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第9話
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雨粒が車窓を叩く音が、私の心の重さを映し出しているかのようだった。タクシーの後部座席で、弟の健太と並んで座りながら、私は深い溜め息をついた。
「姉ちゃん、大丈夫?」
健太の声に、私は我に返った。彼に余計な心配など、かけたくない。
「ええ...少し考え事をしていただけよ」
言葉とは裏腹に、胸の中では嵐が吹き荒れていた。運命の糸を操る能力を持ちながら、なぜ防げなかったのか。その自問自答が、私の心を締め付ける。
葬儀場に到着すると、そこには悲しみに包まれた人々の姿があった。私は田中くんを探した。彼は祭壇の前で、虚ろな目をして立っており、声をかけようとしたが言葉が喉につまる。
その時、一人の中年女性が近づいてきた。
「わざわざ、ありがとうございます。あの、どのような?」
「僕は、田中と同じ学校で...」健太が答える。私は健太の姉とだけ伝えた。
「そうですか。悠太も母親がこうなって辛そうで。でも、友人が来てくれるだけで救われると思う」
女性は田中さんの妹らしい。自己紹介した後、彼女はため息をつきながら故人について話し始めた。
「姉は本当に強い人でした。旦那を自殺で亡くしてからも、一人で悠太を育てて...」
私は息を呑んだ。「そんな事が...」
「そう。しかも旦那が残した借金があったらしくて。でも誰にも相談せずに、いつも明るく振舞ってたようね」
女性の言葉一つ一つが、私の心に突き刺さる。私が見た彼女の運命の糸の脆さ。あれは、こんな重い現実を表していたのだ。
「悠太くん...それ知ってたんですか?」
私は恐る恐る尋ねた。
「さあ...でも、あの子なりに気づいていたんじゃないかしら」
私は田中くんを見つめた。彼の表情には、深い悲しみの中に自責の念が渦巻いているように見えた。
葬儀が終わり、参列者たちが三々五々帰り始める中、私たちは悠太くんの姿を探した。彼は庭の片隅で、一人寂しげに立っていた。
「行こう」健太が小さく呟いた。私は頷き、後に続く。
「おい、田中...」
健太の声に、彼はゆっくりと顔を上げた。その目には、言葉では表せないほどの悲しみが宿っている。
「健太...来てくれたんだ。お姉さんまで」
その声は、か細く震えていた。
「当たり前だろ。友達なんだから」
健太の言葉に、悠太くんの目に涙が溢れる。
「俺が...俺が家を出なければ母ちゃんは...」
悠太くんの言葉に、私は胸が締め付けられる思いがした。やはり彼は自分を責めていたのだ。
「悠太くん。あなたは何も...」
言葉を続けようとすると、彼が静かに首を横に振った。
「実は...俺、知ってたんです。母ちゃんに借金がある事」
その言葉に、私と健太は息を呑む。
「知ってて...だから、少しでも母さんの負担を減らしたかった!」
声が震えていた。彼は必死に言葉を紡ぎ出そうとしているのだ。
「だから音楽事務所にスカウトされた時、チャンスだと思った。学校を辞めて、家を出れば、俺の分の生活費も学費も浮くって...」
私の中で何かが崩れ落ちる音がする。
「だから...だから成功して、母ちゃんを助けたかったのに...」
その言葉が、私の心に重くのしかかった。
「田中...」
健太が彼の肩に手を置く。いつの間にか弟も、人の心がわかる人間に成長していた。それが少し誇らしい。
「お前は、すごく頑張ったんだ。母親のこと考えて行動してたんだから」
健太の言葉に、悠太くんの涙が止まらなくなった。私も、目頭が熱くなる。
最初から私は運命の糸の解釈を間違っていたのだ。私が直接見たのは、彼女に不安定に絡む、悠太くんの糸と、彼女本人が自殺するという運命だけ。
それで私は悠太くんが原因で彼女が自殺すると解釈してしまった。悠太くんを救う事が解決策だと思い込んでいた。
しかし現実は違う。救うべきは彼女自身だったのだ。むしろ私の行動は、結果的に彼女を追い詰めたのではないか?
