夜明けの皇子

ちろる

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第4話 願う者

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やっと来た。
やっとやっと、この時が。
ずっとずっと待ち望んでた。
長かった。
いいえ、そんなこと、言えない、言える資格なんてない。
これまでの日々、生かされ続けた時間。

生きていることも罪。
だけど死ぬことも罪。

みんなが私を責める。
みんなが私を疎み、嫌悪し、憎み、蔑み、罵り、そして…敬う。

私を殺したいと、一体この世界のどのくらいの人間に思われたのだろう。
私を殺してやると、一体この世界のどのくらいの人間に言われただろう。

死んでも良いなら、いつでも死にたい。
心から喜んで死んで行けるのに。

けれど、だめ。
私が死ねば、貴方を裏切ってしまう。
貴方の優しさを、救いを、慈悲を。
約束を、破ってしまう。
それは、だめ。
これ以上貴方を傷つけるなんてできない。

私は生かされている。
誰も、私も、わたしを殺せない。
殺せば、尊い貴方のご意志に背くことになるから。

死んではいけないなら、死よりも苦しい罰を与えて。
殴って、切って、焼いて、千切って、潰して、犯して、もうもなんでもいい。
思いつく限りの苦痛を、与えてください。
そうお願いするの。
貴方はきっと聞いてくださらないのでしょうけれど。
それでも私は願い続ける。
何度でも、何度でも。
何度でも、何度でも…
やっとお会いすることができるのだから。

貴方は、自死することも自傷することも、何人も私を殺すことが決してできぬよう、私を「そういう立場」にお命じになった。

それはきっと、あの日の私を憐れんでのことだったのだろう。

3年前のあの日、目の前で貴方が肉塊になっていく様を見た私は、発狂した。
妹君が呼んできた大人たちに保護され、皇宮へ連れ帰られると、謁見の間で兵士たちから貴方の状況を聞いていた皇帝と皇后の前に駆け寄り、護身用に忍ばせていた短刀で私は私を切り刻んだ。

「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」

言葉を発するたびに上がる血飛沫。
手を足を身体を、短刀が届く範囲を滅茶苦茶に切る、切る、切る。
兵士が慌てて取り押さえようとするが

「近寄らないで!!こっちにくるならその剣で私を切って!!殺して!殺してぇ!!」

短刀を振り回し、暴れ回り自分を切り刻む血塗れの少女。
その狂気に大人たちはたじろぎ、硬直していた。

足りない…こんな痛みじゃ足りない…
シエル…シエル…!!
私が、シエルを…
大好きな、あの人を私が…!!

どうしようどうしようどうしよう
わからないごめんなさいどうしたらいい
死なないでお願い死なないでください
シエルシエルシエルシエル

「眠れ」

低く艶妖な声が謁見の間に響き渡ったと思った瞬間、私の視界は真っ暗になり、意識は闇に溶けた。

どれくらい眠っていたのだろうか、目覚めると傷は手当されており、自室のベッドに横たえられていた。
暴れ出さないよう手足に枷をはめられ、拘束されている。

ベッドの傍には少しやつれて憔悴し切った顔の両親が、複雑な感情を含んだ瞳で私を見下ろしているのが見えた。
その後ろに見知らぬ青年がひとり、窓辺にもたれかかり不適な笑みを浮かべている。

「目覚めたか、苛烈な少女よ」

黒衣の青年は寝台に近づき、私の顔を覗き込んだ。
満月のような黄金色の瞳が、昼間の猫のように細くなる。

「シエルレインからの言葉を伝えに来た」

ドクン…!と私の心臓が強く脈を打つ。
シエル…生きて、いる…?

「シエ…ル…シエル…」

涙が溢れる。
安堵と後悔と懺悔と、言葉にならない感情が入り混じった涙が次々と頬を伝ってシーツを濡らした。

「セシリア、君を、僕の婚約者とする」

シエルレインの声色を真似て、黒衣の青年が言う。

「よって今後、何人も君に害をなすことを許さない。決して自身を傷つけてはいけない。まして自死を選ぶ事などあってはこの国の皇族を、果てはこの国を冒涜することである。貴族として、婚約者として、そして大切な友人として、僕が戻るまで待っていて、だそうだ」

私が、シエルの、婚約者に…?

