【完結】夢魔の花嫁

月城砂雪

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番外編1(新婚旅行編)

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 ジュゼの承諾が最後だったらしく、誘いに頷いた翌日には、すっかり旅行の準備は整えられていた。
 ジュゼには何でもなかったが、大半の悪魔にとって、まだ魔界の空気は居心地のいいものではないという。それぞれの種族の所領内であれば、自由に行き来ができる移動の魔法陣を多用することで外気に触れない工夫をすることが今は一般的であるらしいが、ジュゼのために用意されたのは、いつかのような馬車だった。

「みんな、外に出て大丈夫なの?」
「大人は、少しなら大丈夫ですよ」

 結婚式の時もそうだったでしょう? と。優しくそう囁かれて、確かにあの時も大所帯だったなと思ったジュゼは、そのまま新婚の夜のことまで思い出して身体をしっとりと潤ませる。旅行という言葉に浮かれてはいるものの、そろそろ子を産む時期だと理解している身体は、僅かのきっかけで疼いてはジュゼの心を掻き乱した。
 それでも行きの旅路は、シエラをはじめとする馴染みの使用人たちも引き連れて、まるでただの気ままなピクニックのようで平和だった。まだ触れようとまでは思えないが、馬車の引手である馬や狼のような姿の魔物たちは、よく飼い慣らされていて大人しく可愛らしい。二人を送り届けたら、そのまま休暇が頂けるのだと話す悪魔たちの楽しげな話を道中耳にするだけでも、どこか心が弾んだ。
 存分に寄り道をして、目的の場所に着く頃には魔界の日も落ちていたが、この世界の夜は人の世界のそれよりも美しい。異なる満ち欠けをする月が並び、色とりどりの宝石を散らしたような星の輝く空に見入っていると、危ないですよ、と。笑ったレーヴェに手を引かれた。

「わ……っ?」

 ぴしゃん、と。突然の水音に驚いてレーヴェの腕に縋れば、くすくすと笑う声が頭上に降り注ぐ。夜目の効かないジュゼにはよく見えないが、館を取り囲む水場には、何か魚のようなものが棲んでいるようだ。

「中に入るまで、少し気を付けてくださいね」

 濡れてしまうかもしれませんから、と。庇い込むように体の前に抱き寄せられて、近付いた距離にドキドキする。
 馬車の中は明るくしてくれていたからか、まだ夜の暗さに目が慣れないが、空の月と水面の月、四つの光源に照らされた足場は見えないほどではない。うっかり落ちたりしては迷惑をかけてしまうと、ジュゼは慎重に足を進めた。
 木で作られているらしい桟橋は、思ったよりも距離が長い。近付くほどに大きくなる邸宅を見上げて、ジュゼはパチリとよく見えない目を瞬いた。

「大きい……」

 水に囲まれた邸宅は、あくまで別邸だ。もちろん、本邸ほどの広さはない。それでもここで二人きりで過ごすことを考えれば、その大きさは十分過ぎるようにジュゼの目には映った。
 一階分の高さがそもそも人の世の基準とは違うため、見積もれば三階建てくらいの建物なのかもしれないが。それでもジュゼの暮らした教会の三倍は高さがあるし、奥行きに至っては何と比べればいいのかも解らない。少なくとも、小さめの別邸と聞いて想像できる規模は優に超えているその屋敷の扉を潜りながら辺りを見回すジュゼの頭を優しく撫でて、レーヴェが笑った。

「家具を運び込んでしまうので、中にいてくださいね」

 バルコニーには出てもいいですよ、と。そう言い残して、使用人に指示を出しに行ってしまう背を見送ってしまえば、ジュゼは手持無沙汰になってしまう。手伝いをしたい気持ちはあるが、身長を見ても腕力を見ても、とても僅かにでも戦力になれるとは思えなかった。
 思いがけず広い屋敷だ。どこに何があるのか見て回りたい気持ちもあるが、運び込まれる荷物もそれなりに多そうだ。皆の邪魔にならないようにと、しばらくは壁際に寄ってそわそわとしていたジュゼは、ふと思い至って二階へと上がった。
 予想の通りに一階一階に高さのある別邸では、階段を上るだけでもそれなりの苦労だったが、一段一段の高さとしてはジュゼ一人でも上れる程度だった。二階でも作業に忙しい皆にぶつからないように気を付けつつ、見つけた大きな窓から張り出したバルコニーにそっと出れば、すっかり涼しい風が顔に向けて吹きつける。
 久し振りの外出だからと、念入りに重ねられた衣服は暑いくらいだと思っていたが、今はこれで丁度いい。風からは清潔な水の香りがして、ジュゼは水面が覗けるかと縁に足を向けた。

「ん……と」

 悪魔が皆大きいのかは解らないが、少なくともレーヴェの一族は、人間よりもいくらか長身であるように思える。この別邸も、レーヴェの一族のものだけあって、どこもかしこもサイズ感が大きかった。
 本邸の部屋の調度については、ジュゼに合わせてくれているのだろう。これまで殊に使いづらさを感じることはなかったが、邸宅の造りそのものの大きさとなれば話は別だ。木製の囲いは、ジュゼの頭の上まで来ていて、とても上からは覗けそうにない。
 何か踏み台になりそうなものは、と。寝椅子や鉢植えがまばらに見て取れる周囲を探ろうとしたジュゼの耳に、ぱしゃん、と。また先ほどのような、水を弾くような音が聞こえて。気が急いたジュゼは、よいしょと飛び跳ねて囲いの上に手を突いた。
 水の香りを強く含んだ風が前髪を吹き上げて、ちらりと水面を視界に映せたジュゼが目を輝かせ、このままもう少し……と。細い腕にぷるぷると力を込めていると、突然ふわりと体が浮いて、キラキラの夜空をそのまま映したような水面がはっきりと目に入った。
 夜空とは異なり、風に微かに波立つ水面には、大きな魚の影がある。わあ、と。期待したものを見られた喜びに声を上げれば、ふふ、と。甘い声が鼓膜を揺らした。

「危ないことをしていますね」
「レーヴェ」

 ごめんなさい、と。詫びる言葉が咄嗟に零れたものの、抱き上げてくれた腕は優しく、怒っているわけではないらしい。足が付かない状態でも、まだ顔が頭の上にある身長差を改めて感じつつ、視界の端に銀色の雫が光って目を惹かれた。

「魚が気になりますか?」
「うん」

 何しろ魔界の魚だけあって、ジュゼの身長くらいは優にありそうなのだ。魚と言えば川に泳ぐ食用の小魚くらいしか見たことのないジュゼは、本で読んだような大きな魚が見てみたかった。
 それにしても、お城くらい大きいと言われる魚となれば少し怖いけれど、と。想像するジュゼを優しく抱き上げたまま、レーヴェはくすくすと笑い声を立てた。

「明るくなれば、よく見えますよ。……今日は早めに休みましょう」

 初めての遠出で、疲れたでしょう? と。囁きが耳に触れる度に、ドキドキした気持ちが止まらなくなってしまうジュゼは、己の体の反応に困惑して身を竦める。
 言われてみれば、疲れているような気もするのに。たくさんの目新しいものを見て高揚した心が、違う方にも体を昂らせてしまっている。さっき涼しいと思ったばかりの肌にはもうじわりと汗が滲んで、思わず内股を擦り合わせれば。ジュゼの異変に気付いたらしいレーヴェが一つ瞬いて、体に回された腕にギュッと力が込められた。
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