その瞬間、今までの出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。その重みが、私の心を押しつぶしそうだった。
「悠太くん...」私は震える声で彼に話しかけた。
「あなたは、本当に良い子よ。お母さんもきっと、あなたの気持ちを分かっていたと思う」
彼は俯いたまま、小さく頷く。
「ひょっとして、田中...」健太が突然言う。
「お前、学校来なかったのって。母親の事があったからか?」
その言葉に私はドキッとした。当初、彼女は息子がイジメにあってるのじゃないか?と心配していた。
「まあな。俺が高校やめれば、母ちゃんの負担も減るのかなって色々考えてたんだよ」
その言葉に心臓が締め付けられる。この親子は、すれ違っていただけ。私は完全に運命を見誤っていた。もっと親子で話し合う必要があったのだ。
田中くんが顔を上げた。
「俺がもっと早く、母さんに正直に話せていれば...」
彼は後悔と罪悪感に苛まれていた。しかし、それは同時に私も責められている。私が彼女の脆そうな運命の糸の本当の原因を見つけられていたら...。
「ねえ、」私は決意を込めて言った。
「悠太くん、これからどうするの?」
「今はバンドに集中するしかないですね。母ちゃんが抱えてた借金がどうなるかもわからないですし」
彼の運命の糸は今も尚強く輝いている。彼は私が思っている以上に強いのだ。何故それに早く気づけなかったのだろう。
「そう。何かあったら、いつでも健太に言って。私も出来るだけ協力するから」
「そうだな...」健太が言う。「俺たち、田中の力になれることがあるはずだ」
田中くんは驚いたように私達を見た。
「本当に、ありがとう」
その瞬間、私は彼らの運命の糸が新たに絡み合うのを見た。それは悲しみの中にある、小さな希望の光のようだった。
同時に、私の心の奥底では罪悪感が渦巻く。この状況を作り出したのは、私の誤った判断だったのだ。この力で人を救えるなんて、何を思い上がっていたのか。
「姉ちゃん、どうした?」健太が心配そうに尋ねる。
「なんでもないわ」
私は平静を装ってみせたが、内心では激しく動揺していた。この後、私はどうすればいいのだろう。この能力は考えている以上に不完全なのだ。
「健太、お姉さんも。ありがとうございます」田中くんが静かに言った。「本当に...ありがとう」
その言葉に、私たち三人の間に温かいものが流れた。
空は依然として灰色に覆われていたが、雨は止んでいた。庭の木々が風に揺れ、湿った空気が私たちの肌を包む。
私は深呼吸をした。この能力の重さを、今ほど感じたことはない。人の運命を見ることができるということは、同時に大きな責任を負うということ。
そして、その責任を全うできなかった自分への後悔が、胸の奥で渦巻いていた。
しかし、目の前にいる二人の少年たちの姿を見ていると、不思議と希望が湧いてくる。彼らは、この悲しみを乗り越えていく力を持っている。
そして、私にできることは、その力を信じ、彼らを支えていくことなのかもしれない。
「悠太くん」私は静かに言った。
「これからは、何かあったらすぐに相談してね。私たちは、あなたの味方だから」
彼は少し戸惑ったように私を見つめ、そして小さく頷いた。悠太くんの目に再び涙が浮かぶ。
「さあ、そろそろ帰ろうか」私は健太に声をかけた。
頭を下げる悠太くんを背に、私たちの足音だけが湿った地面に響いた。
「姉ちゃん、大丈夫?」
健太の声に、私は我に返った。彼に余計な心配など、かけたくない。
「ええ...少し考え事をしていただけよ」
言葉とは裏腹に、胸の中では嵐が吹き荒れていた。運命の糸を操る能力を持ちながら、なぜ防げなかったのか。その自問自答が、私の心を締め付ける。
葬儀場に到着すると、そこには悲しみに包まれた人々の姿があった。私は田中くんを探した。彼は祭壇の前で、虚ろな目をして立っており、声をかけようとしたが言葉が喉につまる。
その時、一人の中年女性が近づいてきた。
「わざわざ、ありがとうございます。あの、どのような?」
「僕は、田中と同じ学校で...」健太が答える。私は健太の姉とだけ伝えた。
「そうですか。悠太も母親がこうなって辛そうで。でも、友人が来てくれるだけで救われると思う」
女性は田中さんの妹らしい。自己紹介した後、彼女はため息をつきながら故人について話し始めた。
「姉は本当に強い人でした。旦那を自殺で亡くしてからも、一人で悠太を育てて...」
私は息を呑んだ。「そんな事が...」
「そう。しかも旦那が残した借金があったらしくて。でも誰にも相談せずに、いつも明るく振舞ってたようね」
女性の言葉一つ一つが、私の心に突き刺さる。私が見た彼女の運命の糸の脆さ。あれは、こんな重い現実を表していたのだ。
「悠太くん...それ知ってたんですか?」
私は恐る恐る尋ねた。
「さあ...でも、あの子なりに気づいていたんじゃないかしら」
私は田中くんを見つめた。彼の表情には、深い悲しみの中に自責の念が渦巻いているように見えた。
葬儀が終わり、参列者たちが三々五々帰り始める中、私たちは悠太くんの姿を探した。彼は庭の片隅で、一人寂しげに立っていた。
「行こう」健太が小さく呟いた。私は頷き、後に続く。
「おい、田中...」
健太の声に、彼はゆっくりと顔を上げた。その目には、言葉では表せないほどの悲しみが宿っている。
