上 下
19 / 42

英雄の帰還

しおりを挟む
山の斜面を降りる途中、レイは背中でエステルの体が震えるのを感じた。彼女の意識が戻ってきたのだろう。レイは足を止め、首を僅かに傾けた。
「目が覚めたか?」
返事の代わりに、エステルの腕がレイの首にきつく巻き付いた。その指先が震えているのを感じ、レイは思わず眉をひそめる。

「ああ、そうか」レイは苦笑した。「記憶が戻ったんだな」
エステルの吐息が、レイの首筋をくすぐる。彼女の声は、まるで言葉を絞り出すかのように細く震えていた。
「私は……まだ消えていないのですね」
「消える予定なのか?」言ってレイは再び歩き始める。

彼女は答えなかったが、暫く歩くと再び口を開いた。
「私の過去を、話していいですか?」
レイは一瞬躊躇したが、ため息をついて言った。「わかったよ」
レイはエステルを背中から降ろし、二人で近くの倒木に腰掛けた。すると彼女は一つ、一つ、丁寧に語り始めた。まるで本の物語を読むように。
そんなエステルの話を聞きながら、レイはときおり彼女の表情を盗み見る。
そこには喜びと悲しみ、怒りと後悔が、まるで嵐のように駆け巡っていた。

エステルの話が終わると、レイは空を見上げた。既に夕暮れ。オレンジ色に染まった空の下、二人の影が長く伸びている。
「思い出してよかったか?」レイは、やや気まずそうに尋ねる。
エステルは少し考え込んだ後、微かに頷いた。「もちろんです。辛い記憶もありますが……自分が誰なのか、わかっただけでも」

レイは黙って頷き、立ち上がった。「じゃあ行くぞ。村の連中が待ってるからな」
二人は再び歩き出した。レイは、エステルの足取りがやや不安定なのを感じ取り、無意識のうちに彼女の近くを歩いていた。

山を下り暫く歩いた時。突如、エステルの体が強張るのをレイは感じた。その視線の先を追うと、そこには廃墟と化した村が広がっていた。
「ここは……」エステルの声が震える。
来る時も気づいてはいたが、エステルもレイも特に気にはしなかった。しかし、今はきっと彼女の眼に古い映像が重なって見えているのだろうとレイは思った。

レイは黙って彼女の横に立つ。エステルの目に映る光景は、レイには想像もつかないものだ。ただ今は彼女の傍にいるべきだと、そう思った。
エステルの膝が崩れそうになった瞬間、レイは咄嗟に彼女を支え、背中に手を添えた。

「レイ……私は……」エステルの瞳に涙が滲んだ。
思わず戸惑ったが、レイは無愛想な顔で言う。「泣くなよ。お前が泣くと、俺の服が濡れるからな」
その言葉に、エステルは思わず噴き出した。笑いと涙が入り混じる様子を、レイは複雑な表情で見つめていた。

「なあ」レイが口を開く。「お前、本当に剣なのか?」
エステルは首を傾げた。「どういう意味ですか?」
「いや、だってお前……人から剣になって、また人になって、記憶を取り戻して。何がなんだか、わかんねえじゃん」

エステルは少し考えて、答えた。「私も...よくわかりません」
「まあいいか」とレイは肩をすくめる。「どうせ俺だって、普通じゃないんだしな」
二人は顔を見合わせ、思わず笑みがこぼれでた。

その後、二人は村へ戻ってきた。夕暮れ時の村は、不安と期待が入り混じった空気に包まれていた。レイとエステルが村長の家に足を踏み入れた瞬間、重苦しい沈黙が部屋を支配する。
「まずは無事でなにより。それで……」村長の声が震える。

「倒しましたよ」レイの言葉に、村長は頭を下げた。「本当に、本当に何とお礼を……」
そして彼は震える手でレイとエステルの手を取った。
「きっと、ヴァルハイム家の方々があなた達を村に導いてくださったに違いない!」
レイは思わず目を逸らした。エステルの正体を明かすべきか、一瞬迷ったが。エステルの冷たい手はレイの腕を軽く掴んだ。

「ドラゴンの脅威は去った!さあ、宴の準備だ!」村長の声が村に響きわたる。
その夜の村は、歓声と笑い声で溢れかえった。提灯の明かりが揺れる中、レイとエステルは村人たちに囲まれる。