本来なら、天にも昇るような喜びであるはずのことなのに、罪悪感で心が千切れそうになった。
痛い…痛い痛い…
身体の傷なんかより、心が、痛い…

シエルはきっと、このままでは私が自死を選ぶ事、そうしなかったとしてもシエルをこんな風にしてしまった恨みで誰かが私を殺すと思ったのだろう。
誰も私をどうこうできないようにするには、大きな力の中に入れてしまう事。
皇位継承権第一位の婚約者にしてしまうことで、セシリア自身も他人も、「シエルレインの婚約者セシリア」に傷をつけられないようにしたのだ。
優しいシエル。
でも、この優しさは、残酷だ。

「シエルからの伝言は以上だが、少女よ、お前からは何かあるか?」

…何も、言えなかった。
自分が犯してしまった罪に対する懺悔も、命を救ってもらった事への感謝も何もかも、言葉にすることが違和感だった。
今の自分に何も言えるはずがない。
何を言っても、本物にならない気がした。

「あなたは…シエルの、何なのですか…?」

覗き込まれたままの瞳を見返して言った。

「主治医…教師…代理人?まぁそんなところだ。詳しいことはまた日を改めてゆっくり語ろう。色々と複雑なのでな」

「代理人…なら、あなたがする事は、シエルがする事と同じと思って良いのでしょうか?」

黄金色の瞳が少し丸くなる。

「それはシエルが望めば、そうなるであろうな」

「シエルが望まないことは?」

「…何が言いたい、少女よ。私はどんなに請われようと、お前を殺したり切り刻んだりする事はできんぞ。シエルの願いだからな」

「殺す、傷をつける、以外なら?」

「できないことも、ないだろう」

私は涙でぐちゃぐちゃになった顔をシーツに擦り付けて拭き、枷をはめられて不自由な手足をなんとか動かしてベッドから立ち上がった。
背の高い黒衣の青年を見上げる。

「髪を、切って欲しいのです」

「セシリア!お前…!」

「駄目よ!あなた、分かってるの⁈この国で女性が、そしてあなたが髪を切るということはーー」

「わかっています!」

今まで両親に対してこんな大きな声を上げたことがあっただろうか。
慌てる2人を視界の端におさめて、再び青年を見た。

「私の髪を、短く切ってください」

「ほう…それになんの意味があるのだ?」

私は短く息を吐いて続けた。

「この国では女性はみな、髪を長く伸ばします。それは貴族も平民も、身分関係なく、この国に生まれ育ち、死ぬまで、長く美しい髪を保つことは女性として真摯に生きた証なのです。」

「ほう」

青年は興味深い、といった面持ちで私の話を聞いている。

「この国での女性は、清廉、高潔、公正、公平さを重んじられます。それはこの国を作ったとされる正義を司る女神、テルミシュを崇拝していることが理由です。テルミシュは銀色の長く美しい髪をしていたと言われ、その姿を模すことでこの国の女性はその女神のようにあれるようにと髪を伸ばすことが風習となっております」

「長く美しい銀色の髪を持つ女神か。まさにお前のような女だったということだな」

「私の家系は、代々銀色の髪と魔力を持つ者が生まれることから、女神テルミシュの血を引いていると云われています。それ故に、特に一族の女性は髪を伸ばし、美しく保つことに誇りを持っているのです…」

黒衣の青年は続きをどうぞという視線を送ってくる。

「そのような風習のある我が国でただひとつ、女性が髪を短くする時があります。それは…罪を犯し、罪人となった時」

「一度でも罪を犯して髪を短く切られてしまえば、その女性は二度と髪を伸ばすことを許されません。死ぬまで罪人の烙印を押されて生きるのです。罪人に堕ちた女性は…言葉にするのが憚られるような仕打ちを受けます。奴隷として使われるならまだ良い方…人間としての尊厳を全て奪われて、まるで家畜かなにかのように扱われるのです。それこそ、命が尽きるまで…」

「なるほど。お前の言いたいことはわかった。自分を傷つけることも死ぬことも許されない代わりに、罪人の証が欲しいというわけだな。だがそれはシエルレインが受け入れまい」