「健太...来てくれたんだ。お姉さんまで」
その声は、か細く震えていた。
「当たり前だろ。友達なんだから」
健太の言葉に、悠太くんの目に涙が溢れる。
「俺が...俺が家を出なければ母ちゃんは...」
悠太くんの言葉に、私は胸が締め付けられる思いがした。やはり彼は自分を責めていたのだ。
「悠太くん。あなたは何も...」
言葉を続けようとすると、彼が静かに首を横に振った。
「実は...俺、知ってたんです。母ちゃんに借金がある事」
その言葉に、私と健太は息を呑む。
「知ってて...だから、少しでも母さんの負担を減らしたかった!」
声が震えていた。彼は必死に言葉を紡ぎ出そうとしているのだ。
「だから音楽事務所にスカウトされた時、チャンスだと思った。学校を辞めて、家を出れば、俺の分の生活費も学費も浮くって...」
私の中で何かが崩れ落ちる音がする。
「だから...だから成功して、母ちゃんを助けたかったのに...」
その言葉が、私の心に重くのしかかった。
「田中...」
健太が彼の肩に手を置く。いつの間にか弟も、人の心がわかる人間に成長していた。それが少し誇らしい。
「お前は、すごく頑張ったんだ。母親のこと考えて行動してたんだから」
健太の言葉に、悠太くんの涙が止まらなくなった。私も、目頭が熱くなる。
最初から私は運命の糸の解釈を間違っていたのだ。私が直接見たのは、彼女に不安定に絡む、悠太くんの糸と、彼女本人が自殺するという運命だけ。
それで私は悠太くんが原因で彼女が自殺すると解釈してしまった。悠太くんを救う事が解決策だと思い込んでいた。
しかし現実は違う。救うべきは彼女自身だったのだ。むしろ私の行動は、結果的に彼女を追い詰めたのではないか?
その瞬間、今までの出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。その重みが、私の心を押しつぶしそうだった。
「悠太くん...」私は震える声で彼に話しかけた。
「あなたは、本当に良い子よ。お母さんもきっと、あなたの気持ちを分かっていたと思う」
彼は俯いたまま、小さく頷く。
「ひょっとして、田中...」健太が突然言う。
「お前、学校来なかったのって。母親の事があったからか?」
その言葉に私はドキッとした。当初、彼女は息子がイジメにあってるのじゃないか?と心配していた。
「まあな。俺が高校やめれば、母ちゃんの負担も減るのかなって色々考えてたんだよ」
その言葉に心臓が締め付けられる。この親子は、すれ違っていただけ。私は完全に運命を見誤っていた。もっと親子で話し合う必要があったのだ。
田中くんが顔を上げた。
「俺がもっと早く、母さんに正直に話せていれば...」
彼は後悔と罪悪感に苛まれていた。しかし、それは同時に私も責められている。私が彼女の脆そうな運命の糸の本当の原因を見つけられていたら...。
「ねえ、」私は決意を込めて言った。
「悠太くん、これからどうするの?」
「今はバンドに集中するしかないですね。母ちゃんが抱えてた借金がどうなるかもわからないですし」
彼の運命の糸は今も尚強く輝いている。彼は私が思っている以上に強いのだ。何故それに早く気づけなかったのだろう。
「そう。何かあったら、いつでも健太に言って。私も出来るだけ協力するから」
「そうだな...」健太が言う。「俺たち、田中の力になれることがあるはずだ」
田中くんは驚いたように私達を見た。
「本当に、ありがとう」
その瞬間、私は彼らの運命の糸が新たに絡み合うのを見た。それは悲しみの中にある、小さな希望の光のようだった。
同時に、私の心の奥底では罪悪感が渦巻く。この状況を作り出したのは、私の誤った判断だったのだ。この力で人を救えるなんて、何を思い上がっていたのか。
「姉ちゃん、どうした?」健太が心配そうに尋ねる。
「なんでもないわ」
私は平静を装ってみせたが、内心では激しく動揺していた。この後、私はどうすればいいのだろう。この能力は考えている以上に不完全なのだ。
「健太、お姉さんも。ありがとうございます」田中くんが静かに言った。「本当に...ありがとう」
その言葉に、私たち三人の間に温かいものが流れた。
空は依然として灰色に覆われていたが、雨は止んでいた。庭の木々が風に揺れ、湿った空気が私たちの肌を包む。
私は深呼吸をした。この能力の重さを、今ほど感じたことはない。人の運命を見ることができるということは、同時に大きな責任を負うということ。
そして、その責任を全うできなかった自分への後悔が、胸の奥で渦巻いていた。
しかし、目の前にいる二人の少年たちの姿を見ていると、不思議と希望が湧いてくる。彼らは、この悲しみを乗り越えていく力を持っている。
そして、私にできることは、その力を信じ、彼らを支えていくことなのかもしれない。
「悠太くん」私は静かに言った。
「これからは、何かあったらすぐに相談してね。私たちは、あなたの味方だから」
彼は少し戸惑ったように私を見つめ、そして小さく頷いた。悠太くんの目に再び涙が浮かぶ。
「さあ、そろそろ帰ろうか」私は健太に声をかけた。
頭を下げる悠太くんを背に、私たちの足音だけが湿った地面に響いた。
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