「英雄だ!」
「守護霊様のお使いだ!」

感謝の言葉が飛び交う。レイは照れくさそうに頭を掻いた。「そんな、大したことじゃ……」
ふと横を見ると、エステルが困惑したような表情を浮かべていた。彼女の目は、まるで遠くを見ているかのようだった。

「大丈夫か?」レイの言葉に、エステルは我に返ったように小さく頷く。「ええ……」
言葉を探すエステルの姿に、レイは胸が締め付けられる思いがした。彼女の中では、きっと過去と現在が交錯しているのだろうと思った。

宴は夜遅くまで続いた。村人たちの笑顔、酒の匂い、焚き火の温もり。それらが全て、レイとエステルにとっては少し遠い世界のように感じられた。
ベッドに横たわりながら、レイは天井を見つめていた。隣の部屋ではエステルが寝ているだろう。彼女に尋ねるようにレイは呟いた。
「俺たちは、これからどこへ行くんだ……」
その問いに、答えはない。ただ、夜風が窓を揺らす音だけが、静かに響いていた。

夜明け前、村を覆う靄がゆっくりと晴れていく。レイは窓から漏れる僅かな光を頼りに、荷物をまとめていた。
隣でエステルも無言で支度をしている。二人の息遣いだけが、静寂を破っていた。
「まるで泥棒みたいだな」
レイの囁きに、エステルの手が一瞬止まる。彼女の瞳に、戸惑いの色が浮かぶ。

「私たちは逃げているのですか?」
その問いに、レイは荷物を置き、真っ直ぐエステルを見つめた。
「違うさ。これはカッコイイ去り方ってやつだ。ここにいたらいつまでも英雄扱いされるからな。ムズ痒いんだよ……」
エステルは小さく頷いた。その仕草に、レイは安堵の息を漏らす。そして二人は、誰にも気づかれないよう、そっと家を後にした。

朝もやの立ち込める村を、二人は静かに歩く。昨夜の宴の名残なのか、ところどころに提灯が揺れていた。その光が、エステルの銀髪を儚く照らしていた。
村の門が見えてきた時、レイの耳に微かな足音が聞こえた。振り返る間もなく、細い声が響く。

「お兄ちゃん、お姉ちゃん!」
息を切らした少女が、走ってきて二人の前で立ち止まった。星のように輝く瞳で、少女は二人を見上げると言った。
「ありがとう、お兄ちゃん、お姉ちゃん。二人が村を助けてくれたんだよね!」

あどけない少女の言葉にエステルの表情が、一瞬凍りついていた。記憶は戻れど、感情の扱い方はまだ完全には思い出せていないのだ。
ただ彼女は、ぎこちない動作で少女の頭を撫でた。
「いえ。私達は大した事は……」
言葉が喉に詰まる。その時、少女の後ろから声がした。
「マリア!こんな朝早くに、どこへ行くの?」

その女性の声に、エステルの体が強張った。
レイは、彼女の変化を見逃さなかった。驚きと、懐かしさと、そして悲しみ。そんな複雑な感情がエステルの顔に現れていた。
近づいてきた女性は、二人を見て微笑んだ。
その笑顔を見て、何故かエステルは目が潤ませる。

「あなた達が、村を救ってくれた方ですね。本当にありがとうございます」
丁寧に頭を下げる女性。レイが何かを言おうとする前に、エステルが絞り出すような声で女性に尋ねた。
「あの。お名前を……聞いていいですか?」
女性は慌てて、「失礼しました。私はレノマ。レノマ・ハートウィル。この子は娘のマリア・ハートウィルです」と答えた。

その名前を聞いた瞬間、レイの脳裏に閃光が走った。
ハートウィル……、それはエステルが語った記憶の中にあった、かつての養母の名字だった。
レイは、思わずエステルを見つめる。すると彼女の目からは、大粒の涙が零れ落ちていた。

突然涙を流すエステルをみて、レノマが困惑した表情を浮かべる。
「どうかしました?」彼女が優しく尋ねた。
その声に、エステルの体が小刻みに震える。
レイは、咄嗟に彼女の肩に手を置いた。エステルの感情の変化を肌で感じていた。

「す、すいません」エステルは慌てて涙を拭った。彼女に何が見えているのか、レイには何となくわかった。きっと過去の記憶とダブって見えているのだ。
「お姉ちゃん、どうしたの?」とマリアに呼びかけられると、エステルは「大丈夫よ」と不器用な笑みを浮かべた。