私は青年が纏う黒衣の胸元を、手枷を嵌められた手で掴んだ。

「シエルは…髪を切るなとは言っておりません。彼との約束を違えるわけじゃない。死ぬことでも傷がつくことでもないなら、自分がやりたいことを決める権利はあるはずです…」

「お前が髪を切ることで、シエルレインが心を傷めるとは思わないのか?お前はシエルレインをあのような姿にしただけでは飽き足らず、さらに心まで傷つけるつもりなのか。罪の証が欲しい?やりたいことを決める権利?お前のその強欲さが、傲慢が、このようなことを引き起こしたのではないのか」

金色の瞳が、朱が挿したように赤く染まって見えた。
青年のその声色に、静かな怒りが込められているのがわかる。

そうかもしれない。
いや、きっとそうなんだ。
見つけた魔術書に書かれていた呪文を得意げに試したからこんなことになった。
みんなを驚かせたかった。
シエルに、すごいねセシリアって、言って欲しかった。
シエルに、褒められたかった。
それだけだったのに。
あんなことに、なってしまった。
大好きな人を、言葉の通りぐちゃぐちゃにしてしまった。
美しく優しい、奇跡のようなあの人を。
私が、この手で…

「うっ…うう……もう…私、どうしたら…どうしたら少しでもシエルに、ごめんなさいって伝えられるの…シエル…シエル……!」

青年の胸元を両手で力一杯掴みながら、堪らずに、声を上げた。
涙がとまらない。
泣くな、泣くな、泣くな。
泣きたいのはシエルだ。
私じゃない。
誰か、誰か、私を、罰してーーー

ふと、青年の両腕が私を包んだ。
その瞬間、風が、吹いた。

ザッーーーー

首元を旋風が通り過ぎたと思ったその瞬間、視界が開けて銀糸が空を舞った。

「ああっ!セシリアっ!!」

母様の甲高い声が聞こえた。

「おや、失礼。お前の首元についていたホコリを風の魔術で払おうとしたら、少し威力が強すぎたようだ」

暖かい空気が首筋をなぞる。
空に舞う銀糸が自分の髪だとわかった。

「少女の母君よ、これは私の罪だ。彼女に非は何もない。この国の慣習を知らない異国の者が《まちがえて》女神の一族の髪を切ってしまっただけだ。そう皆に触れると良い。咎ならばいくらでも受けよう」

金色の瞳をした美しい青年は私を見つめると口を開いた。

「なんだ、短い髪もなかなか似合うではないか。このように更に魅力的な女性になれるならば、この国の風習も変えた方が良いのではないか、未来の皇后様?」

形のよい薄い唇が三日月のように微笑み、私の頭をくしゃくしゃと撫で、黒衣の青年は身を翻して去っていく。

「あ…あの…!」

歩みを止め、横顔でこちらを見遣りながら彼は言った。

「私は暁月アカツキ。落ち着いたら、皇宮内にいる私を訪ねるが良い。ーーあとは、お前次第だ」

艶やかな黒髪を靡かせ、青年は去った。
後に残されたのは呆然と立ち尽くす両親と、顎の下で短く切り揃えられた髪をした私だけ。

罪の証を手に入れた私は、少し安堵していた。
あの青年は、私を掬い上げてくれたのだ。
愚かな私をーー。

シエルは言っていた。
目覚めるで待っていてと。
目覚めるまで、死んではいけないと。

約束する。
貴方が目覚めるまで、私は自分を傷つけたりしない。
どんなに死にたくなっても、死んだりしない。
約束するから。
だから、貴方が目覚めたら、私の願いを叶えて欲しい。

そう思いながら生きてきた3年間だった。
私は最後まで強欲なのかもしれない。
貴方に、殺されたい。
殺してくれないなら、死より苦しい罰を与えて。
ああ、でもきっと、アレをやり遂げれば貴方は私を殺してくれるはずなの。
貴方は何も知らなくていい。
私が全ての罪を背負って死んでいく。

やっと来た。
やっとやっと、この時が。
ずっとずっと待ち望んでた。

この日を、私はーーーーー
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