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第一章
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きっかけは、何だっただろう。改めて考えるのであれば、敷地内にまで踏み込んできた不審者を、リオの侍従でもあるエルドラが捕えた夜が始まりだったように思う。
騒ぎに起き出したリオは、恐る恐る顔を出した居間で、見たこともないほど真剣な表情を浮かべたファランディーヌの姿に言葉を失った。リオの姿に気付いた彼女は、すぐにいつもの、陽光のように暖かな微笑みを見せてはくれたものの。
優しく美しい、新しい母は、国境を預かる辺境伯の位を持つ軍人なのだ。人間との交流は絶えて久しい土地ではあれど、王都の背面を守護する場所に位置取られたアスタリス領の重要性は、仮にも王族の一員であったリオにはよく理解できていた。
外から見るよりもずっと、多くの責任を背負っているのだろう母の立場を。言葉や知識よりもずっとはっきりとした実感として知ったリオは、すぐに発たなくては、と。腰を浮かせたファランディーヌに、何の説明を求めることもなく彼女を見送ったのだった。
『誰にも、私の不在を悟られることのないように』
お願いね、と。微笑んで、それだけを言い残して発った母の言葉を守るのは、その時はさほど難しいことではないように思えた。
彼女の書類上の職務については、古参の使用人たちが引き継いでいる。辺境ゆえに、元々客の訪いも少ない。稀には存在しているらしい、当主との対面を希望する申し出も、当面は都合が付かぬと丁重に詫びを入れればそれでしまいだ。
だが、やはり。いつもとは事情が異なるのか――まるで、彼女の所在を確かめんとするかのごとくに。中央より派遣された貴人の訪れに、屋敷の皆が青褪めているのを見て――こと、リオの世話を誰よりも熱心に焼いてくれる、エルドラの憔悴した様を見て。僕が、と。リオは咄嗟に申し出たのだった。
『一言、ご挨拶だけで済むのなら。……僕じゃ、ダメかな』
『リオ様。……いえ、いいえ。助かります、申し訳ありません。あとのご準備は、すべて我々が』
部屋着のワンピースから、品の良いアフタヌーンドレスに。長さの足りない髪にはエクステンションを追加し、ドレスの色と合わせた装飾品を慎ましく飾って。かつての姉の所作を懸命に思い返しながら、リオは貴人の待つ客間へ、楚々と足を踏み入れた。
『お待たせいたしまして、誠に申し訳ありません。実は今、母は臥せっておりまして……』
使用人の言よりは、身内の言の方が信憑性もあるだろうと。リオネラという仮名まで名乗り、冷や汗をだらだら流しながら、リオはファランディーヌの仮病を宣言したのだった。
突然の末娘の登場に、貴人を驚かせはしてしまったものの。仮病については疑われることはなく、お大事にしてくださいと優しい言葉までかけられて、リオの胸が罪悪感に疼いた程度で丸く収まった。
何か陰謀のようなものが動いているにしても、此度の客人は無関係か、あるいはそれほど深刻なピースではなかったようだ。人好きのする笑顔のその老爺から、ファランディーヌの所在をそれ以上尋ねられることはなく。彼女にまだこのような令嬢がいらしたとは、と。話題はその一点に尽きて。何と答えたものかと口籠るリオの動揺を、箱入り娘の恥じらいと捉えた貴人は、また改めて見舞いの品を届けさせましょうと微笑んで、好意的に屋敷を去ってくれた。
何とか切り抜けられたと、腰を抜かして崩れ落ちたのも束の間。その貴人の身分が、公の称号を持つパルミール有数の権力者であったことも災いしてか。辺境の女傑の掌中の珠、秘匿された深層の令嬢――リオネラの名が、ここしばらく華やいだ話題に恵まれていなかった社交界でちょっとしたニュースになってしまったのだ。