そんな二人のやり取りを見ていたレノマが、突然エステルを見て言う。「あなた、ひょっとして、ヴァルハイム家の血筋……」と言いかけたが。
「いや。そんなはずないですね。なぜかしら、あなたを見ていると、不思議と他人に思えないわ。またここに帰ってきてください」と優しく微笑んだ。

レイは、二人の間に流れる不思議な空気に戸惑いを覚えた。血のつながりはないはずだが、まるで長年の離別を経て再会した親子のような雰囲気がそこにあった。
それは、時を超えた魂の繋がりなのか。
エステルの横顔を見つめながら、レイは少し複雑な思いに駆られていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大器晩成エンチャンター~Sランク冒険者パーティから追放されてしまったが、追放後の成長度合いが凄くて世界最強になる

遠野紫
ファンタジー
「な、なんでだよ……今まで一緒に頑張って来たろ……?」 「頑張って来たのは俺たちだよ……お前はお荷物だ。サザン、お前にはパーティから抜けてもらう」 S級冒険者パーティのエンチャンターであるサザンは或る時、パーティリーダーから追放を言い渡されてしまう。 村の仲良し四人で結成したパーティだったが、サザンだけはなぜか実力が伸びなかったのだ。他のメンバーに追いつくために日々努力を重ねたサザンだったが結局報われることは無く追放されてしまった。 しかしサザンはレアスキル『大器晩成』を持っていたため、ある時突然その強さが解放されたのだった。 とてつもない成長率を手にしたサザンの最強エンチャンターへの道が今始まる。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

世界の涙を拭う旅 〜霊が見える少年は伝説の英霊に弟子入りして英雄の道を歩む〜

五月雨きょうすけ
ファンタジー
騎士家の次男として生まれたリスタは生まれつき霊感が強く、あちこちで霊を見てしまうため、外に出ることを怖がり自室に引きこもりがちだった。 モンスターの脅威から人々を救う父や兄に憧れながらも自分を変えることができない。 そんなリスタが十歳になった頃、彼の運命は急転する。 屋敷が火事で全焼したのだ。 リスタは無事だったが最愛の母親を亡くしてしまい、心に深い傷を負った。 さらに病床の母親を救わなかった事を父と兄に責められて家を追い出されてしまう。 途方に暮れるリスタに声をかけたのは、かつて『姫騎士』の異名を持つ優秀な冒険者だったセシリア・ローゼン。 但し、彼女はすでに死んでいる幽霊だった。 臆病で覇気のないリスタを一人でも生きていけるよう育て鍛えようとするセシリア。 そんな彼女の予想すらもはるかに上回り、わずか半年ほどで一流の冒険者が手こずる強力なモンスターすら倒せるようになるリスタ。 「この子の才能は私の手に余りすぎる……」 そう判断したセシリアは、リスタを大昔の英雄が祀られているほこらへと導いた。 英霊たちにリスタの師匠となってもらうために。 各地で引き起こされるモンスターの災害や怪事件。 その背後にはこの世と生者を憎む怨霊たちの影。 リスタは各地で霊と交流し、力と心を以て事件を解決していく。 「僕の力は呪いなんかじゃない! それを証明するために、僕は目に写るすべての人を……死者だって救ってみせる!」 ※カクヨム、小説家になろうでも公開しています

チートスキル【レベル投げ】でレアアイテム大量獲得&スローライフ!?

桜井正宗
ファンタジー
「アウルム・キルクルスお前は勇者ではない、追放だ!!」  その後、第二勇者・セクンドスが召喚され、彼が魔王を倒した。俺はその日に聖女フルクと出会い、レベル0ながらも【レベル投げ】を習得した。レベル0だから投げても魔力(MP)が減らないし、無限なのだ。  影響するステータスは『運』。  聖女フルクさえいれば運が向上され、俺は幸運に恵まれ、スキルの威力も倍増した。  第二勇者が魔王を倒すとエンディングと共に『EXダンジョン』が出現する。その隙を狙い、フルクと共にダンジョンの所有権をゲット、独占する。ダンジョンのレアアイテムを入手しまくり売却、やがて莫大な富を手に入れ、最強にもなる。  すると、第二勇者がEXダンジョンを返せとやって来る。しかし、先に侵入した者が所有権を持つため譲渡は不可能。第二勇者を拒絶する。  より強くなった俺は元ギルドメンバーや世界の国中から戻ってこいとせがまれるが、もう遅い!!  真の仲間と共にダンジョン攻略スローライフを送る。 【簡単な流れ】 勇者がボコボコにされます→元勇者として活動→聖女と出会います→レベル投げを習得→EXダンジョンゲット→レア装備ゲットしまくり→元パーティざまぁ 【原題】 『お前は勇者ではないとギルドを追放され、第二勇者が魔王を倒しエンディングの最中レベル0の俺は出現したEXダンジョンを独占~【レベル投げ】でレアアイテム大量獲得~戻って来いと言われても、もう遅いんだが』

