほどの年齢だ。貴族たちは皆、リオを一人前の淑女と見て話しかけてくる。
まだまだ夜会は始まったばかりだ。リオは気を引き締め、背筋を伸ばして笑顔を作った。
「お初にお目にかかります、エレーナ様。ファランディーヌ・アスタリスが三女、リオネラと申します。お目もじ叶い光栄です」
笑顔でいれば大抵のことは見逃されます、と。屋敷の使用人たちに力強く励まされたリオは、引き攣らないように祈りながら、にこりと柔らかく微笑んだ。その初々しい様子に微笑み返したエレーナに、ようこそ、と。優しい言葉で迎えられ、安堵に力を抜いたリオは、最初よりはまだスムーズに見えるだろう態度で言葉を続けた。
「お招き、大変嬉しく思っています。ですが、このような華やかな場は初めてで……何か、不調法があれば申し訳ありません」
半分以上は本心から、そう口にして恥ずかしげに顔を俯ければ。その控えめな仕草に、ほほ、と。紫色に輝く神秘的な瞳を眇めたエレーナが、朗らかな笑い声を立てた。
「まあ、可愛らしいこと。あのファランディーヌが、今まで大事に隠していたのも納得だわ。どうぞ、堅苦しい作法は気にしないで。パーティーを楽しんでね」
麗しの女主人にご挨拶をと、魔法使いたちは途切れることなく列を成している。優雅でありながら、どこか可愛らしくもある仕草でひらりとリオに手を振ると、エレーナはまた別の客人へと顔を向けた。慎ましい略式の一礼で彼女を見送り、エルドラと共にその場を離れた後、リオは緊張に浅くなった息を細く吐き出した。
「ちゃんと出来たかな……?」
「完璧でしたよ。……ありがとうございます」
深々と感謝の礼を捧げられて、リオは慌ててしまう。勿論、エルドラのためでもあったが、リオはそもそもファランディーヌ邸の全ての人に恩があるのだ。自分にできることで、少しでも、彼らの負担が軽くなるのなら。それはリオの望むところだった。
初めの挨拶を恙なく終えたからには、後は粗相なく帰宅までを乗り切れば、最低限の礼儀は果たせる。遠巻きにリオを値踏みするような視線の圧に耐え、礼儀を携えて歩み寄ってきた魔法使いにそこそこそつのない挨拶だけでも返せれば、及第点のまま今夜を終えることはできそうだった。
「折角の夜会です、お食事は楽しまれてください。飲み物も」
「うん。あの、でも、ウエストがちょっと……」
この姿でお腹を突き出す訳にもいかないリオの言い分も聞かず、さあこちらを、と。緊張のあまりに朝からろくに水分を摂ることもできずにいたリオを知っているエルドラは、食事介助に余念がない。
(お、美味しそうだけど。絶対その量は入らない……!)
屋敷では、ふわりとしたワンピースドレスを纏う程度の姿でいたため、自分のウエストサイズを意識したことはそんなになかったけれど。今夜は正式な夜会ということで、体形補正も兼ねて本格的なコルセットドレスを着付けられている。生来食も細い方であるリオは、あれもこれもと皿に積まれていく食べ物たちを見ながら、おろおろしながらエルドラを止めようとした。
リオの国は豊かではなかったが、仮にも王族の生まれだ。民の困窮に合わせて、食事内容を乏しくする機会こそ多かったものの、食いっぱぐれたことはない。リオの自覚としてはそんなにやせ細っているということもなかったのだけれど、魔法使いたちからはあまり健康には見えないようで。秘蹟の薬湯の他にも山ほど、屋敷の皆はこぞってリオに滋養のつく食事を摂らせたがった。
思い当たる節と言えば実母譲りの虚弱体質だが、パルミールに身柄を移してからは、風邪の一つも引いていないリオだ。本人としては人生の中で一番快調でも、女性用のドレスを纏って違和感のないこの体形は確かに、心配を招いても仕方ないのかもしれない。
(もっと鍛えないとダメかな)
魔法が使えない分、せめて腕力の一つや二つ、と。己の細腕を見下ろしながら物騒なことを考えるリオの元へ、周囲で遠巻きにしていた貴族の一人が近付いてくる。
「ご挨拶をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「あっ、はい!」
この夜が正式なデビュタントといえども、アスタリスの屋敷で歳を重ねたリオはすでに十八歳。社交界で一人前とみなされるには、遅すぎるほどの年齢だ。貴族たちは皆、リオを一人前の淑女と見て話しかけてくる。
まだまだ夜会は始まったばかりだ。リオは気を引き締め、背筋を伸ばして笑顔を作った。
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