途端に舞い込む社交の誘いを無下に断り続ければ、直接リオに、あるいはファランディーヌに接触を図ろうと動くものもあるだろうと。そんな懸念に抗うこともできず、リオはこうして、予想外に過ぎる社交界デビューを飾ることになってしまったのだった。
騒ぎに起き出したリオは、恐る恐る顔を出した居間で、見たこともないほど真剣な表情を浮かべたファランディーヌの姿に言葉を失った。リオの姿に気付いた彼女は、すぐにいつもの、陽光のように暖かな微笑みを見せてはくれたものの。
優しく美しい、新しい母は、国境を預かる辺境伯の位を持つ軍人なのだ。人間との交流は絶えて久しい土地ではあれど、王都の背面を守護する場所に位置取られたアスタリス領の重要性は、仮にも王族の一員であったリオにはよく理解できていた。
外から見るよりもずっと、多くの責任を背負っているのだろう母の立場を。言葉や知識よりもずっとはっきりとした実感として知ったリオは、すぐに発たなくては、と。腰を浮かせたファランディーヌに、何の説明を求めることもなく彼女を見送ったのだった。
『誰にも、私の不在を悟られることのないように』
お願いね、と。微笑んで、それだけを言い残して発った母の言葉を守るのは、その時はさほど難しいことではないように思えた。
彼女の書類上の職務については、古参の使用人たちが引き継いでいる。辺境ゆえに、元々客の訪いも少ない。稀には存在しているらしい、当主との対面を希望する申し出も、当面は都合が付かぬと丁重に詫びを入れればそれでしまいだ。
だが、やはり。いつもとは事情が異なるのか――まるで、彼女の所在を確かめんとするかのごとくに。中央より派遣された貴人の訪れに、屋敷の皆が青褪めているのを見て――こと、リオの世話を誰よりも熱心に焼いてくれる、エルドラの憔悴した様を見て。僕が、と。リオは咄嗟に申し出たのだった。
『一言、ご挨拶だけで済むのなら。……僕じゃ、ダメかな』
『リオ様。……いえ、いいえ。助かります、申し訳ありません。あとのご準備は、すべて我々が』
部屋着のワンピースから、品の良いアフタヌーンドレスに。長さの足りない髪にはエクステンションを追加し、ドレスの色と合わせた装飾品を慎ましく飾って。かつての姉の所作を懸命に思い返しながら、リオは貴人の待つ客間へ、楚々と足を踏み入れた。
『お待たせいたしまして、誠に申し訳ありません。実は今、母は臥せっておりまして……』
使用人の言よりは、身内の言の方が信憑性もあるだろうと。リオネラという仮名まで名乗り、冷や汗をだらだら流しながら、リオはファランディーヌの仮病を宣言したのだった。
突然の末娘の登場に、貴人を驚かせはしてしまったものの。仮病については疑われることはなく、お大事にしてくださいと優しい言葉までかけられて、リオの胸が罪悪感に疼いた程度で丸く収まった。
何か陰謀のようなものが動いているにしても、此度の客人は無関係か、あるいはそれほど深刻なピースではなかったようだ。人好きのする笑顔のその老爺から、ファランディーヌの所在をそれ以上尋ねられることはなく。彼女にまだこのような令嬢がいらしたとは、と。話題はその一点に尽きて。何と答えたものかと口籠るリオの動揺を、箱入り娘の恥じらいと捉えた貴人は、また改めて見舞いの品を届けさせましょうと微笑んで、好意的に屋敷を去ってくれた。
何とか切り抜けられたと、腰を抜かして崩れ落ちたのも束の間。その貴人の身分が、公の称号を持つパルミール有数の権力者であったことも災いしてか。辺境の女傑の掌中の珠、秘匿された深層の令嬢――リオネラの名が、ここしばらく華やいだ話題に恵まれていなかった社交界でちょっとしたニュースになってしまったのだ。
途端に舞い込む社交の誘いを無下に断り続ければ、直接リオに、あるいはファランディーヌに接触を図ろうと動くものもあるだろうと。そんな懸念に抗うこともできず、リオはこうして、予想外に過ぎる社交界デビューを飾ることになってしまったのだった。
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