夜明けの皇子

ちろる

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第3話 目覚めの後

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3年ぶりに目を覚ました美しくも醜いこの国の皇子様は、戸惑った様子で私を見ている。

この腕の中にいるのは、かつて明けの明星と謳われた、類稀な美貌を持っていたもの。
不幸な事故で、その美貌は左半顔を残して今や見る影もない。

動揺し自分の腕から逃れようとするシエルレインを抱き起こして、背中に大きな羽根枕を添えてやり、上体を預ける。
自分も起き上がり、ベッドのそばの椅子に腰を下ろした。

「……ァ………」

シエルレインが言葉を発そうとするも、掠れて声が出てこない。
暁月は枕元に用意されてあった水差しを手に取り、口に含ませてやった。

コクン…

小さく喉を鳴らしながら少しずつ飲み込む。
大きく息を吸って、深く吐くことを何度か繰り返すと、少し落ち着きを取り戻したようだった。

「どうだ?あの夢の世界とほとんど同じだろう?」

シエルレインの目に止まる範囲では、豪奢な天蓋の寝台も部屋の調度品も何もかもが同じであった。
違うのは窓の向こうに広がる景色が星の海ではなく、小さな島々が浮かぶ蒼穹の空と海。
そして大きな黒猫ではない、人の姿の暁月。
人払いをされているのか、皇子の自室には暁月以外の人の姿はなかった。

少し咳払いをし、喉を整えてシエルレインが言う。

「あな…たが……あ、の…暁月……?」

夢から覚める前に黒猫から人の姿になった暁月を見たが、さまざまなな衝撃と動揺であまり鮮明には覚えていない。ただ妖しく美しい人がいた、という印象だけは残っていた。
傍に腰掛けている青年を左目の端で見遣る。

ニヤリと笑いながらこちらを見ている顔は、まるで彫刻のように完璧な造作をしていた。
切れ長の瞳は黄金色で、まるで三日月のように長い前髪から覗いている。
腰まで届く髪の色と同じような漆黒の異国の長衣は、前開きの襟元や腰に巻かれた帯、長い袖には何か植物のようなものが複雑に絡み合っているようでいて独特の規則性をもった模様の豪奢な金糸の刺繍が施されている。

「そうだ、私が暁月だ。こちらの世界では初めまして、と言うべきか?シエルレイン様。」

立ち上がり、わざとすぎる程恭しく礼をしてみせた。

「3年間共に暮らしてきたようなものなのだから、今更緊張することもないだろう。」

再び椅子に腰掛け、足を組み、肘掛けに腕をのせて頬杖をつきながらシエルレインを見つめた。
一国の皇族への態度にしては不遜すぎるものであったが、何故かそういった様も高貴な者の振る舞い然とする雰囲気を暁月は纏っていた。

シエルレインは暁月から目を逸らすと、羽根枕に預けていた身体を少し起こし、視線を落として自身の両手を見た。

純白の右袖の端から覗くのはまるで今にも溶け出しそうな様子の、赤とも黒ともつかない色をした皮膚。
血管が浮き出ており、筋や骨がその存在を主張していた。
おおよそ全身がこのような様子なのであろう。

対して左袖から覗くのは白く滑らかな陶器のような肌をした手。
左半分の顔と同じく、溶かされずに残った自分の左腕は記憶にあるより幾分か伸びて長くなっている気がする。

力を込めて握ってみる。
長い間動いていなかった関節から、パキパキと音が聞こえるかのようにぎこちなく指が閉じられる。
ぎゅっと握って、開ける。
もう一度。
さらにもう一度。

今度は足を動かしてみる。
動かない。
今までどうやって足を動かしてきたんだっけ。
膝を曲げたいだけなのに、伸びた足のまずはどこから力を入れるべきだったのか、動くことが当たり前の世界では考えたこともなかった。
太ももに、お腹に、力を込めて、踵を身体に引き寄せるように、少しずつ、少しずつ…よし、膝が浮いた。
今度は、反対の足も…

このような見た目になっても動くものなのだな…。
などとまるで自分ごとではないかのようにシエルレインはぼんやりと思った。

一通り身体が動くことを確認し、再び羽根枕に背を預ける。

少し動いただけだが、3年間寝たきりだった自分にはかなりの運動量だったようで、額が汗ばんでいた。
両の手で、自分の頬を触ってみる。

温かい。

頬か、両の手かどちらがどちらに伝わったのかはわからない。
滑らかな肌からも、溶けて醜くなった肌からも
、自分の体温を感じた。
生きているのだ。
自分はこのようになっても生きている。
温かさを、感触を、身体が動くことを、一つ一つをこんなにも生きていることの一部だと意識したことが今まであっただろうか。

無くしてから大切さに気づくと言うが、本当は無くしたと思ったものが思いがけず戻ってきたり、自分の元にまだあったと実感した時に人はそれに気づけるのではないだろうか。
僕は正に今がその時だ。
もう2度と歩けない、見えない、動かない、感じない、命がなくなっていたかもしれない。
そんな状況の中、変わったといえば見た目だけだ。
これは幸運なのだ。
よかった。
生きていて、よかった…

胸の奥がツンと痛み、少し俯くと、サラサラと朱金の髪が頬を流れ視界を覆った。
3年間切られることがなかったその髪は今や腰まで伸びて、シエルレインの顔を隠してしまう。

暁月は何も言葉を発さず、ただただシエルレインの様子を見ていた。

さて、この皇子様はこれからどうするのだろう。
目覚めたはいいが自分の状況を嘆き、悲しみ、どうして自分がこんなことに、などと不幸に酔いしれて悲劇の皇子として憐れまれながらまだ先の長い生を送るのか。

シエルレインの哀れな皇子様っぷりを想像すると、ククッと喉の奥で乾いた笑い声が出た。
我ながら、趣味が悪い。
なんならば、そのようなシエルレインの様も見てみたいような気もする。
だがしかし、この皇子様はーー

「暁月、僕の命を救ってくれたこと、心から感謝する。治療だけでなく皇子としての教育をこの3年、与え続けてくれたことに。死んでもおかしくなかった状況で、このような姿になっても生かされたことにはきっと何かの意味があるのだと思う。国を担うものとして、僕は…これからまず何をするべきだろうか。教えてほしい。」

顔を覆っていた朱金の長い髪をかき分け、半醜半美の極端な見た目をもった顔を真っ直ぐこちらに向けて、紫色の目に強い光を宿してこちらに問いかける。

そうだ、シエルレイン。
私が欲しいお前はそういう人間だ。
天は二物を与えないというがこやつは例外だろう。
類稀な美貌に宿る魂もまた、美しいのだ。

暁月は立ち上がり、シエルレインの手を取った。

「それでは皇子様、まずは湯浴みでもいたしましょう。それとお着替えも。お前のために用意させたものがあるのだ。」

「え…?あ、ちょっと!」

羽根枕に預けていたシエルレインの身体を暁月は軽々と抱き上げると、皇子の自室にある豪華な浴室へ嬉々として進んでいくのであった。
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