スキル間違いの『双剣士』~一族の恥だと追放されたが、追放先でスキルが覚醒。気が付いたら最強双剣士に~

きょろ
ファンタジー
この世界では5歳になる全ての者に『スキル』が与えられる――。 洗礼の儀によってスキル『片手剣』を手にしたグリム・レオハートは、王国で最も有名な名家の長男。 レオハート家は代々、女神様より剣の才能を与えられる事が多い剣聖一族であり、グリムの父は王国最強と謳われる程の剣聖であった。 しかし、そんなレオハート家の長男にも関わらずグリムは全く剣の才能が伸びなかった。 スキルを手にしてから早5年――。 「貴様は一族の恥だ。最早息子でも何でもない」 突如そう父に告げられたグリムは、家族からも王国からも追放され、人が寄り付かない辺境の森へと飛ばされてしまった。 森のモンスターに襲われ絶対絶命の危機に陥ったグリム。ふと辺りを見ると、そこには過去に辺境の森に飛ばされたであろう者達の骨が沢山散らばっていた。 それを見つけたグリムは全てを諦め、最後に潔く己の墓を建てたのだった。 「どうせならこの森で1番派手にしようか――」 そこから更に8年――。 18歳になったグリムは何故か辺境の森で最強の『双剣士』となっていた。 「やべ、また力込め過ぎた……。双剣じゃやっぱ強すぎるな。こりゃ1本は飾りで十分だ」 最強となったグリムの所へ、ある日1体の珍しいモンスターが現れた。 そして、このモンスターとの出会いがグレイの運命を大きく動かす事となる――。

転生賢者の異世界無双〜勇者じゃないと追放されましたが、世界最強の賢者でした〜

平山和人
ファンタジー
平凡な高校生の新城直人は異世界へと召喚される。勇者としてこの国を救ってほしいと頼まれるが、直人の職業は賢者であったため、一方的に追放されてしまう。 だが、王は知らなかった。賢者は勇者をも超える世界最強の職業であることを、自分の力に気づいた直人はその力を使って自由気ままに生きるのであった。 一方、王は直人が最強だと知って、戻ってくるように土下座して懇願するが、全ては手遅れであった。

最弱テイマーの成り上がり~役立たずテイマーは実は神獣を従える【神獣使い】でした。今更戻ってこいと言われてももう遅い~

平山和人
ファンタジー
Sランクパーティーに所属するテイマーのカイトは使えない役立たずだからと追放される。 さらにパーティーの汚点として高難易度ダンジョンに転移され、魔物にカイトを始末させようとする。 魔物に襲われ絶体絶命のピンチをむかえたカイトは、秘められた【神獣使い】の力を覚醒させる。 神に匹敵する力を持つ神獣と契約することでスキルをゲット。さらにフェンリルと契約し、最強となる。 その一方で、パーティーメンバーたちは、カイトを追放したことで没落の道を歩むことになるのであった。

弓使いの成り上がり~「弓なんて役に立たない」と追放された弓使いは実は最強の狙撃手でした~

平山和人
ファンタジー
弓使いのカイトはSランクパーティー【黄金の獅子王】から、弓使いなんて役立たずと追放される。 しかし、彼らは気づいてなかった。カイトの狙撃がパーティーの危機をいくつも救った来たことに、カイトの狙撃が世界最強レベルだということに。 パーティーを追放されたカイトは自らも自覚していない狙撃で魔物を倒し、美少女から惚れられ、やがて最強の狙撃手として世界中に名を轟かせていくことになる。 一方、カイトを失った【黄金の獅子王】は没落の道を歩むことになるのであった。

処理中です...